浅丘ルリ子トーク&シネマ④
いよいよ2日間にわたって行われてきたイベント「~浅丘ルリ子 トーク&シネマ~『1960年代 日活映画☆浅丘ルリ子』」もフィナーレへ。
2024年5月14日(火)午後、東京有楽町I'm a showアイマショウでの同イベントでの上映作品は「愛の渇き」(1967年:蔵原椎繕監督)。
三島由紀夫の同名小説を映画化した、女の愛の心理、エゴなど愛に渇いた女の異常な断面を鋭く追求した異色文芸大作だ。
妖しくて怖い映画だ。さすが三島由紀夫の世界である。
人間の原動力は嫉妬だ。浅丘が演じる未亡人は、自分に気がある下男の子どもを宿した下女に嫉妬する。
そして表向きは理由をつけてその下女に子どもをおろさせる。
下女もさすがに女だ。分かっている。
二人の別れ際、下女はいう「あなた、ひどい目にあうわよ」。
下男が愛ゆえに子どもを作ったのではないと未亡人は本人から聞いていた。未亡人は下男の自分への思いを確認したかった。
でも下男ははっきりしたことは言わない。
結局、いろいろな展開の末、未亡人は下男を殺してしまう。
しかし、下男を埋めるための墓穴を掘っていると、いつしか下男が盗んだ彫刻が出てくる。未亡人がその彫刻を気に入っていることを知っていて下男が盗んで隠したことを知るのだ。
殺人の末に愛の渇きを殺した相手から癒された未亡人。
退廃的な旧家。亡き夫の実家で暮らし続ける未亡人。そういう封建的な家の在り方。未亡人は分かっていた。毎日皿を洗ったり掃除をしたりするのはいったい何のためだろうと。
浅丘さんは悪女を見事に演じきった。
大げさな演技はない。性格俳優といってもいいほど。
ちなみに下男を演じたのはティーンエイジャーだった石立鉄男さん。若い。下男ゆえに自分の気持ちを表せないのか。気持ちを外に表さないゆえに下男として雇われたのか。愛していないけど子どもを作ったと告白する。正直だ。でもそれは下男を好きな未亡人へのリップサービスだったのかもしれない。実は計算高かったのかもしれない。謎が多い。
石立さんについて浅丘さんはいう「あの人けっこう不思議な人で、分かっていないのかなって思って見てみると分かってるじゃないって。普通でもそこに何かないとだめなんですね(彼にはあるんです)」。
また、養父に愛撫される浅丘さん演じる未亡人の表情が能面のようだとトークの相手役の二見屋良樹さんは話した。
それについて浅丘さんは「よくそんなこと出来ましたね。プライベートでも経験が薄いのに、若い時に洋画とかいっぱい見ていたので、あっちの女優さんたちはああいう時何をするのかって、それであんなお芝居が出来るんだろうって思ってました」という。
外国の女優について「あの方たちはお顔をちょっと動かしただけでああいっているんだなって、それを感じ取る私も凄いんでしょ(笑)。映画とかいろいろと見ておくべきだって思いました」。
原作者の三島由紀夫さんについて、浅丘さんは「ある時、プールに行ったんです。三島さんは素敵な男の子たち4人ぐらい連れて泳いでらっしゃった。ああ三島さんはこういうふうに生きてらっしゃるんだなと思いました」回想した。
最後に浅丘ルリ子のプロフィールを紹介しておこう。
1940年、満州長春に生まれる。小説「緑はるかに」の映画化のためのオーディションに応募すると挿絵画家中原淳一に抜擢される。翌年の同名映画で銀幕にデビュー。日活の看板女優として活躍。
小林旭の渡り鳥シリーズ、石原裕次郎のムードアクションシリーズなどを経て、蔵原椎繕監督との出会いが女優としての転機となる。
「銀座の恋の物語」「憎いあンちくしょう」「何か面白いことないかい」の三部作で従来の「男優の添え物的存在」だった女優から脱却して、より自立した人間を演じる女優へと変貌を遂げる。
1971年、俳優などマルチタレントの石坂浩二と結婚。浅丘さんは石坂さんの「博学、多芸」に惚れたという。
1973年、「男はつらいよ」シリーズに初めて売れない歌手リリー役で出演。その後、4作に出演する。
2000年に石坂浩二と離婚。