落語日記 第15回一之輔たっぷり
8月31日 鈴本演芸場 夜の部
一之輔師匠の後援会主催で会員限定の落語会。ここ数年は鈴本演芸場の余一会を利用して開催している。前回も同じ8月の余一会で、昼の部に開催されていた。この日は、昼の部で一般向けの独演会を行ってから、夜の部で後援会主催の会、そんなハードな一日をこなすタフな一之輔師匠。
この日もコロナ対策のため、鈴本演芸場の客席も市松模様の配置で、いつもは満員となる人気の会が、定員削減で隙間が空いている。観客としては、逆に観やすくていい。いつもは家族会員もOKなのだが、定員削減のため今回は会員1名につき1席のみ、それも抽選。なんとか当選して参加することができた。そんなレアな会。
独演会のチケットが取りづらくなっているので、定期的に通えている一之輔師匠の独演会は、現在この会のみだ。
コロナ禍の影響だろうか、今回はいつもと違ってゲスト無し。その分、一之輔師匠が三席という構成。しかし、一之輔師匠が三席を務めることによって、結果的にトリネタとして「浜野矩随」を聴けることが出来るという良い効果が生まれたような気がするのだ。いつもの会なら、ゲストが一席なので、一之輔師匠は二席掛ける。なので、今回は三席掛けるので、二席のとき
よりも、演目選びに幅が生れたのではないかと思うのだ。例えば、滑稽噺で爆笑させるネタを二席掛けても、残りの一席は笑いどころの少ない人情噺を選択肢とすることができる。これは、一之輔ファンにとっては嬉しい効果だ。演目にバラエティさが生まれ、一之輔師匠の様々な側面を観ること
ができ、結果的に独演会を充実させることになったのではないかと思う。
ネットで見ると、昼の部でも三席口演されていて、「蛇含草」「臆病源兵衛」「居残り左平次」を掛けられたようだ。そして、夜の部のネタもこれらとかぶることはない。一之輔師匠には熱狂的なファンも多く、観客の期待度が高い中で、それに応えて満足させる高座を毎回務めているというハードな状況。なので、得意中の得意の噺、爆笑必至の鉄板のネタをかけたいと考えても不思議ではない。
この夜の部の前半の二席は、まさにそんなネタだ。しかし、トリの一席は爆笑の滑稽噺ではなく、なかなか聴けない人情噺をじっくりと口演された。コロナ禍による制約が、ネタ選びという会の構成においては、図らずもプラスの効果を生んだのではないかと思っている。そんな効果もあって、後援会の会員向けのマニアックな充実の会となった。
春風亭㐂いち「のめる」
開口一番は筆頭弟子で二ツ目の㐂いちさん。
マクラは、地方公演で愛媛県に行ったときのエピソードから。時間があって観光で松山城へ行った。年寄り夫妻の観光客ばかり、親切心からカメラマン役を引き受けて撮ってあげたら、他にも撮ってもらいたい人の列ができた。一門は大勢なので、カメラマン役は癖になっている。そんなサービス精神は師匠ゆずり。師匠も同じと、出待ちしているファンと勘違いして愛想を振りまいた話。
師匠の独演会でこんなにゆったりと長くマクラを振っていいの、本編もたっぷりだし。そう思っていたら、次に上がった一之輔師匠がマクラで、いきなり25分も演りやがった、破門です。会場は大受け。師匠の独演会でもマイペースな、㐂いちさん。本編も度胸っぷりが感じられる一席だった。
春風亭一之輔「浮世床・本」
開口一番が弟子へのお小言。一気に観客を掴む。そこからはノンビリとしたマクラ。一之輔師匠のマクラの楽しさは、世間のニュースや話題をご自身の身近なエピソードに結びつけた話にある。ご家族の行動やご自身の思い出話が、小噺のように楽しいのだ。まさに「噺家は世情のあらで飯を食い」を体現されている。
話題のとしまえんの閉園の話から。閉園になると駆けつける来園者。まさに閉店セール、アメ横にはずっと毎日閉店セールやってる店があると。しかし、勤務先が近くなので分かるのだが、コロナ禍でアメ横でも多くの店舗が閉店しているのだ。洒落の閉店セールでなく、本当の閉店セールになっている現実が悲しい。
そこから遊園地繋がりで、千葉で遊園地と言えばディズニーランドだが、遊園地と呼んでいいのか、そんな話から出身地の野田にある遊園地の思い出話で、会場を沸かせる。のんびりゆったりのマクラが聴けるも、この会の魅力なのだ。
本編は、いつもながらの、陽気でスラップスティックに弾けまくった一席で、客席をドッカンドッカンと沸かせた。某有名テレビドラマのタイトルを使ったオリジナルの下げが楽しい。
春風亭一之輔「船徳」
続けてもう一席。前の噺を寄席で掛けたとき、前座にネタ帳に演目名をドラマのタイトルで書かれてしまったことがあると嘆く。浮世床と書くより、一之輔師匠らしくて悪くはないと思う。
今日は他の寄席でも余一会、そんな話から、是非、寄席に来てくださいとお願い。コロナ禍で観客動員が難しい寄席を少しでも応援しようという気持ちが伝わる。
そこから世間話ではない本当の意味の噺のマクラ、「猪牙で小便千両も捨てたやつ」という川柳の話。猪牙(ちょき)と呼ばれる舟で吉原に通って、舟で上手に用が足せるようになるまでには、吉原で千両くらいは使っている
だろうということ。船頭さんから竹筒を渡され、船べりで用を足していたらしい。こんなマクラ振るのは珍しいかも。
本編はコンパクトにまとめた船徳。船宿の若い衆が大騒ぎするところは大幅カット。若旦那が船頭になりたいと親方に頼むと、意外とあっさり承諾する親方。しかし親方から「我慢しない、辛抱しない、嫌になったら直ぐ辞める」ことを約束させられる。こんな親方は初めてだ。
船頭になったとはいえ、船宿で舟の絵を描いてブラブラしている若旦那。寝っ転がって足をバタバタさせて畳で絵を描いている様子は、かなり可愛い。中々にキュートな若旦那だ。
四万六千日様で船宿のお得意二人連れを載せるところからの大騒動は、相変わらず。日記を見ると、一之輔師匠の船徳は7年ぶり。そんなに聴いてなかったのか、とちょっとビックリ。前回のインパクトが強かったからか。
しかし、前回は船頭になるにあたっての親方との約束はなかった。大きな進化だ。そしてこの約束が後半に効いてくる。バテバテになった若旦那が親方との約束を思い出し、船上で船頭を辞めることを決意。そうだ、左官になろう。ここで辞めるかと、とんでもない決意に爆笑。見事な時限爆弾が仕掛けられていた。
仲入り
春風亭一之輔「浜野矩随」
この船徳で随分体力を消耗されたような表情で登場。船徳は、今季二回目です。なかなか掛ける機会がない。普段やっていないと体力を消耗する噺、筋肉痛になってます、色々と言ってますが言い訳です。こんな正直な独白もネタになる。
若旦那の様に好きなことをして生きるのがいい。好きな仕事をするのがいい。仕事を決められた人生も辛い。そんな短いマクラから本編へ。
江戸は寛政年間、浜野矩康(のりやす)という腰元彫りという彫金の名人がいた。その名人が亡くなり奥方と息子の矩随(のりゆき)が残された。矩随は父の後を継いだが、腕前が悪く誰も相手にしなかった。
そんな短い前振りから始まる。この噺と分かったときは、結構ビックリ。一之輔師匠で浜野矩随を聴けるとは思ってもいなかったので、嬉しい誤算。
本編は、朝酒で酔った若狭屋の主人が矩随へ小言を言う場面から始まる。
三本足の馬の彫り物、父親である名人矩康の作品しか見ていない。本物の馬を見ていないから、父親の作品を手本にしているからこんな物しか彫れない、と説教。ここで矩随は父親を超えられていないことを伝えている。
この場面から一之輔師匠のこの噺の解釈のキモとなるところが表現されている。若狭屋が矩随に「手本のないものを彫りなさい」という熱いメッセージを贈る。これは、噺を聴き終わった後に分ったのだが、矩随が名人上手となるための指針となるメッセージであり、一之輔流解釈によるこの噺のメインテーマなのだ。
家に戻った矩随は、若狭屋に言われたことをそのまま母親に話す。母親はここで若狭屋の言ったことを理解する。そして、矩随に死になさい、その前に形見の品として観音様を彫って欲しいと告げる。父親は観音様を信仰していたので観音像は彫っていない言われ、ここで、手本のないものを彫りなさいという若狭屋の言葉を母親が理解していたことが伝わるのだ。
そして、形見の品、最後の作品となるものなので、命を懸けて一心不乱に懇親の力で彫ってみよ、そんな言外の母親の想いが込められた依頼。この依頼によって、矩随はついに開眼するのだ。
小僧の定吉が、若狭屋に来た矩随を父親の矩康に見間違えた場面で、この観音像が父親と同様の名人レベルの出来で見事に彫り上がったことに観客は気付くのだ。そして、若狭屋が父親の作品と勘違いすることで、この観音像の見事さが強調される。ここまで、この噺は若狭屋の熱いメッセージ以外は、言外の状況によって登場人物の心情を伝えている。これがこの噺で見せてくれた一之輔師匠の凄いところなのだ。
母親が最後は自害してしまう型。かなり辛い筋書きなのだが、この自害の後に矩随の辛い心情を描く場面はない。その後は、名人になった矩随の作品を若狭屋が上方の客に売る場面で、この噺は終わる。河童狸を高値で売りつける爆笑の場面だ。この場面でも、間接的にその後の矩随の精進や出世の状況を伝えてくれる。まるで矩随の出世を祝うかのように、母親の死による辛い心情を噺の奥に仕舞い込み、明るい場面で終わらせるという本当に良く出来た噺なのだ。
一之輔師匠は、こんな噺の持つ本来の味付けを壊さず、美味しく仕上げてみせた。