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ドリフ展に行ってきた!

 今年はザ・ドリフターズが結成されてから60年になる。
 最初はジャズ喫茶で演奏するバンドだったドリフの幕間のお笑いが発展していった。その笑いにはPTAが取り上げて社会問題になるようなものもあったが、子どもたちの圧倒的な支持を受けて全国的な人気者になった。
 中でもTBSテレビの土曜日8時「8時だヨ!全員集合」は一時視聴率50%を叩き出すお化け番組としてお茶の間を席巻した。
 だが、今やドリフの生き残りは加藤茶と高木ブーの二人だけ。
 2000年に荒井注が旅立ち、2004年にはいかりや長介が逝去、2020年には志村けんが若くしてコロナウイルスにようる肺炎で亡くなり、2022年には仲本工事が交通事故による急性硬膜下血種のため死去した。
 しかし、彼らのギャグは今も生き続けている。
 そのことを証明するかのように東京の上野松坂屋で開催中の「結成60周年記念 ザ・ドリフターズ展 発掘!5人の笑いと秘宝たち」は連日賑わっている。2024年7月23日(火)に訪れた。
 同展は8月5日(月)まで開かれている。


 会場に入ると加藤茶と高木ブーのそれぞれ挨拶が目に入って来た。
 「今日は5人が創り上げてきた笑いと、俺たちにまつわる秘宝も盛りだくさんらしい。なんかオイラのハゲかつらもてんじされているってさ。「チョッとだけよ」と言わず、充分に満喫していってくださいね」(加藤茶)。
 「ザ・ドリフターズって一番上の長さんから一番下の志村まで20歳も離れていたのに続けてこれた。60年間も愛して、笑い続けてくれたみなさんのおかげです。このイベントは俺たちからみなさんへのほんのちょっとした恩返し。たくさん楽しんで、笑っていってください」(高木ブー)。
 ドリフはのべ23作のシングルレコードを発表したが、「いい湯だな/ズッコケちゃん」などのジャケットが飾られている。


 また主演映画のポスターも多数展示されている。
 志村けんのバカ殿様の実物大の模型もある。

 ドリフは多くのギャグを生んだが、その代表的なひとつが加藤茶による「チョッとだけよ」。その時に被っていたかつらも見ることができる。

 「加トちゃん、ぺっ」も。

 高木ブーが描いたイラストも展示されている。
 また、もとはバンドだったドリフを思い起こさせるいかりやのベースなども飾られているのも注目だ。


 会場にはドリフの歴史をたどる大きな年表が飾られていた。
 それを辿ってみようーー
 1962(昭和37)年、いかりや長介がドリフに入るところから始まる。碇矢長一が当時ロカビリーバンド「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」に正式加入したのだ。当時、30歳。
 しばらくしていかりやはリーダー代行となり、グループ名も「碇矢長一とザ・ドリフターズ」に改名した。
 少し遅れて「クレージー・ウエスト」のドラマーだった加藤英文(加藤茶)が加入した。19歳だった。
 日本テレビ「味の素ホイホイ・ミュージック・スクール」が放送を開始し、ドリフ初のレギュラー番組となる。
 1964年、小野ヤスシ、猪熊虎五郎ら4人が新たに「ドンキー・カルテット」を結成して脱退する。
 「シャドーズ」のギタリスト高木友之助(高木ブー)が加入。
 「クレージー・ウエスト」のピアニスト荒井注が加わる。
 高木と共に「シャドーズ」で活動していた仲本興喜(仲本工事)が加入。
 綱木文夫が脱退。バンドは渡辺プロとの提携から所属に代わり、オーナーだった桜井も身を引く。バンド名も「ザ・ドリフターズ」になる。
 いかりや、加藤、高木、仲本、荒井の5人体制。

 1965年、フジテレビ「歌え!一億」が放送開始。
 1966年、渡辺プロダクションの渡辺晋社長の家で行われた宴会の席上、酔ったハナ肇が「いかりや長介」「加藤茶」「高木ブー」という芸名をつけた。同年、他のアーチストらと来日したビートルズの前座を務める。
日テレ「タレントスカウトショー あなた出番です!」で正式な司会に。
 1967年、初の冠番組、TBSテレビ「ザ・ドリフターズ・ドン!」が放送開始。翌年には、TBSテレビ「進め!ドリフターズ」が放送開始。これはドリフにとって初のゴールデンタイムでの冠番組となった。
 この年の2月、志村康徳(志村けん)がいかりや家を訪ねて弟子入りを志願した。さらに6月、ドリフは「いい湯だな/ズッコケちゃん」でレコードデビュー。TBSテレビ「突撃!ドリフターズ」が放送開始。
 1969年10月4日、TBSテレビ「8時だヨ!全員集合」放送開始。日テレでは「ドリフターズ大作戦」の放送が開始される。
 1970年暮れ、「ドリフのズンドコ節」で第12回レコード大賞大衆賞、第1階日本歌謡大賞放送音楽賞受賞。


 1971年、「8時だヨ!全員集合」放送休止。日テレ「日曜日だヨ!ドリフターズ」が放送開始。10月2日、「全員集合」が放送再開される。
 1973年4月7日、「全員集合」番組最高視聴率50・5%を記録。この回のゲストはキャンディーズだった。
 12月になると志村がコント見習いで出演し始める。
 1974年荒井注が休養を発表後、正式に脱退。そして志村けんがドリフターズの正式メンバーとして加入。
 1975年、フジテレビ「ドリフの昭和大躍進」放送開始。
 1976年、フジテレビ「ドリフのバカ笑い大躍進」が放送スタート。
 1979年、渡辺プロからマネージャーが設立したイザワオフィスへ。
 1985年、「全員集合」803回にして終了。最終日の視聴率は34%だった。翌年、TBSテレビ「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」が放送開始。志村の冠番組「志村けんのバカ殿様」(フジテレビ)放送開始
 1987年、フジテレビ「加トちゃんケンちゃん光子ちゃん」放送開始。同年、フジテレビ「志村けんのだいじょうぶだぁ」放送スタート。
 1999年、いかりや長介、「踊る大捜査線 THE MOVIE」で日本アカデミー賞、最優秀助演男優賞を受賞

 会場を出るとグッズ売り場。ここも楽しかった。


 開場時間は午前10時から午後6時半(午後7時閉場)。
 入場料は一般・大学生1200円、中高生800円、小学生以下無料。小学生以下の客は保護者(18歳以上)同伴のこと。
 会期中の土日(7/27、7/28、8/3、8/4)については日時指定制となる。事前に来場日時を決めて、入場券を要購入。
 日時指定入場券は8月5日(月)までの会期中、指定日時のみ有効。
 (敬称略)

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