彼はひたすら山頂での眺望を得たくて登山を試みた
インタビュー記事の執筆をしていると、異分野の人のお話を伺うことも多いので、新しい言葉や概念と出会うことが頻繁にある。
今日は「アルピニズム」という言葉と出会った。
なんとなく耳にしたことはあるが、詳しいことはまったくの無知だった。でも意味が分からないと書き進められない。そこで検索してみると、こう書かれていた。
19世紀後半までは、高山はなんらかの目的(信仰、戦闘、狩猟、資源採集さど)を果たすための手段として考えられていて、かつその機会は限定的だったという。
これを読んだとき、「アルピニズム」は手段を目的に変える認知的な革命だったんだなと感じた。以降、手段としての登山が、登山そのものが目的となったといえそうだ。
先駆けとなったペトラルカという人は「ひたすら山頂での眺めを知りたくて」登山を試みたという。なんか、いいなぁ。ペトラルカさんと友達になりたかった。
レジャー登山が広く一般化した現代の感覚で聞くと、しごく自然な動機に思えるが、当時の人たちからはきっと理解されなかったろう。なんせ、それ自体が目的になるなんて考えられなかったのだから。
例えば、生きるための手段であった「食べる」という行為が、「趣味:グルメ」と言われるほどに、それ自体が喜びをともなう目的として語られるようになったことも、似たようなケースなのだろうか。
それで言うと、インタビューはまだまだ何かを達成するための手段で使われることが多いけど、それ自体がおもしろくて、登山のようにみんなやりたくなっちゃうような行為に変わっていったらいいなぁ。その未来のアルピニズム的インタビューはどんな姿をしているだろうか。
地味にツボなのが、ペトラルカさんが「詩人」だったこと。ただ山頂からの眺めが見たくなった気持ちには幾分かの詩情も含まれていたのだろうか。「詩」も人間の歴史のどこかで、一部の人のものから、みんなのものに変化したタイミングがあったとのかなぁ。
22/06/22
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