
ヒルマ・アフ・クリント展
スウェーデンの画家で抽象画の先駆者といわれるヒルマ・アフ・クリント(1862-1944)のアジア初の回顧展が2025年3月4日(火)から6月15日(日)まで東京国立近代美術館にて開かれる。
その前日、記者説明会があった。
「アフ・クリントの特徴は、王立芸術アカデミーで伝統的な教育を受けながら、神秘思想に傾倒しアカデミックなものと違うものを生み出してゆく、その2つが一人の作家の中で共存している点だと思います」と同美術館の三輪健仁(けんじん)・美術課長はいう。
記者発表会の冒頭挨拶に立ったのは小松弥生館長。「なぜ20世紀に入ってから彼女が評価され、今また人気が高まり評価も上がっているのか、不思議に思っています。これから解明されてゆくことを期待しています」。

ヒルマ・アフ・クリント財団のイェシカ・フグルンドCEOによると、彼女が1944年に亡くなった時、甥のエリックにメモ帳から絵まですべてのものを遺産として遺し、それを基に1972年に同財団が設立された。
およそ1500点ある彼女の作品そして計2364ページあるメモ帳などを守っていくことを目的としており、同時に彼女の作品の研究を支えているとフグルンドCEOは話す。
「財団には美術館や博物館がありません。その代わり、いろいろな美術館との協力関係を築いています」。

1988年にアフ・クリントの最初の展覧会がロサンゼルスのカウンティ美術館で開かれて注目を集めたが、2013年にストックホルムで展覧会があるまでの間あまり話題にならなかったという。
そして2018ー19年にニューヨークのグッデンハイム美術館での展示が注目を集め、同館史上最多の60万人超を集客した。
「多くの日本の皆さんがこの展覧会を観ることでアフ・クリントを知り、喜んでくださるよう願っています」とフグルンドCEO。
三輪美術課長の話に戻ろう。
「抽象絵画の先駆者と言われていますが、カンディンスキーやモディリアーニらと比べて何が共通していてどのような差異があるのか、これから研究されて行くのだと思います」。
前述のように「伝統的なアカデミックな要素と神秘主義との共存ゆえにヒルマ・アフ・クリントの美術史上の評価は難しい」という。「神秘思想と芸術の関係についての再定義がなされる途上」だという認識だ。

この展覧会のハイライトは代表的作品群「神殿のための絵画」のなかでも異例の巨大なサイズで描かれた《10の最大物》(1907年)。
人生の4つの段階(幼年期、青年期、成人期、老年期)を描いた10点組の大作。高さは人の身長を上回る3メートル超だ。
この作品群が展示されている部屋は壁沿いに座れるようになっており、ゆっくりとこのアフ・クリントの代表作を鑑賞出来る。


ヒルマ・アフ・クリントは1862年、ストックホルムの裕福な家庭の第4子として生まれた。父親ヴィクトルは海軍士官で、天文学、航海術、数学などが身近にある環境は後のアフ・クリントの制作に大きな影響を与える。
1882年、王立芸術アカデミーに入学。女性のアーティストは当時のスウェーデンではまだ数少ない存在だった。
在学中に制作された人体デッサンにおける正確な形態把握、あるいはこの時期に制作されたとみられる植物図鑑のように綿密な写生からは彼女の習得した技術の高さがうかがえる。
1887年、アカデミーを優秀な成績で卒業したアフ・クリントは、主に肖像画や風景画を手がける職業画家としてのキャリアを順調にスタートする。また児童書や医学書の挿画に携わった。

彼女がスピリチュアリズムに関心を持ち始めたのは1879年頃、17歳の時とされている。アカデミーでの美術教育と並行しながら、スピリチュアリズムは彼女の思想や表現を形成、決定づける要素となっていく。
当時のストックホルムには神秘主義的思想を信奉する団体がいくつか存在していた。特に影響を受けたのは神智学だった。彼女は瞑想や降霊術の集まりに頻繁に参加して、知識を深めていった。
1904年、アフ・クリントは特に親しい4人の女性とのグループ「5人」の降霊術の集いで、高次の霊的存在から物質世界からの解放や霊的能力を高めることによって人間の進化を目指す、神智学の教えについての絵を描くようにとの啓示を受ける。
このお告げによって開始されたのが全193点から成る「神殿のための絵画」だ。中断期間を挟みながら1906年から1915年まで約10年をかけて制作された。サイズ、クオリティ、体系性、すべての面からアフ・クリントの画業の中核をなす作品群だ。
「原初の混沌」「エロス」「10の最大物」「進化」「白鳥」といった複数のシリーズやグループから構成されている。


アフ・クリントの生きた時代において、彼女が探求した見えない実存とは、精神世界にのみ関わる重要事ではなかった。
トーマス・エジソンや二コラ・テスラによる電気に関わる発明、ヴィルヘルム・レントゲンによるX線の発見、キュリー夫妻による放射線の研究など、19世紀後半から20世紀初頭にかけて展開された科学分野における画期的な発明や発見の数々もまた肉眼で見ることが出来ない世界の把握に関わるものだったのだ。
この時代のスピリチュアリズムと神秘主義的思想には、こういった科学的実践と共通する探求として関心が寄せられていた面があった。
「神殿のための絵画」を1915年に完成させた後、アフ・クリントの制作はいくつかの展開を見せた。
1917年の「原子シリーズ」や1920年の「穀物についての作品」など自然科学と精神世界双方への関心や、目に見えない存在の知覚可能性という点において「神殿のための絵画」に連なるものだが、表現としてはより幾何学性や図式性が増しているのが特徴。

1920年代に始まる水彩を中心とした制作は人智学や宗教、神話に関わるような具体的モチーフを回帰させながら晩年まで続いていく。
制作の一方で、1920年代半ば以降、アフ・クリントは自身の思想や表現について記した過去のノートの編集や改訂の作業を進めた。彼女の後半生は、この編集者的、アーキビスト的作業が、あるいは制作以上に大事な仕事だったのではないかと思われる。」

開館時間は午前10時から午後5時(金・土曜日は午後8時まで)。入館は閉館30分前まで。休館日は月曜日だが、3月31日、5月5日は開館。5月7日は閉館。
問い合わせは℡050-5541-8600(ハローダイヤル)。展覧会公式サイトは https://art.nikkei.com/hilmaafklint/
