ビートルズをトリビュート
1980年代後半、米紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」は東京発のニュースを掲載した。見出しは「The Beatles still make Japanese twist and shout」。ビートルズの曲を演奏するライブハウスのレポートだった。
ビートルズ・ナンバーをコピーして演奏するが、そこに魂が込められていることからトリビュート・バンドと称される代表的な一つがパロッツだ。東京・六本木のライブハウス「アビーロード」を拠点としている。
米紙の見出しではないが、毎晩のように観客たちをツイストさせ、シャウトさせ、大いに楽しませている。日本のお客さんだけではない。海外からの観光客も夜の六本木といえばアビーロードなのだそうだ。
パロッツのリーダーはポール・マッカートニー役でベースを担当するゴードンこと野口威(のぐち・たけし)。声に深みとツヤがあり「レット・イット・ビー」を歌わせたらこれが絶品。「ブラックバード」のギター演奏はポールよりも上手いとの声もあるぐらいだ。
ジョン・レノン担当は、星”ジェームズ”宜彦(ほし・のぶひこ)。若手ながらも、ジョン役を堅実にこなしている。
ジョージ・ハリスン役が、バンビーノこと松山明弘(まつやま・あきひろ)。その「完コピ」ギター・テクニックには脱帽させられる。曲によってはまめに12弦ギターに持ち代える。リンゴ・スター役でドラムが、佐藤“セン”仙(さとう・ひさし)。リンゴより歌が上手いとの評判である。
そして「5人目のビートルズ」でキーボードには、フーミンこと松山文哉(まつやま・ふみや)。飄々としたキャラクターが皆に愛されている。「イン・マイ・ライフ」の間奏のピアノ・ソロは見事の一言に尽きる。
パロッツの歴史は1990年にまでさかのぼる。初代リーダーのチャッピー吉井(よしい)によって結成された。96年12月にライブハウス「アビーロード」がオープンすると、ハウスバンドになった。
その実力は折り紙つきだ。94年、96、97年、2000年、2001年、2004年にはリバプールで開かれた「ビートルズ・コンベンション」に出場した。2007年7月には、英国マンチェスターで「アークティック・モンキーズ」のサポート・アクトを務めた。クリケットグラウンドのスタジアム2日間のライブで、10万人の聴衆を前に演奏した。
ポールと共演
特筆すべきはポールとの共演だ。2013年11月、来日公演中のポールのオフ日がちょうど妻ナンシーさんの誕生日にあたり、そのバースデイ・パーティーに招かれてビートルズ・ナンバーを演奏した。「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」を演奏しようとすると、ポールがステージに上がり、パロッツと一緒に歌ったのだ。
ポールはゴードンに「ハイ、ポール!」と呼びかけるとともに、チャッピー吉井に向かっては「ハーイ、ジョン」と声をかけた。
2017年1月には、パロッツの大ファンだったキャロライン・ケネディ駐日米国大使のお別れの会に出席して演奏した。同年9月、創設メンバーのチャッピー吉井が急逝するという悲しいことが起きてしまった。
パロッツのメンバーたちは大きなショックを受けたが、ゴードンが新たなリーダーとなり、ファンのあたたかい声援を受けて、復活を果たす。
2018年、都内でのパーティーに出演した際、ゲストだったポールの三女で世界的なファッションブランドのデザイナー「ステラマッカートニー」と対面。ステラからゴードンが「ハイ、ダディー」と呼ばれたのである。ステラ自身もパロッツのライブを堪能したことはいうまでもない。
さらにフィリピンのマルコス大統領が2023年2月に来日した際には「御前」演奏も行った。現大統領の母親はイメルダ女史。1966年にビートルズが日本公演の後にマニラを訪問した際、イメルダ大統領夫人(当時)主催のパーティをすっぽかしたとして、空港で暴動が発生した。
そんなフィリピンから、イメルダ女史が母親のマルコス大統領が来日し、目の前でビートルズの曲を演奏するという因縁めいた出来事となった。そんなことを知ってか知らずか、大統領は喜んで耳を傾けていたという。
皆さんもパロッツの演奏を聴きに行きませんか。他にも「ザ・メイフェア」や「ザ・リヴァーバーズ」という素晴らしいトリビュート・バンドが出演中です。ライブハウス「アビーロード」の住所は:東京都港区六本木5-16-52FORUMインペリアル六本木2号館B2。電話番号は:03-5544-9817。ホームページは:http://www.abbeyroad.ne.jp。