『夢案内人』
「お母さん知ってる? 夢の中でね、『夢案内人』に会えたら、好きな夢を見ることができるんだって」
布団の中、隣で眠ろうとしている7歳の娘がそう言ってきた。学校の友達同士の間で話題になっているらしい。
「そう。じゃあ夢の中で会えるといいわね」
「うん。おやすみなさい」
「……おやすみ」
そう言って娘を寝かしつける。娘が寝付いたのを確認して自分も瞼を閉じる。
自分も子供の頃、枕の下に好きな本を入れるとその夢が見られるとか、そんなこともあったなと思い返す。でもこの場合は都市伝説に近いのかしら。
そう思いながら次第に意識が遠のき、眠りへと落ちていった。
気がついたら、暗い闇の中にひとりでポツンと立っていた。直感的に「これは夢だ」と判断できた。
これが『明晰夢』かと考えていると、暗闇の奥から誰かが走ってくるのが見えた。
「よっせ、よっせ、遅刻する!」と声を洩らしながら、こちらに近づいている。
「はぁはぁ、間に合ったかな?」
私の前まで来ると、肩で呼吸をしながら懐中時計を取り出し時間を確認している。
「よし。多分間に合った。……どうも、奥様はじめまして! ……で合っていますか? 僕は人の顔を覚えるのが苦手なもので。もし会ったことがあったらすみません」
「はぁ……。いや、はじめましてです」
「そうですか、良かった。それじゃあさっそく案内します。こっちです、こっち、こっち、こっちにどうぞ!」
「え? え? え? 何? あなた誰? どこに案内するって?」
「ああ、僕はウェントワースと言います。それじゃあ、こっち、こっち……」
「ちょ、ちょっと待って。待ちなさい!」
いきなり目の前に現れたと思ったら、急かすように腕を引かれる。夢の中といえど、何処に連れて行かれるか分かったものじゃない。
「ウェントワース」と名乗った男は、白髪に赤茶色の瞳をしており、その名の通り西洋風の顔立ちだった。名探偵のようなディアストーカーを被っており、耳にかけないパン・ス・ネと呼ばれる鼻眼鏡をかけている。皺のないワイシャツにウェストコートを着ており小綺麗な老紳士のような格好をしているが、見た目は20代くらいの青年だ。
「なんですかァ〜〜?」
青年は不服そうに答える。
「いや、こっちの台詞よ。貴方何者よ。どこに案内するって?」
「言わないとだめ?」
「言わないとだめ」
青年は足踏みし、早く行きたい様子を醸し出しているが、「ちゃんと話すまで動かないわよ」といった姿勢をとっていると、観念したのか、立ち止まり、コホンと息を整える。
「僕は“夢案内人”をしております」
青年はウェストコートの裾をひっぱり得意げな顔をする。
「夢案内人?」
何処かで聞いた単語だ。そういえば、娘が寝る前に言っていたような気がする。
「へぇ、本当にいたのね。じゃあ、好きな夢を見させてくれるのかしら」
「はァ〜〜?」
青年は“心底驚いた”というような声を上げる。
「なに、言っているんですかァ〜〜。僕にそんなことできるわけないでしょォ〜〜」
……腹立つ。
そんな「当たり前でしょ」みたいに言われても……そんなこと知らないわよ。
「僕は“案内人”なんですよォ? 案内するのが仕事なんです。さあさあ、夢を見ている時間なんて短いんだから! 行きますよ! ほらほら、来てください!」
「ちょっと、ちょっと!」
「ほら、早くっ! 早くっ! 早くっ!」
再度急かすように、後ろから肩をグイグイと押され、前へと進む。
こいつに易々とついていくのは少し抵抗があったけど、ここにいてもしょうがない。
それに、これは所詮夢なのだから。
「分かった、歩くから、押さないで!」
私が自分の意思で歩き始めると、案内人の青年は私の前に移動し、私に声をかけながら先行を歩みはじめた。私は仕方なく、その後ろを追いかける。
「あれ?」
いきなり場面が変わった。
案内人の後ろをついて暗闇を進んでいたはずなのに、いつの間にか椅子に座っている。
ここは、見覚えがある。
高校時代の学校の美術室だ。
目の前には大きなキャンバス。キャンバス越しにはデッサンの練習で使われる石膏像があった。キャンバスにはその石膏像が途中まで絵描かれている。
私はいつの間にか手にしていた鉛筆で絵の続きを埋めていく。
なぜこんなところで、こんなことをしているのか、という疑問は描いている途中で次第になくなった。
私は絵を完成させていくのに夢中になり、描きあげている間、ただただ手を動かした。
無我夢中に。
描き上がった石膏像の絵を見て、私は自然と笑みがこぼれた。
その達成感のような、ノスタルジーのような感覚の余韻に浸っていると、背後から声が聞こえた。
「どうでした? 今回の案内は終わりますね」
ハッと目を開けると、私は布団の中にいた。
そうだ夢だった、としばらくぼんやりと天井を眺めていたが、隣からの「お母さん?」という声で我に返り、朝の支度にとりかかった。
✳︎
「うーん……奥様もしかして昔会ったことあります? 僕ね、人のこと覚えるの苦手なんですよォ〜〜。奥様はどうです? 僕のこと知っていますか?」
「……思い出した。あなた“夢案内人”ね」
「知っているということは僕も会ったことあるってことですね。じゃあ、説明いらないですね。はい、こちらにどうぞ、どうぞ、どうぞ!」
「分かった、分かったから、そんなに早く行かないで」
思い出した、“夢案内人”。
10年前に、確か夢であった。
10年も前に一度夢で見ただけだというのに、今の今まで忘れていたというのに、はっきりと思い出した。
目の前の青年の容姿はまったく変わらない。夢の中なのだから歳なんてとらないのかもしれないけど。
「こっちですよォ〜〜」
「はぁ。せっかちなのは変わらないのね」
急ぎ足で進んでいく案内人の後ろを、私は小走りで追いかけた。
あの時と同じようにいきなり場面が変わった。
私は自宅のリビングにいた。
中学生の娘が学校の課題のポスターを製作中だ。娘はやる気がないらしい。
小言を言いながらも、つい手伝ってしまう。下書きをし、絵の具で色を配置していく。娘の課題だというのに、手が止まらない。
娘が何か言っていたが、言葉が耳に入ってこず、私は色を塗る手を止めない。私の視界は目の前のポスター用紙で覆い尽くされていた。それ以外のことなど考えられないくらいに没頭し、絵を描き進めていく。
ついにポスターは、私の手によって完成されてしまった。
私は我に返り、娘に謝ったが、娘は「いいよ」と言い、ポスターを持ってリビングを出て行った。
私がしばらく呆然としていると、背後からあの声が聞こえた。
「今回はどうですか? 案内は終わりますね」
目が覚めたようで、私は自分のベッドの上にいた。
目覚まし時計が鳴り響いている。
高校生の娘は朝の部活で忙しい。送り出すために私は支度に取りかかった。
✳︎
「奥様。さすがに3回目になると僕も人の顔を覚えますよ。逆に3回くらい会わないと覚えられないんですけどね」
10年前に会った“夢案内人”が、私の目の前に立っている。そして相変わらず、姿は変わっていない。
「……あなたって、10年ごとに会いにくるの?」
「別にィ〜〜? 決まっていませんよ。夢は気まぐれなんです。むしろ20年経ってもまだ会える方が……ああ、いえ。今回も案内しまーー」
「そうね、お願いするわ」
「……それじゃあ、ほら、ほら、ほら! 早く行きましょォ〜〜」
「なんで、走るのよ〜〜!」
この子、前よりせっかちになってないかしら……。
走って先に進む案内人の後ろを見失わないように、私も走って追いかける。
まるで白ウサギを追いかけるアリスのように。
場面が変わる。
ここは、結婚する前の私の実家、私の部屋だ。小さい頃の。
初めて買ってもらった色鉛筆でスケッチブックに母の似顔絵を描いていく。
それが楽しくて。楽しくて……。
“楽しい……”。
“大きくなったら……”。
…………………………………。
……ああ、そうか。
「……ねえ、案内人? 聞こえてる?」
「はい。……一応ウェントワースって名前があるんですけどね」
「……ウェントワース、あなたの役目って……」
「僕は夢を案内するのが役目です」
「……あなたが案内する先は、私の“将来の夢”……いえ、“夢だったこと”。案内する人は、“夢を諦めきれていない人”なんでしょう?」
「…………」
私は小さい頃、絵描きになるのが夢だった。でも家は貧乏で、「諦めてほしい」と母に言われた。
私は諦めて別の仕事についた。
今の仕事も決して嫌ではない。むしろ「天職だ」と娘に話したことがある。
でも、きっと、心のどこかで、まだ絵描きになりたい自分がいる。
3度の“夢”旅行で、私はそれに気がついてしまった。
「私、まだ諦めきれていないのね。もうこんな歳なのに……」
「ちょっと違います」
「……え?」
いつのまにか隣にいたウェントワース。
否定の言葉に、驚いてそっちを見る。
「僕が案内するのは、“夢追い人“です」
「“夢追い人”? 諦めきれていないのと何が違うの?」
「“夢追い人”は、今でも夢を追い続けている人のことです。“諦めきれていない人”というのは、ただ呆然と未練がある人です。似ているようで、全然違います。でもたまに、追い続けていることを忘れてしまう人もいるんです。……その案内をするのが僕の役目です」
「夢を追い続けている? 特別何もしていない私が? もう50歳よ? それに……」
「う〜ん、そう言われてもねェ〜〜。僕はただ案内するだけですからねェ〜〜」
「…………そう」
追い続けているを忘れている。ただ諦めきれていないのではなく、心がまだ夢を求めている。
50歳の私は、まだ夢を追いかけていいのかしら……。
「……あ、そろそろ起きる時間ですよ」
そう告げられると同時に、世界が薄くなっていく。だんだん夢と現実の境界が曖昧になっていく。
起きかけるその直前に、ウェントワースの声が聞こえた。
「最後だと思うので、もう一つ。僕は“夢を掴んだ人”と、“夢を完全に諦めた人”の前には現れません。そういうことで、それでは」
ーー良い現実を。
瞼の重みを感じる。目を瞑っている感覚がある。現実に戻ってきたのだと頭が理解し、瞼を開ける。
横に流れていた涙を拭きながら、私は起き上がり、朝の支度を始めた。
もう社会人になった娘は朝食を済ませると、居間でスマホをいじっている。
「……ねえ、SNS 、だっけ。そのやり方教えてくれる?」
「え?! どうしたの急に?」
「うん、ちょっと、その……絵をみてもらいたいなって……」
プロでもないのに、SNSにあげたところで、「絵描きになる」という夢には繋がらないのかもしれない。
でもひとりでもいいから、私の絵を見てほしい。私の世界を知ってほしい。
込められたメッセージを、受け取ってほしい。
「……やっぱり難しいかな」
「いいじゃん! やってみなよ!」
「だ、大丈夫かな?」
「大丈夫じゃない? お母さん、毎日絵描いて練習してるでしょ?」
「え?」
……ああ、そうか。
スケッチブックに描かれた絵を見る。
フワッと窓から入ってくる風に、背中を押されたような気がした。
「お兄さん、はじめまして。……ですよね? それじゃあ、行きましょう! 早く! 早く! 早 ……はい、僕ですかァ? 僕は“夢案内人”です」
「それではご案内します」
「あなたの、“夢”を」
おしまい