立ち止まるということ。
人生には立ち止まる瞬間が必要だ。いや、必要か不必要かを考えるまでもなく、そういう瞬間は誰の人生にもふいに訪れたりする。
あなたの場合はどうだろう。
最近、いつ立ち止まっただろう。
私の場合は、いままさに、立ち止まっている。なんだか「踊り場」に出た感覚がある。インタビューを仕事にしたい、とわけ分からぬまま走り出したのがちょうど3年前。この3年間、さまざまな方々との出会いに励まされ、支えられながらなんとか生きてきた。さて、私はこれからどんな役割を担いたいのだろうと、いま立ち止まっている。悩んでいるのとも違うし、きっと心では行くべき道が見えている、そのうえで時間の流れのなかに佇んでいる。
そういえば、「佇む(たたずむ)」には、「立ち止まる」という意味のほかに「そのあたりを行きつ戻りつする」という意味もあるらしい。静と動、どちらも包含した言葉。おもしろいなぁと思う。
身体は動いているが、その身体運動の中心となる場は固定されている、そんなイメージなのかもしれない。そうだとしたら、いまの私はまさに佇む時間を味わっている。日々せわしなく生きていながら、同じ中心点の左右上下を行きつ戻りつしている。その中心点にはやはり「インタビュー」という言葉が書かれている(これはもうどうしようもないらしい)
でも、立ち止まるのもそんなに悪くない。もちろん焦りのようなものはゼロではないが、焦っても上手くいかいことがわかるくらいにはこれまで何度か失敗してきた。
むしろ、立ち止まることで見えてくるものがある。振り返ることで、自分の本当の声に耳を傾けることもできる。
なかなかいい時間ではないだろうか、立ち止まる時間も。この時間をもっと楽しめないだろうか。もっと創造的にできないだろうか、遊べないだろうか。そういう問いが浮かんできた。
もしかしたら、【人生を振り返る】時間を提供できるインタビューという行為によって、それはなし得るのかもしれない。だれかの立ち止まる時間を、もっといいものにできるかもしれない。早く生きていくtipsばかり増えて、立ち止まる作法はあまり語られない今の時代だからこそ、誰かともっと立ち止まる時間の喜びを分かち合えないだろうか。
思考は自由に飛び回り、同じ場所を行きつ戻りつしながら、インタビューのことばかり最近は考えている。たぶん年明けくらいには新しい一歩を踏み出せるんじゃないかなぁとなんとなく予感している。それまでは、まわりの景色をぼんやり見ながら自分の中で何かが育つのをただ待ってみる。