落語日記 江戸っ子は、ご馳走するのもされるのも大好きなのだ
興(きょう)の料理 -隠し味は、たくら味(み)-
7月31日 柳橋 共和会館5階
浅草橋駅から歩いてすぐの貸会議室を会場とする落語会。扇蔵師匠がレギュラー出演されている会で、一年ぶりにお邪魔した。最近は出演者の顔ぶれも固定化してきて、定期的に開催されている。
主催者の名前、中村裕明企画のローマ字読みの略称がNHK。なので、NHKの番組名をもじって、毎回この落語会のテーマとして掲げている。
この日は「きょうの料理」のパロディで「興の料理―隠し味は、たくら味」と洒落て、料理が登場する噺をネタ出しでラインナップ。「献立 鯛の刺し身 かつお もてなし・珍味」というサブタイトルを付けて「猫の災難」「鼻利きの長兵衛」「ちりとてちん」の三題。
この日の三席を聴いてみて、チラシには書いていない共通するテーマを発見した。それは食事を「奢られる(おごられる)」ということ。サブタイトルの中の三席目が「もてなし・珍味」とある。しかし三席とも、もてなす側が本意かどうかは別にして、他人から食事や酒を奢られる場面のオンパレードだ。主催者は意識していないかもしれないが、結果的に他人にご馳走されることが、この日の三席の共通のモチーフとなっている。
考えてみれば、食事が登場する噺では、他人にご馳走する場面、奢る場面が多い。この日の「猫の災難」「ちりとてちん」の他にも、「二番煎じ」「河豚鍋」「味噌蔵」「寄合酒」「青菜」「目黒のさんま」「阿武松」「家見舞」「ん廻し」「黄金の大黒」「本膳」「寝床」など、数多くの落語にご馳走する場面が登場する。
不本意ながら、結果的にご馳走したことになってしまった噺も、結構思い当たる。この日の演目では「鼻利き長兵衛」がそうだが、これ以外にも「そば清」「鰻の幇間」「饅頭こわい」「王子の狐」「転宅」「付き馬」などが思い浮かぶ。
これらから分かることは、江戸の人達が他者へ歓迎の気持ちを表現する方法として、分かりやすいのが食事をご馳走する行為だということ。そして、逆に反抗的・敵対的姿勢を端的に表現する方法として分かりやすいのが、相手を騙してご馳走させるという行為。つまり、落語においては食欲という人間の本能が、他者に対する感情表現に使われている。これは、私の見解。
この江戸っ子の分かりやすい行動が、落語の楽しさの源泉なのだと、食をテーマとする落語会だからこそ気づかせてくれた。
毎回、こんな風に洒落の効いたテーマを付して、ひと捻りした番組を構成されている。レギュラー出演者も、柳家さん遊師匠・桂藤兵衛師匠・入船亭扇蔵師匠の三人が固定化して、定例化して継続されるようだ。我が家から徒歩圏内の近い会場、渋い出演者と凝った構成、これからも通いたい落語会なのだ。
入船亭扇太「一目上がり」
今年の五月下席より二ツ目に昇進され、扇ぽうから扇太に改名。この扇太という名前は、若くして亡くなった先代(三代目)扇蔵師が二ツ目時代に名乗っていた芸名。入船亭所縁の由緒ある二ツ目名。この名前からも、師匠の扇太さんへの期待の高さが伺われる。
丸刈りで童顔の風貌は、商家の小僧定吉、もしくは寺小僧の珍念を彷彿とさせる。まさに、落語世界の小僧顔だ。このキャラを活かした演目はおそらく得意のはず。しかし、この日は早合点の粗忽者が可笑しい滑稽噺。噺に忠実できっちりとした正統派な口跡で、師匠扇遊師匠の語り口を完コピしているところは、優等生の印象。これから、個性を磨いて行って、不良としての遊びも見せて欲しい。
柳家さん遊「猫の災難」
マクラは、ヤクルトの連勝の話題から。この世間の話題をのんびりと語るマクラが、さん遊師匠の魅力。そこから、大酒飲みの話題へ。先代小さん一門の酒豪たちを、兄弟弟子の実名をあげて紹介。その酒席での失敗談は、皆さんのお顔が浮かぶだけに楽しい話となる。さん遊師匠の貫禄とのんびりした語り口によって、皮肉の効いた兄弟弟子たちの失敗談からは、後味の悪さを感じさせない。
本編は、さん遊師匠らしさあふれる、ゆっくり流れる時間が楽しさや可笑しさを産んでいる一席。いつの間にか酔っ払っている熊さんが、良い味をだしていた。
桂藤兵衛「鼻利き長兵衛」
藤兵衛師匠は久し振り。真夏という季節、年を重ねると辛くなってくる。やはり、初夏がちょうど良い。そんな落ち着いた口調のマクラでは「目には青葉、耳ホトトギス、初鰹」という初夏を象徴する有名な句についての解説。これを受けた江戸っ子の揚げ足取りのような川柳が「目と耳はただ、だが口は銭がいり」を紹介。青葉とホトトギスで初夏を味わうのは無料ですが、初鰹は高価なものです。そんな分かりやすい解説から、この日の噺の世界に引き込んでいく。
噺は初めて聴くもの、珍しい演目。どこかで酒席が開かれていることを鼻を利かせて嗅ぎつける特殊能力を持つ長兵衛と、その周辺の人たちの騒動を描く。なんとか長兵衛に見からないように酒席を開きたいと、江戸から離れた王子で宴会を開くも発見されてしまう。その後、やって来た長兵衛に対する周囲の人たちは、嫌がっているようで、実は優しさを見せる。まったく仲間外れにしてしまわないところ、これが落語世界の住民たちが愛すべき人々だと感じる由縁。
口跡明瞭で穏やかな語り口の藤兵衛師匠ならではの一席で、久々に拝見したが、ますます藤兵衛ファンになっていった。
仲入り
入船亭扇蔵「ちりとてちん」
最初の挨拶では、大先輩を前方にして自分が主任をとることを、順番でそうなったとはいえ、大変恐縮されているようだ。
この日は、食事と飲酒の場面が共通している演目が並ぶ。酔っ払いも登場したことを受けて、昔の日本酒はアルコール度数が高かったという説を披露。何故なら、酒税の課税の仕組みが、今は販売量に対する課税だが、当時は生産量に対する課税だったので、節税のために度数の高い酒を造って薄めて売っていたから。こんな訳で、日本酒も濃かったらしい。でもこれは、楽屋における話なので楽説、あてになりません、とオチを付ける。
お世辞が人と人の関係で潤滑油を果たすような役割があることを伝える、簡潔なマクラを振ってから本編へ。
この噺に登場する二人の客。世辞が上手く愛想の良い男と、世辞が言えず不愛想な男。この真逆の性格を持つ二人の男たちの、極端化された言動が可笑しさを生む。対比されることによるギャップが、可笑しさを増大させる。そんな噺の持つ可笑しさの根源を、丁寧な語り口できっちりと聴かせてくれた扇蔵師匠。
歯の浮くような、明らかに嘘と分かるお世辞でも、言われた方は悪い気がしない。皮肉や嫌味を感じさせない世辞男。それに対して、決して褒めない、不愛想で天邪鬼で知ったかぶりの男。虐めても後ろめたさを感じないくらいの憎らしさを感じさせるので、悪を懲らしめる爽快感と共に大笑いできる。
そんな様に二人の男の性格を、観客を心地よく納得させるのに丁度良い塩梅で、極端化してくれた扇蔵師匠だった。
この知ったかぶり男が仕方なく、ちりとてちんを食べる場面はこの噺の見せ場。真相を知っている観客は、その強烈な味を想像して気持ち悪くなる場面。ここでは、得体の知れない不気味な代物ではなく、最低限の不味い食べ物であることを感じさせてくれれば、観客は許容範囲だろうと考えている。扇蔵師匠が見せる表情は、不味い食べ物を食べてしまったという表情で、安心して笑えるもの。そんな安心感が扇蔵師匠の魅力なのだ。