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落語日記 地域落語会で骨太で硬派な高座を見せてくれた文菊師匠

第59回ととや落語会 古今亭文菊の会
9月1日 下板橋駅前集会所
毎回楽しみに通っている落語会。前回開催の6月30日の古今亭菊之丞師匠の会を欠席したので、3月31日の隅田川馬石師匠の会以来の半年ぶりの参加。文菊師匠の高座を拝見するのは久し振り、ととや落語会の出演も1年ぶり。なので、楽しみに出掛ける。
久し振りの文菊師匠の高座は、寄席で拝見していた気取ったお坊さんキャラではなくなっていた。常連さんばかりの客席で、このととや落語会のレギュラーでもある文菊師匠は、一見さんの多い寄席とはまた違った顔を見せてくれているような気がした。
にこやかな表情は変わらないが、柔から剛へ変わったという印象。骨太で硬派な本寸法の古典落語に対する気骨のようなものを感じさせる高座だったのだ。最近の寄席で拝見する機会がなかったが、芸風に変化を見せているのだろうか。このあと、寄席で文菊師匠を拝見する機会があり、そこでは気取った、いやらしいお坊さんのマクラは相変わらず。やはり、常連の多い地域落語会と寄席ではスタイルを変えているような気がした。
主催者の親方の計らいで最前列に座れたので、まさに目の前で対面して聴けたのだ。文菊師匠の発声を至近距離で聴けて、その大迫力の声量を全身で感じることができた。また、いつもお洒落な文菊師匠。この日の涼し気な麻の着物と絽の羽織も、目の前で拝見することができて、まさに眼福。

親方の余興「サユリさん」
恒例の親方の余興は、ヒロシですのテーマミュージックが流れてきたので、そのパロディキャラのタダシです、かと思いきや、オバサンキャラが登場。これが、一年前にタダシの代演としてデビューした、サユリさんというキャラ。お名前までは記憶になかったが、司会のお姉さんが教えてくれた。
ヒロシですのような自虐ネタではないが、最近の時事ネタを語るスタンダップコメディ。オリンピック、米不足、大谷翔平と、分かり易いネタの連続に、客席もノリノリで大受け。いつもながら、会場を一気に温める前座役・前説としては、見事に役割を果たす。

古今亭文菊「あくび指南」
常連さんたちの満場の拍手に迎えられ、いつものようなニコヤカな表情で登場。まずは、親方の芸に対してひと言。観客を楽しませたいという心意気を高く評価していると、真摯な表情で語る。親方イジリで笑いをとることせず、親方のサービス精神を芸人からみて評価された、文菊師匠の本当の感想だと思った。
マクラは、この日の昼間の仕事の話から。江東区の施設で、小学生の親子対象の落語会に出演してきた。小学生相手に1時間、落語を披露。子供たちは目の前の刺激に反応して、よく笑ってくれた。しかし、これは落語本来の可笑しさからくる笑いではない。落語の可笑しさは、脳に対する直接の刺激ではなく、下からジワジワと細かいさざ波のような空気の振動が流れてきて感じるようなもの。その細かい空気の振動を感じるのは、小学生では無理。
そして、この落語によって生まれる空気の振動のようなものは、演者だけでは作れない。演者と観客によって、会場にこの空気の振動が作られる。この会場に流れる空気によって、落語の可笑しさが生まれるとのこと。なかなか哲学的な話ではなるが、落語ファンなら納得できる話だ。
落語はどこでも披露出来る芸能と言われているが、実は会場の空気が大切である大変にデリケートな芸能。演者と観客が共に作り出すのが会場の空気、なので客席の雰囲気が非常に大切。
演り易い会場とそうでない会場がある。客席の9割が刺激を求めているような会場は演り辛い。例えば、宴席での高座や屋形船での高座がそうだ。屋形船は揺れるのだが、それはまだ良い。口演中に揚げたての天ぷらが配られる。そんな中で、落語で受けをとるのは至難の技。なるほど、こんな客席では、落語会や寄席で演るような芸をそのまま披露しても無理だろうことは素人目にも想像がつく。しかし、色々な場所で芸を披露することを求められているのも落語家の仕事、その時と場所に応じた芸が落語家の技量でもあるのだろう。そんなことを感じさせる話。笑わせながら、芸の本質を突いてくる文菊師匠だ。
文菊師匠は古典落語で勝負されている。その古典落語には、江戸の頃のノンビリとした空気や長閑な人々が登場している。そんな古典落語の中の世界を感じるのも魅力の一つであり、それを感じられるような会場の空気も必要なのだ。

古典落語に登場する江戸の職人は、みな見栄っ張りだ。昼前には仕事を終えるので、道楽に走ってゆとりがあることを装う。芸事などの趣味を持つというのも、職人の見栄なのだ。そんな職人の望みを叶えたのが、五目の師匠とよばれる何でも指南する町中にあった稽古屋。師匠は、若い女性、それも見栄えの良い女性の稽古屋の人気があった。そんな前振りから本編へ。
文菊師匠の得意分野でもあるので、噺は稽古屋かと思ったら、季節にちなんでこの演目。当然、稽古の題材は、夏の欠伸。
文菊師匠の前振りのおかげで、登場した二人の職人たちの稽古に行こうとする見栄の気分がより伝わってきた。この辺りも、本編へ入る前の丁寧な前振りが大切なことを感じさせてくれた。この肝心な前振りこそ、本来のマクラと呼ぶべき話だろう。
本編は寄席サイズだが、夏の欠伸のところを丁寧に。欠伸の師匠の決め台詞「退屈で退屈で、あ~あ(欠伸)」の後の「ならぬわぃ」の部分が大声の決め台詞風なところは文菊流。
噺の中で流れるゆったりした空気が会場にも流れ込んで、客席の皆さんもその空気を味わったことだろう。

仲入り

古今亭文菊「水屋の富」
本日は仲入りを挟んで二席。後半は、本編の前振りとなる江戸の水道の解説から入る。まずは、江戸っ子の自慢は「水道の水で産湯を使った」こと。そこから、江戸時代にあった水道、神田上水と玉川上水の詳しい解説。隅田川の東側は当然この上水が届かない地域。亀戸上水があったそうだが、日常的に水不足。そこで神田上水玉川上水の余り水を船に積んで運び、桶に入れて売っていた水屋という商売が生まれた。
そこから入った本編は、その水屋の清兵衛さんが主人公で、富くじに当たって大騒ぎするという噺。この噺自体は知っていたが、生で聴くのは初めて。おそらく、珍しい部類に入る噺だろう。おまけに登場人物は、ほぼ清兵衛さん一人。その喜怒哀楽だけで笑いを生むという、素人目に見ても難易度の高い噺。挑戦者が少ないのも分かる気がする。そんな演目に挑戦された文菊師匠。どんな演目でも挑戦して、古典落語を極めたいという心意気を感じる。

本編は、ほぼ清兵衛さんの一人語り。富くじが大当たりして、現ナマの大金を手に入れた清兵衛が、盗まれないかと疑心暗鬼になり、周囲に対する疑いと恐れによる不思議な行動が繰り返される。何度も安全を確かめずにはいられない、ほぼノイローゼ状態。気持ちは分かるが、その恐怖心や猜疑心は第三者から見ると滑稽だけど、それ以上に哀れで可哀想そうだ。
この清兵衛さんの行動を滑稽なものとして笑いに変えるのは、なかなかに難しいと思う。また、同じような行動を繰り返す清兵衛の様子を描いているが、ここを飽きさせずに引っ張るのも、まさに演者の技量。素人目にみても、そんな難易度の高い噺。
正直者ながら、思いもよらない大金を手にして、心配を抱えることとなってしまった男の悲劇。これを喜劇として楽しませてくれた文菊師匠。この難易度の高い演目を、個性を発揮し、見事な技量を持って披露してくれた文菊師匠だった。
次回は第60回という節目の回、主催者の親方は記念となる企画を考えているとのこと。楽しみに待つとしよう。


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