落語日記 こみち師匠が楽しそうだと観客も楽しくなるという独演会
こみちのすべて 2024
10月14日 日本橋社会教育会館ホール
柳亭こみち師匠が、落語以外に日舞や歌を披露する独演会。こみち師匠の好きな芸事を思う存分に披露するという会。ほとんど自己満足とおっしゃるが、観客を楽しませたいという姿勢は一貫している。本人が楽しそうだと観ている者も楽しくなるという好例。大いなる自己満足は、観ている者の満足にも繋がっていくということを体現されている。
金原亭駒介「道具屋」
前座は、もうすぐ二ツ目を昇進控えた駒介さん。久し振りに拝見、自信に満ちた高座振りになっていた。
柳亭こみち「寿限無」
まずは、この会のコンセプトの説明から。この日に披露することは、自分のやりたいことのすべてです、これを了解のうえ観てください。そんなこみち師匠の呼びかけに、満員の客席は百も承知感にあふれてにこやかに聴いている。こんな前のめりな客席も珍しい。自分の好きな芸を思いっきり披露したいというこみち師匠を後押ししているかのような客席の雰囲気。どちらかと言えば、落語ファンというより、こみちファンが多く集まっている感じがする。
客席を見渡し、老若男女で満員の観客に、嬉しそうな表情を見せるこみち師匠。客席から私の隣に座っている小学生の男の子を見つけ、「きみは何年生?」と高座から問い掛ける。2年生との答えに、発言には気を付けますとの応答で笑わせる。高座からよく見えていることが判り、びっくり。
ご自身の芸名の変遷の話。師匠である燕路師匠の前名が「九治」で、その一番弟子なので「九ノ一」という候補があった。結局、小三治師の小と、燕路師匠の路をとって「こみち」に落ち着いた。
この名前は、字画が二十四画で芸名としてはもの凄く良い名前らしい。あまりに良すぎるので、小三治師が、少し汚した方が良いとの話があったとき、三三師匠が「ごみち」、それを聞いた小三治師匠が「ごみ」でどうだ、そんな芸人の名前イジリのエピソードが楽しい。
そんな名前のマクラから本編は、なんと前座噺。とは言っても、ただの寿限無ではない。こみち流の改作は女の子版ではなく、なんと双子バージョン。それも男の子と女の子の双子なので、通常の寿限無の命名の他に、女の子版の寿限無風な名前を考えてもらう。この女の子版の名前が寿限無をもじったもので、馬鹿々々しくて笑える傑作なもの。この構成は、さすが。下げも、寿限無の噺の矛盾を突いたようなもので、見事だった。
林家けい木「お見立て」
二ツ目枠のゲストは、来年の3月に真打昇進を控えているけい木さん。この日は、お目出度い助演陣。スターウォーズファンを公言しているので、同じファンとしても応援している。
本編は、お馴染みの廓噺。けい木さんは新作も掛けるが、最近聴いたのはみな古典。
若い衆の喜助は、気弱で喜瀬川の言いなりなところが楽しい。この喜助は若衆(わけいし)もしくは妓夫太郎(ぎゅうたろう)と呼ばれる遊廓でも最下層の奉公人である。花魁にも客にも逆らえず、辛い立場にある。けい木さんの喜助は、そんな辛さを強く感じさせながら、どこか呑気で気楽な表情は落語的な喜助だった。
うたのこみち with 黒い女たち「恋の季節」
ミッションインポッシブルの出囃子が流れ、客席から黒いドレスにサングラス姿の女性7名が舞台に上がってきた。舞台袖からは、ドレス姿のこみち師匠が登場。これには、客席拍手喝采。
カラオケが流れて、黒い女たちがバックコーラスで、こみち師匠は恋の季節を熱唱。ほんと、気持ちよさそうだ。
仲入り
日本舞踊「越後獅子」 吾妻春美こと柳亭こみち
きちんとした舞踊の装束で登場し、越後獅子を披露。所作が綺麗で、見事な舞踊。さすが、吾妻流の名取り。これも、こみち師匠の趣味、楽しそうだ。
トークコーナー
舞踊のためにいったん外した舞台上の高座を、再度設置するための時間繋ぎ。いったん下りた緞帳の前の細い隙間の舞台に、こみち師匠がマイク片手に独りで立つ。会場で事前に集めた質問に、ひとつひとつ丁寧に回答していく。この回答が、本音半分ギャグ半分で、会場を沸かせる。
柳亭こみち「死神婆」
緞帳が上がり、再び登場。趣味の余芸を思いっきり披露したあとの満足したような表情。しかし、このバラエティに富んだ出し物はけっこう気力体力が必要だと思うが、好きなことだからか疲れた様子は見せていない。
本編は、前日の遊雀師匠の一席に続いて二日連続の死神。なので、演者ごとの違いが明瞭に浮かび上がって聴ける。特に顕著な違いとして、こみち師匠は死神をお婆さんに変えるという、こみち流の改作を披露。題して「死神婆」で、他の女性落語家が何人もこの噺に挑戦されていて、女性版死神のスタンダードになってきている。
この噺の主役である医者になった男、これがかなりいい加減さにあふれ、人生を舐め切っているような人物に描かれている。その男と対照的に、死神婆さんが不気味ではあるが、ちょっと愛嬌のある婆さんなのだ。また、いたずら好きな婆さんという印象もある。
普通の死神は、どこか人外の異形な存在を感じさせるのだが、この死神婆さんは人間ぽさがあって、この描写は面白い。なので恐怖は感じさせず、主人公の男も婆さんだからと死神をなめている風なのだ。
ところが、下げにあたる場面では、強烈に怖さを感じさせる死神になる。特に、主人公が女性を馬鹿にしたことにより、女性を怒らせると怖い、ということを下げで見事に表現した。なんせ、この死神の婆さんが主人公にとどめを刺すのだ。今まで聴いた死神で、こんな下げは初めて聴いた。ここにも、こみち流の工夫が凝らしてある。いつもながら感じる、こみち流の改作の凄さ、死神でも発揮されている。