木村秀夫風景画展
「この混迷の時代に生きる現代人の形見として人間の営みと自然が共に響き合う美しい交響詩日本の里山風景を後世に描き残したい」。
洋画家・木村秀夫さんの言葉だ。
そして木村さんが大切にしているのは「沈潜(ちんせん)」ということ。言い換えれば自己研鑽でもあるが、木村さんは「人間の精神の深い所に沈み込み、こころの奥底に潜んで気付かなかった自分の無意識の世界、内面の世界を発見する。それが「沈潜的」だと思います」という。
2024年11月11日(月)、「木村秀夫風景画展」がフロム中武3F催事場(立川市曙町2-11-2)で開かれているのを訪ねた。
(明日12日が最終日 午前10時から午後4時まで)
まずは「菜の花咲く千曲川」(長野県飯山市菜の花公園)という作品。
次は新潟県長岡市山古志を描いた「雲海の棚田」。
これも新潟県で十日町市松代の「桜咲く儀明の棚田」。
次は「里山で遊ぶ子供たち」(あきる野市横沢入り)。
次は八王子市の風景で「収穫のお手伝い」。
これも八王子市滝山城址公園の「秋麗の古道」。
さらに八王子市鍵水の「絹の道」。
木村さんは1954年生まれ。
1966年、小学校5年生の時、お姉さんに連れられて上野の東京国立博物館で開かれていた「ルーブル美術館所蔵フランスを中心とする17世紀ヨーロッパ名画展」を見て感動。以降、足しげく絵画展に足を運ぶとともに自分でも水彩、油絵を描くようになった。
木村さんは国木田独歩ゆかりの玉川上水桜堤の道を通って高校に通っていたことから独歩の「武蔵野」に興味を持つようになる。
そうこうしているうちに兄が自死。一流大学一流企業というエリートの生き方に疑問を持ち、受験勉強が出来なくなってしまう。
その代わり没頭したのは読書だった。
フレンチの料理人に
その後、一流の料理人になろうと決意。
39歳の時にテレビ朝日の「徹子の部屋」に武蔵野の専門家・悳(いさお)俊彦先生のことを見たことがきっかけで、武蔵野の記憶が蘇り、休日には武蔵野の風景を描き始める。
1983年、料理長の職を辞して、あらゆる武蔵野に関する文献を買い求めて、半年間武蔵野を彷徨した。
そして1985年3月、立川朝日ギャラリーで初の個展を開いた。