落語日記 圓朝の長講に挑んでいる遊馬師匠
三遊亭遊馬独演会 真景累ヶ淵 通し公演 中編
7月14日 国立演芸場
三遊亭圓朝作の名作「真景累ヶ淵」の全編を前編中編後編とに別けて、3ヶ月連続での通し公演に挑戦されている三遊亭遊馬師匠。
この演目は、怪談噺として前半部分のみを取り出して掛けられることが多い。特に「豊志賀の死」の段は、単独の怪談噺として、夏場によく掛けられてる。また、かなりの長編ということもあり、この演目を全編を通して聴く機会は、ほとんどない。前半部分のみを掛ける演者は多いが、通しに挑戦する演者は少ない。なので、この日に口演された中編以降の部分を、今までに聴く機会がなかった。
そんな状況をみても、この演目の通し公演はなかなかに画期的であり、かつハードルも高い挑戦だということが分かる。
遊馬師匠は、昨年の寄席の主任興行で「牡丹燈籠」を連続物として掛け、また独演会では「鏡ヶ池操松影」を公演するなど、圓朝物に挑戦されてきた。そして今年は、満を持して「真景累ヶ淵」の通しという高い壁に挑戦しているのだ。
そんな遊馬師匠の奮闘ぶりと、この演目の後半部分を聴きたくて、中編を掛けるこの日に出掛けてきた。
開演前、前座のアナウンスで粗筋が会場に流れる。連続物公演ならではの工夫によって、開演を待つあいだに期待が高まる。
今回の日記は自分の備忘録でもあるので、筋書きも簡潔に記述するネタバレの内容となっているので、この点につき予めご了承願いたい。
「お久殺し」「お累の婚礼」
緞帳が上がると、高座の背景は簾がはめ込まれた障子、簾戸。その簾から透けて見える裏側には、つりしのぶが吊るされて、涼し気な演出。
前座なしで、いきなり遊馬師匠が登場。まずは、この演目の発端の「宗悦殺し」から「深見新五郎」「豊志賀の死」までの前半部分を簡略化しておさらい。長い噺を要約してポイントを外さず再構成するのは、かなりの技量がいる。この日の遊馬師匠は、重要な鍵となる場面をピックアップして、前半の粗筋を上手くまとめてダイジェスト版として聴かせてくれた。ここまでの部分は、それぞれが独立してだったり、リレー形式だったりして、今までに何度も聴いてきた。なので、遊馬師匠の粗筋のまとめ方の上手さがよく分かる。
「真景累ヶ淵」というタイトルで掛けられるのは、ほとんどがこの前半部分なのだ。このおさらいが終わったところで、続けて、豊志賀の墓前で再会した新吉とお久が衝動的に駆け落ちする中編に突入。二人はお久の実家の羽生村(茨城県常総市羽生町)へ向かう。
道のりの途中、法蔵寺裏手辺りの鬼怒川沿いの「累ヶ淵」と呼ばれる場所を通りかかる。この場所は、演目の名前にもなったくらい、この演目にとって大事な鍵となる場所。
ここは古来より、陰惨な事件があった場所として、怨霊の祟りがあると言い伝えられてきた場所。圓朝師の創作当時も、心霊スポットとして、実際に有名な場所だったらしい。ここで生まれた「累(かさね)伝説」が、江戸時代に広まり、芝居の題材として何度も登場してきた。そんな累伝説を元に、その伝説の場所を噺の舞台にして、圓朝師が作り上げたのがこの演目。
現在、怪談噺としてよく掛けられるのは「豊志賀の死」まで。そこには、累ヶ淵は登場しない。この演目の名前の由来となる地名は、この「お久殺し」の段になって初めて登場する。そして、この累ヶ淵における陰惨な場面がこの演目を象徴することや、演目名に使われている訳も、「お久殺し」まで続けて聴くとやっと理解できるのだ。
この累ヶ淵の場面に来ると、舞台も客電も落とされ、遊馬師匠のみが照明で浮かび上がるという舞台演出。この暗闇のなかで、お久が豊志賀のように、あなたは薄情な人だと迫り、謝りながら新吉を責めていく。あたかも、豊志賀がお久に憑依したかのよう。トドメは、お久が豊志賀のような醜い顔面に変わっていく。豊志賀を思い出したのか、思わずお久を殺める新吉。ここでの遊馬師匠の熱演によって、新吉の恐怖心が陰惨な殺人を引き起こしたことが伝わってくる。
客電が戻り、場面も移る。その後、新吉が出会うのは、土手の甚蔵という悪党。遊馬師匠が見せるこの悪人甚蔵が、抜群に上手い。そしてこの甚蔵が、この後も新吉と絡んでくる。
お久の墓参りで出会ったのが、美貌のお累(るい)。累伝説に登場する悪女の名前をそのまま落語に借用した圓朝師。累伝説が知られていた初演当時は、この名前だけでインパクトがあったに違いない。
ところが、新吉と関わった後に、このお累が囲炉裏で煮え湯を被り大やけどを負い、その美貌も醜い顔に変貌する。ここでも、お累は豊志賀を思わせる。そして新吉は、そんなお累と祝言を上げ、子供を宿したところで、仲入り。
仲入り
「勘蔵の死」「お累の自害」「聖天山」
後半は、新吉が江戸にいる叔父の勘蔵から呼ばれ、勘蔵の死に際に自分の氏素性・出自を聞かされるところから再開。自分が深見新左衛門の次男であり、兄がいることも知る。
江戸からの帰りの駕籠が小塚原の刑場を通りかかり、獄門の兄と対面。この辺り、かなり新吉を追い詰める無理くりな設定だ。
お累に子供が生まれると、新吉の兄にそっくりな気味の悪い顔立ち。顔に大やけどを負ったお累と気味の悪い子供に囲まれて、ノイローゼとなる新吉。
勧められたお久の墓参を重ねて、病から立ち直った新吉。しかし、その墓参の際に、今度は名主の妾のお賤(しず)と出会う。まるで、お久が次々と新吉に女性を結びつけているかのよう。そして、お約束のように、妾宅に入り浸ってお賤と逢瀬を重ねる。ここから、人間がガラリと変わってしまった新吉。
後半の新吉は、人が変わったかのように放蕩で自堕落な悪人となる。その変貌ぶりが凄い。自宅の蚊帳の中で寝ているお累と息子。その蚊帳を剥ぎ取る新吉。ここは、遊馬師匠の見せる鬼のような表情で、新吉の非情さが強烈に伝わってくる。この遊馬師匠の熱演で、観客はその強烈な非情さに衝撃を受けたことだろう。
お賤のいる妾宅での新吉の表情は、完全に悪人。甚蔵より怖い。この後、息子を新吉に殺されたお累が自害して果てる。新吉は吹っ切れたように、お賤と二人で名主や土手の甚蔵を次々と殺害していき、そんな陰惨な場面が続く。極悪コンビの誕生だ。ネットで読んで判ったのが、新吉とお賤との意外な人間関係。この二人にはそんな繫がりがあったのかとビックリ。遊馬師匠の口演では触れられていない。
この日の中編でも、幽霊らしき姿は登場するが、実は夢の中の話だったり、恐怖ゆえの妄想による幻影だったり、心理的な現象として描かれている。圓朝師が描いているのは、人間の感情の持つ怖い側面。そして、恐怖によって壊れた人格が引き起こす犯罪。これらを目の前に突きつけることで、観客を恐怖の世界に引きずり込んでいく。幽霊より、生きている人間の方が怖いのだ。
今回の遊馬師匠の熱演による中編を聴いて、前編からの流れを振り返り、その流れから感じたことがある。「豊志賀の死」までの物語において、殺された側の強い怨念が噴出し始める。ここまでが、まさに復讐劇の序章。この後の「お久殺し」から、殺した側を象徴する人物として新左衛門の息子である新吉に対する殺された側の怨念が襲い掛かり、悲惨な物語が始まるのだ。
その結果、殺人者の息子が再び殺人を繰り返す。親と同じ罪を息子が犯し、罪を重ねる。この罪を「重ねる」という筋書きが、伝説の悪女の名前の「累(かさね)」から想起されたものという気がしてならない。そう考えるのは、うがち過ぎだろうか。
この演目は、累伝説を題材にして、理不尽で無惨に殺された宗悦の怨念による復讐の物語を圓朝師が描いたもの。ここで描かれている物語は、殺した側の子孫が、殺された側の子孫によって悲惨な運命をたどるという因果応報を描いている。しかし、結果的に、殺した側も殺されて復讐する側も、どちら側もどんどん不幸になっていく。復讐劇の爽快感はない。辛い悲しい感情のみが残る物語なのだ。
最終的にこの復讐劇の大団円は、どんな結末を迎えるのか。ここまで陰惨な光景を繰り返し描いた圓朝師が、どのようにして物語に決着を付けるのか。この日の中編を聴いて、ますます後編に興味が湧いてきた。
中編を語り終えた遊馬師匠は、そのまま高座に残り、ご挨拶と解説を話された。
終わってみれば、ロビーに貼りだされていた予定表の時間割が、本番では大きく変更されていた。この訳を遊馬師匠が話してくれた。
前半部分を語っていて、その途中で急遽思いついて変更されたとのこと。それは、その後に陰惨な場面が続くので、空気を変えるために、区切りのよいところで、いったん休憩時間を入れたとの説明。公演前には稽古を重ねて公演時間や仲入りのタイミングを決められたはずが、その口演の最中に変更された。まさに、落語は生き物ということだ。
この演目の通し公演では、この日の「聖天山」までで終わることがほとんどらしい。かの圓生師もここまでで終えているようだ。なので、次回の後編は、ほとんど掛けられていない場面。掛けられないのはそれなりの訳があるようだが、遊馬師匠はそんな未開の領域に挑むのだ。ここまで聴いたら、最後まで見届けたい。
前方で拝見していたので気付いたのだが、遊馬師匠はマイク無しの肉声での口演だった。元々、声の大きさで定評のある遊馬師匠だが、この日も会場に響き渡る生声の迫力。ほんとうに、凄い高座を観せていただいた。