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『10億年前の少年、10億年後の少女』


 ここは、ある乗り物の中。
 空を飛んでいます。


「次に訪れるのは・・・私たち人類が〝滅亡〟して、およそ10億年後の世界です。この頃になると、私たち人類が、もう一度この地球上に繁栄しはじめています」

 観光ガイドの女性の言葉を熱心に聞く少年。

「人間がいるの? 会ってみたいな」

 少年の見た目は、現在の人間の風貌ではありません。
  透き通るように白くてすべすべの肌、
  痩せていて細長い手足、
  丸い頭に髪の毛は無く、
  大きな黒目に薄い唇、
  細いあご。
 そして肌にぴっちり張り付くような服を着ています。

「僕も会ってみたいね」

 少年の父親です。見た目は少年と瓜二つ。背の高い目線から、少年の肩に手をかけました。

「この〝教育旅行〟の、いい思い出になるよ」

「はい。自由時間をご用意しています。この先のポイントで、地上にご案内しましょう。20世紀と呼ばれるポイントです。ただし、この時代の人間とは触れ合うことができませんよ。彼らはまだ、時間を飛び越えるという概念や技術を持ち合わせておらず、存在する時空が私たちと異なるのです」

「そうなんだ。時間を飛び越えられないなんて、不便じゃないのかな」

 少年の素朴な疑問に、ガイドが答えます。

「彼らは、私たちと同じ進化の道を辿っている途中。私たちの祖先がそうだったように、彼ら自身はそのことを不便とは感じていないでしょう」

 空を飛ぶ乗り物の下部から、光のエレベーターが出現しました。
 太陽が、空に夕焼け色を塗り始める時刻。辺りはまだ明るいけども、エレベーターの光の筋が地上まで届いているのがはっきり見えます。

「では、地上をごゆっくりお楽しみください。後ほど連絡くだされば、お迎えに参ります」

 少年と父親が、手をつないでエレベーターに乗りました。少しずつ下がっていく視界に、少年が高揚しています。

「人工的な建物もたくさんあるけど、緑や自然も多いね」

「そうだね、感慨深いよ。

 この時代から見れば、僕ら人類は10億年前に一度滅びたんだ。超高水準の科学技術を携えて、穏やかに生きていた人類という種族は、一瞬にしてこの星から姿を消してしまった・・・宇宙の気象変動が原因でね。地上は、息絶えた僕らの体で覆い尽くされた。隙間も無いほどに。

 でも、亡き骸の細胞のひとつひとつは、滅びてはいなかった。何億年という時間をかけて、僕らの体は土になり、熟した。そして熟した土は、植物のベッドになり、微生物のベッドになった。ベッド、つまり養分だ。

 生命が再び誕生する手助けとなったんだよ」

「じゃあ、この時代の草や花は、僕たちの生まれ変わり?」

「そうだね、そうとも言える」

 光のエレベーターは、もうすぐ地上に到着です。

「人間はもちろん、草や花も僕らの生まれ変わりなのさ」

 少年も、見ている景色に壮大な歴史への想いを馳せました。

 その時です。
 少年の丸い目が何かを見つけて、もっと大きく丸くなりました。

「あ、鳥だ!」

 光のエレベーターが地上に着くやいなや、少年は父親の手を放し、光の枠から飛び出してしまいました。

 二人が手を繋いでエレベーターを降りなければ、同じ時間空間に出ることはできません。大切なことなのに、父親はそれを言い聞かせるのを忘れていました。

「ソピ!」

 父親が少年の名前を呼びましたが、間に合いません。違う時空に飛び出したから、その姿は消えるように見えなくなりました。

 父親は、すぐにエレベーターを上げて、ソピがどの時間空間に行ってしまったのか、ガイドに調査をお願いすることにしました。

 そうとは知らないソピは、鳥を追いかけています。走るわけではないのに、100メートルを一瞬で移動する速さです。
 それでも鳥には追いつかず、いつしか追いかけることを諦めました。

「やっぱり空を飛べないと、鳥には追いつけないな。・・・ね、お父さ、ん?」

 ようやく、父親と離れ離れになったことに気づいたソピ。辺りを見渡します。
 テレパシーを使ってみたけど、父親の声は返ってきません。

(もっと、お父さんの声が届きそうな場所に移動しなきゃ)

 そう考えて、さっき鳥を追いかけた時のような素早い動きで、移動をはじめました。

 何度か移動を繰り返した時のことです。
 この時代の人間が住んでいそうな家の窓際に立つ、ひとつの人影が視界に入りました。

(人間だ)

 ソピは、そのまま通り過ぎることができないほど、その姿が気になってしまいました。
 まるで広い草原に、一輪だけピンク色のお花を見つけたかのように。

(たぶんあれは女の子だ)

 ソピにとっては初めて見る、この時代の女の子です。
 ソピは2階の窓際に顔を向け、引き寄せられるようにゆっくりと、その家に近づきました。

 女の子は、手のひらをガラス窓にあててソピの方を向いています。
 住んでいる時空が違うからソピの姿は見えないはずなのに、まるでソピを見つめるような素振りです。

 女の子が、顔をぐっと窓ガラスに近づけました。そして・・・

「あなた、誰なの? 宇宙人?」

 ソピの頭の中に話しかけてきました。

「僕のこと、見えるのかい?」

 女の子が頷きます。

「宇宙人ではないよ。キミと同じ人間さ。ずっとずっと昔から来た人間だよ」

 ソピは、女の子と話ができて、内心とても喜んでいます。
 胸の中心がほんわりモゾモゾして心地いいのです。

「ずっと昔って?」

「10億年前の過去から来たんだ」

 女の子にとっては、おまじないのような数字でした。どれくらい遠いのか想像もつきません。

「嘘よ。本当は宇宙人なんでしょう? わたしをさらいにに来たの? 今はだめだよ、わたし熱があるから。学校をお休みしてるの」

「ははは、さらったりしないよ。それにキミに嘘をつく理由もない」

 そう言うと、ソピは両手のひらを女の子のほうに突き出しました。

「熱の原因は体の自然な防御反応だね。待ってて。そのままでいてね」

 女の子の体を遠隔でスキャンしたのです。
 さらに、女の子に念のようなものを送っています。

「どう? 気分が楽になった?」

 女の子の風邪をなおしてしまいました。
 さっきまで高熱で激しい頭痛に辛い思いをしていた女の子でしたが、嘘のように気分が晴れました。

「ほんとだ。頭、痛くない」

「僕はソピ。キミは?」

「・・・」

「キミの名前だよ。聞かせて」

「カヨ」

「カヨは女の子なんだよね?」

「まぁ失礼ね。見てわからないかしら。そりゃ、さっきまで寝ていたから髪の毛ボサボサだけど」

 首まで伸ばした黒い髪を両手で押さえて気にするカヨに、あわててソピが言いました。

「違うんだ、キミみたいに可愛い女の子に初めて会ったから」

 それはソピの本当の気持ちでした。
 少しだけ、胸のあたりが温かくなるのを感じています。

「正確には、この時代の女の子に・・・だけど」

 カヨは不思議な気持ちにフワフワしました。
 さっきまで熱にうなされながらベッドで寝ていたのに、窓の外が突然気になりはじめて起き上がった、すると宇宙人のような見た目の少年を見つけて、熱を治してくれて、可愛い女の子と言われた。
 お友達になりたい、と思いました。

「ここに来る?」

 その言葉を聞いたソピは、舞いあがるほどの気持ちになりました。
 でも、この時代の人間の家に入るなんて、やっていいことなのかどうか考えていると、すぐ横で声がしました。

「残念ながらソピ、家に入ることはできないな」

 父親です。

「お父さん・・・」

 驚いたのと同時に、自分を探しだしてくれたことに、ソピは安心しました。

 父親がかがんで、目線をソピに合わせます。

「この時代の人間にアクセスするには、前もって許可を得ておかなければならない」

 ソピにも、その意味はわかりました。

 父親の姿は、カヨにも見えています。

「親子なの?」

 ソビが「うん」と言うのを聞きながら、父親がかがんだ姿勢を戻して、2階の窓を見上げました。

「ソピの父の、ヒュームです」

「ソピが、私の熱を下げてくれたの」

 ヒュームが一度ソピの方を向いて、また窓を見上げました。

「僕らの時代では、自らの神経能力を極限まで高めることができてるからね。そういうこともできるんだ」

 ここに来る? と言ってくれたカヨに、まだ返事をしていません。
 ソピが話を戻します。

「ご招待ありがとう、でもそこには行けないんだ」

「じゃあ、ここでおしゃべりするだけだね」

 そう言うと、カヨのすぐ後ろからお母さんの声が聞こえました。カヨが起き上がっているのを見つけて「寝ておかないとだめじゃないの」と言って肩を抱き、ベッドに座らせました。

「熱は下がったよ。気分がいいの」

 お母さんがカヨのおでこに手をあてている間、カヨはお母さんにソピのことを話そうかどうか、迷いました。

「ほんとね。熱、下がってるみたい」

 カヨは、にっこりと笑顔を作ってみせました。
 そして「あのね」と言って窓辺に近づきます。

「あそこ、見て」

 と言ったカヨの視線の先には、ソピもヒュームもいませんでした。
 あちこちを見渡しますが、見つけることができません。

 家の外では、ソピが心の中で呟いていました。

(聞きたいことがあったのに・・・聞きそびれちゃったな)

 でもソピがもう一度顔を上げると、すぐにまた窓の向こうに人影を見つけました。

 今度は大人の女性が、こちらを見ています。

「ソピ? ソピと、ヒュームよね?」

 窓ガラスに手を当てて、こちらに話しかけています。
 ソピにはすぐにわかりました。
 どこか面影が残っているから。

「カヨ! カヨだね。大人になったんだね」

「やっぱり、夢なんかじゃなかった。あの時は風邪をなおしてくれて、ありがとう。お母さんは信じてくれなかったけど。・・・また来てくれたんだ」

「僕たちは、ずっとここにいたよ」

「そっか。きっと、そちらとこっちでは時間の流れが違うんだわ。また逢えるなんて、嬉しい」

 カヨの目が潤んで見えます。
 ソピに再会できた嬉しさとは、別のものを感じさせました。ソピが聞きました。

「泣いてたの?」

「うん、ちょっとね。・・・彼と大げんかしたの。来月、結婚式なのに。悲しくて悲しくて、ついさっきまで涙が止まらなかった」

 ヒュームが、カヨを優しく見つめます。

「ケンカは、お互いを深く知るきっかけだ。今は辛いだろうけどね」

「そうね・・・。でももし相手を深く知ることで、嫌いになってしまったら?」

 ソピもその答えが気になり、ヒュームを見上げます。

「嫌いになるきっかけを、運命が与えてくれたのかもしれない。でも、もしそうじゃないなら・・・」

「うん・・・やっぱり嫌いにはなってない」

 割り込むように言葉を口にしたカヨの、顔や肩の筋肉が少しだけ緩みました。

「わたしも、少しこだわり過ぎたところがあったかも・・・」

 ヒュームの表情が変わったことに、カヨは気づきました。カヨも少しだけ笑顔を作ります。

「ねえ、カヨ」

 ソピは、さっき聞きそびれたことを聞きたのです。

「この時代の女の子に〝好き〟を伝えるには、どうしたらいいの?」

 突然の質問に面食らう様子のカヨ。
 かまわずソピが続けます。

「僕たちなら、言葉を使って伝えるけど」

 カヨは結婚相手の彼を思い描きながら答えました。

「・・・言葉で伝えてくれるのが一番嬉しい。でも・・・今の私なら、ハグしてほしい。抱きしめてくれたら、感情は伝わると思う」

 それは、自分にはできないことだ、とソピは考えました。この時代の人間に触れる許可を得ていないのだから。それに・・・

「でもそれは、カヨも相手の人を好きだった場合でしょ? カヨが僕のことを好きかどうかまだわからない、そういう場合は?」

 もはやその質問が、自分とカヨのことだとバレてしまっていて、カヨの顔がほころびます。

「そうねぇ・・・。お花を贈るのはどうかしら? 一輪のお花に想いを乗せて伝えるのよ。わたしはロマンチックだと思う」

 ソピがヒュームに囁きます。

「お花って、僕たちの生まれ変わりでしょ? そんなお花に乗せて想いを伝えることができるなんて、ロマンチックだね」

 ロマンチック・・・そんな大人びた言葉がソピの口から出るなんて。ヒュームは我が子の内側にひとつ新しい感情が芽生えたのだと感じて、胸があたたかくなりました。

 ソピの囁きは続いています。

「だけど、お花をプレゼントのために摘んでしまうなんて、やってもいいのかな。だって生まれ変わりってことは、僕たち自身でもあるってことでしょ?」

「そうだね。お花はやっぱり、土と共に育つのが幸せだとは思う。だけど、いいこともあるよ。人に摘まれた花は、花瓶にさしてもらえるからね。毎日お水を取り替えてもらえて、雨風に打たれる心配もない」

「そぉかぁ。そうだよね」

 ソピが満足気に、2階の窓を見上げると、そこに一人のお婆さんの姿がありました。
 こちらを向いて、驚いている様子です。

「まぁ・・・。あれまぁ。ソピ、それに・・・ヒューム、かい」

 ソピも驚きました。
 きっとカヨに違いない。だけどその風貌は、まるで変わっています。

「うん。ソピだよ。カヨ、ずいぶんシワシワになったんだね」

「ふふふ、正直な子だね。だけど全然嫌じゃないよ、ソピだから。あなたは純粋・・・だから取り繕うような言葉よりも、心のまま素直な言葉で会話したいわ」

 カヨが胸に手をあてます。

「そちらは時間の進みが遅いようだけど、見えるかい? この家もずいぶん歳を取ってしまっただろう?」

 ソピが家全体を見渡すと、確かに、家も古くなっています。

「いよいよ、建て替えのために取り壊すんだと。わたしにとっては思い出がいっぱい詰まった家だから、寂しくてね。もう一度、この部屋を見ておきたくて、孫に頼んで連れてきてもらったんだよ」

 ソピは考えました。

 子供だったカヨがあっという間にお婆さんになった。そんなに時の流れが違うなら、次の瞬間にはこの家は無くなってるかもしれない。それどころか、カヨだって死んでしまうかもしれない。
 それはソピにとって、とても嫌なことでした。

「カヨ、今日はサヨナラを言いに来たんだ」

 突然の告白に、驚くヒューム。
 ソピが続けます。

「僕は元の時空に帰るよ」

 カヨは、その言葉を静かに受け取ったようです。

「そうかい。ありがとう。・・・もう逢えないと思っていたのに、お別れが言えるんだね。ソピ、ヒューム、お元気で。さようなら」

「さようなら」


 ソピが、くるりとカヨに背を向け、ヒュームを見上げました。両手で握りこぶしを作っています。

「次に窓を見上げたとき、カヨがいなくなってしまってるんじゃないかと不安で、怖くなったんだ。僕からサヨナラを言えば・・・振り返りさえしなければ、その心配はないよね」

 ヒュームは黙ったまま頷きました。

 ソピが歩きはじめて、ヒュームが続きます。
 しばらく歩いたあと、ヒュームが言いました。

「ソピ。人に寿命があるのは確かだ。でもその体は皆んな土に還る。カヨだってそうさ。僕らと同じところに還るんだよ」

 ソピが立ち止まってヒュームを見上げます。

「だけど、土になることばかり考えたって仕方ない。人には体がある。今のソピにも体がある。体を使えば、はかない人生に思いっきり思い出を詰め込むことができるんだ。だから今にしかできないこと、精一杯やっていこう」

 ソピの丸い目がまた、大きな丸になっています。

「カヨも、そうやって生きてきたのかな」

「きっとそうじゃないかな。しかも、今もまだその途中だ」

「お父さん、やっぱり、少しだけ待って。すぐに戻ってくるから」

 そう言うと、ソピはさっき鳥を追いかけた時のような素早さで、どこかへ行ってしまいましたが・・・。
 すぐに戻ってきました。
 ヒュームに並んで、また歩きはじめます。

「どこに行ってきたかは、秘密だよ」

 清々しい笑顔です。
 空は夕焼け色に染まっています。



「おばあちゃん、どう? もういいかな」

 カヨの孫が部屋に入ってきました。

「ありがとう優太。懐かしい気持ちでいっぱいだ。これで、この家とお別れできるよ」

 優太が微笑みます。

「おばあちゃん、今日は夕焼けがすごく綺麗だね」

「太陽は毎日、昇っては沈んでいく、ずっとその繰り返しなんだねぇ」

「あはは。そうだね」

「きっと10億年前の世界でも、同じ夕焼けが見えるんだろうねぇ」

 そう言ってカヨがもう一度、窓に目を向けたときです。
 カヨの顔のシワが大きく動きました。

 窓ガラスの向こう側に、一輪の花が置かれていたのです。
 可愛らしいピンクの花びら。

 カヨには、すぐにわかりました。

 ソピからの贈り物だと。
 にじんだ涙でキラキラ輝いて見えます。

 いえ、ソピの〝好き〟の気持ちが輝いているのかもしれません。


 おわり

 *おまけ

 このあと、優太が遠くの空を見て騒ぎはじめました。
 光る物体が飛んでる、UFOじゃないか、こんな時にカメラが無い、といって大騒ぎ。
 カヨには見えませんでしたが、わかりました。それにはソピとヒュームが乗っているのだろう、と。

 カヨは、さっき優太に取ってもらった窓際の花を高々と上げて、その手をゆっくりと振りました。
 あちらから見えるように、ゆっくりと。


 お わ り


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