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落語日記 憧れの先輩を前にハイテンションの高座を見せてくれた遊かりさん

三遊亭遊かり独演会
6月15日 日暮里サニーホール コンサートサロン
通い続けている遊かりさんの独演会。前回に引き続き参加できた。この会は一定の常連さんがいる会だが、この日は初めて来られた観客がいつもに増して多いように感じた。遊かりさんが一席目の高座で、初めて来た方は手を挙げてくださいと尋ねたら、結構な方が手を挙げた。これは、この日のゲストが人気浪曲師の玉川奈々福先生であり、その影響が大きいようだ。

三遊亭げん馬「元犬」
圓馬門下の前座。この会は確か三度目の登場、遊かりさんに可愛がれられているようだ。
本編は前座噺としてお馴染みの演目。げん馬さんの一席は、人間になったら落語や浪曲も聴けるとか、細かいクスグリも多く笑い声も多く上がる。人間になってから、裸で恥ずかしいという感情が芽生えたという視点が新鮮。そんな羞恥心を感じた後も、裸のまま奉納手拭いを腰に巻いたまま口入屋へ同行するところも可笑しい。なかなか達者な前座さんだ。

三遊亭遊かり「千早振る」
この会のゲストは、遊かりさんが憧れていて背中を追いかけて行きたいと思っている先輩の真打を、毎回呼んでいる。そして、この日のゲストは、遊かりさんが長年憧れ続けてきた玉川奈々福先生。念願が叶った奈々福先生のゲスト招聘に、抑えきれない嬉しさや憧れの熱い想いがあふれるマクラとなった。
初めて奈々福先生を観たのが、遊雀師匠に入門が決まっていたが正式な入門前のころ。落語家になってからは観客席から演芸を観られなくなるので、その前に演芸を色々と観ておこうとしていた時期に、遊かりさんが浪曲を初めて聴いたのが奈々福先生の高座。このとき受けた感動は凄かったようで、遊雀師匠に出会う前だったら浪曲師になっていたかもという例え話からも伝わってくる。そんな奈々福先生をゲストに呼べる日がついに実現したのだ。遊かりさんが興奮を抑えきれないのもよく分かる。聴いていた観客も、胸が熱くなる。

6月12日は遊かりさんの入門記念日で、今年は入門して12年が経った。振り返れば、今日まで平穏に過ぎ去ってきた訳でもなく、そう見えないかもしれないが、薄氷を踏む思いもあった12年間だったとのこと。師匠や観客への感謝と共に、前座時代の楽屋での思い出など感慨深かげに語る。そんな楽屋でのエピソードで、知ったかぶる重鎮の師匠の話から本編へ突入。
遊かりさんのこの噺は、隠居ではなく長唄の女性師匠がいい加減な指南役を務める型。この女性師匠のもっともらしいインチキな解釈を疑わない八五郎、そのスケベ心が透けて見えるのが可笑しい。マクラで熱く語ったので、まずは短い滑稽噺からスタートさせた。

三遊亭遊かり「野ざらし」
一度下がって、着換えて再登場。江戸の頃は、男女比が2対1で圧倒的に男性が少なかったという話から。現代でも落語界はもっと男性社会で、前座時代の楽屋なんて女性は自分だけしかいないような状況。男性でも前座は一人前の人間として扱われない楽屋、セクハラなんて言葉も無かった時代。そんな中を女性前座として生き抜いてきた遊かりさん。そんな経験が、現在の高座での自信あふれる姿に繋がっていることだろう。そんな話から、昔の男性は女性なら幽霊でもよかったという導入で本編へ。
この噺は、3年前にこの独演会の第8回の主任ネタで聴いているので2度目。遊雀師匠の得意の演目でもあり、今までも磨き続けてきた演目だろう。お調子者の八五郎が、向島へ釣りに出掛けるが、終始ハイテンション。この日の遊かりさんの気分を反映させたかのようなテンションだった。

仲入り

玉川奈々福 浪曲「甚五郎旅日記 掛川宿」
曲師 広沢美舟
奈々福先生は、今年の5月から落語芸術協会の会員となった。今後は寄席でも拝見できるようになり、ますます活躍の場が広がった奈々福先生。これで芸協は太福先生と奈々福先生という人気者の浪曲師が寄席で顔付け出来ることになり、ますますバラエティさの幅が広がった。
高座にはテーブル掛けが飾られ、お二人が登場すると一層華やかになる。これも浪曲という演芸の特色。まずは、遊かりさんとのご縁のお話から。奈々福先生は、遊かりさんが初めて聴きにきてくれたときのことを覚えているそうだ。十年以上前のこと。新宿の歌舞伎町で、あまり観客も来ないような場所だったので、余計に印象に残ったようだった。以来、熱心に聴きに来てくれ、たまに一緒に飲む仲となったそうだ。
そんな後輩芸人から主催の会にゲストに呼ばれるといのが何よりも嬉しい。今回のゲスト出演を本当に嬉しそうに語る奈々福先生。

本編は、左甚五郎と狩野探幽という二人の伝説の芸術家を描いた演目。落語の演目では左甚五郎や伝説の絵師は常に旅をしていて、その道中の宿屋で騒動を巻き起こすパターンが多い。この浪曲でも、これらの例に漏れず、旅の途中の掛川宿の旅籠が舞台となる。
左甚五郎は、落語の中では人格者のスーパーヒーローとして描かれるが、浪曲のこの演目では、偏屈で悪戯好きな嫌な奴として描かれる。これは、狩野派中興の祖と呼ばれ日本一の絵師と称された狩野探幽も同様だ。ここでは、狩野探幽はかなり偏屈で奇妙な爺さんとして描かれている。この二人が、旅籠の番頭を凹ませる遣り取りが可笑しい。二人とも名人芸の腕前を発揮するのだが、それ以上に旅籠の座敷を滅茶苦茶にしてしまう。無声映画時代のスラップスティックコメディを思い起こさせるような大暴れ。
こんなコメディを節と啖呵で語ってくれた奈々福先生。落語でもお馴染みな名人が登場する演目は、落語会の常連を意識されたものだろう。落語ファンとしては、なかなかに新鮮な楽しさを味わうことができた。
マクラのときと違って本編に入ると、奈々福先生の会場に響き渡る迫力のある声量に圧倒される。鍛えられた声帯による歌の部分である節は見事なだけではなく、笑いも起こる可笑しいもの。セリフの部分である啖呵でも、変人たちの奇妙な遣り取りも見事。
奈々福先生の遠慮のない弾けた一席は、後輩の期待に見事に応えたものだった。

三遊亭遊かり「唐茄子屋政談」
奈々福先生の一席を、おそらく袖の至近距離で聴いていたであろう遊かりさん。興奮冷めやらぬ様子で登場。ついに実現した奈々福先生のゲスト出演、その喜びマックスの気持ちが伝わってくる。このまま終わりにしていいですか、そう語った遊かりだが、まんざら洒落じゃない本音半分だったと思う。
本編は、この日の唯一のネタ出しの演目で、遊かりさんでは初めて聴く。誓願寺店の貧乏長屋での心中騒動までを描く、通しの一席。なので、かなりの長講。終演時間も10時近くまで延びる。印象としては、この噺の後半部分の誓願寺店の場面は、かなり駆け足な感じだった。それでも、息切れすることなく、下げまで丁寧に完走した。
マクラは、現代の落語家志願者である若者たちの特徴の話から。落語家を目指す若者たちは、高学歴で大学の落研出身者が多い。その代表格が、真打昇進されたばかりの林家つる子師匠。その他の特徴としては、小さいときから落語が好きな落語オタクの少年が高校出ると同時くらいに入門するケース。彼らはみな、異様に落語に詳しい。
そして、最近とみに多いのが、重鎮クラスの二世の入門。落語家も二世が多いが、興味深い色物芸人の例としてあげられたのが、芸協の紙切り芸人の林家喜之輔さん。実父が三遊亭右左喜(うさぎ)師匠という二世芸人。この右左喜師匠が凄いのは、子供たちを落語家ではなく、色物芸人にさせていること。喜之輔さんの弟も曲独楽師のやなぎ南玉門下のやなぎ弥七として前座修業をしている。そんな芸人二世の話題から、若旦那の噺へ突入。

本編はかなりメジャーで、これからの季節はよく聴かれる演目。遊かりさんの一席は、前半の若旦那が初めて棒手振りで南瓜を売りに歩き、その辛い様子や周囲の人たちとの交流の場面を、ゆったりとした時間の流れで描いていく。その苦労に対して呑気で一気に改心したとは言えない若旦那の言動がいい。与太郎が売り歩くかぼちゃ屋と同様に、滑稽噺の香りが全体に流れているのもいい。
ところが、そんなノンビリとした空気が後半の貧乏長屋での心中騒動から一気に人情噺に寄っていく。噺の流れも登場人物たちの動きと同じく、加速がついて流れていく。これが、後半の駆け足感につながるところ。意図の有無は分からないが、この急加速が物語の流れの中では良い効果を生んでいる。
終盤で因業大家の家へ殴り込みに行った場面で、若旦那の啖呵の中に心に刺さるセリフがあった。大家が取り上げたお金は「親切な人たちの気持ちが込ったお金」なんだと強調する。わずかな売り溜めを稼ぐためにどれだけの苦労や周囲の人たち協力があったのか、呑気だった若旦那が身をもって感じたことを象徴するセリフだ。
お天道様と米の飯はついてまわるなんて呑気なことを言っていた以前の若旦那なら、到底出てこない言葉。わずか何文の銭でも稼ぐことの大変さ、また周囲の人たちがお互いに支えあうことの有り難さ大切さを、唐茄子を担いで売り歩くことで初めて気付かされた若旦那。それが、明確になるセリフ。前半の棒手振りの苦労が、若旦那を大きく成長させたことが分かる大きな一言。このセリフを効果的に伝えてくれることによって、物語の最後で前半の騒動が回収されることになる。

終演後に高座から、次回の告知。次回は第20回となる記念の会で、会場を内幸町ホールという大きなホールに変え、ゲストに蝶花楼桃花師匠とナイツという人気者を招聘。企画力も発揮して勝負に出た遊かりさんだ。
この日は、推しを前に終始ハイテンションだった遊かりさん。そして、いつもより終演時間が遅くなる長講も語り切った。まさに、奈々福パワーが後押ししたような高座だった。

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