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『おじいちゃんは占い師』


 このところ働き詰めだ。帰宅後ひと晩寝て回復させる体力で、次の日の体をギリギリ動かしている。そんな毎日。
 今日も遅い退社時間になった。もう体力は限界かもしれない。通勤電車の乗り換え、地下鉄までの夜道、憔悴した体を引きずり歩く。

 深夜十二時近い。
 何気なく眺めていただけの風景の中に、ひとつの違和感を見つけた。地下鉄の入り口付近に小さな机を置き、背もたれの無いパイプ椅子に座った一人の老人の姿。見るからに占い師の風貌だ。頭にちょこんと乗せただけの小さな円錐形の帽子に紫色の着物。鼻ひげが、あごひげにくっつくくらいに伸びている。何の看板も掲げていないが、占い師に違いない。

(ここに占い師がいるのは初めて見るな)

 老人の姿を認識はしたものの、彼を直視することは避けた。目を細め、ニンマリとした笑みでこちらを見ている。たぶん、目を合わせてしまっては声をかけられるに違いない。俺は占いなどには毛頭興味も無いし、今はとにかく帰宅の途につきたい。声をかけられてそれを断る体力さえ惜しいのだ。
 しかし地下鉄に乗るには、老人の前を横切ることを避けられない。俺は少しだけ気持ちを引き締めた。

(早歩きで通り過ぎよう。たとえ声をかけられたとしても、一礼するくらいで、あとは無視だ)

 胸中の誓いの通り、俺は早足で老人の前を横切り、地下鉄の入り口へ。
 その時だ・・・背後で老人が奇妙な声を上げた。

「あらぁー!」

 突然の声に驚いたのも確かだが、あまりのハイトーンに「じいさんではなくばあさんだったか?」という疑念も手伝って、俺は反射的に振り返った。
 反射とはいえ、胸中の誓いを破ってしまった・・・。人は音に敏感なのだ。

「お兄さん、何か落としましたよ」

 見ると、老人の机の真ん前に定期ケースが落ちている。地下鉄に乗ることに焦りすぎて定期ケースを落としたらしい。あぶないあぶない。

「ありがとうございます」

 老人と関わり合いたくはなかったが、ここは素直に感謝。俺は老人の机の前で腰をかがめ、定期ケースを拾った。

「どうだい、少し座っていかんかね」

 やっぱり・・・こうなるわな。俺としたことが、定期ケースを落とすなんて不覚だった。

「いえ、あの・・・」

 キッパリとお断りしようと顔を上げて老人を見た。そして言った。

「はあ、少しだけなら」


 だって・・・すごく淋しそうな顔してるんだもん。まるで座らないと泣き出しそうな。
 俺だって鬼じゃない。どうせなら、恋愛運とか見てもらおうか。経理部の小日向さんとは懇親会で話したきり、もうずいぶん言葉を交わしていない。こう仕事が遅くちゃ、今後の進展は期待できなさそうだ。

「そうかいそうかい。どうぞお座りなされ」

 何占いだろうか。手相? 星座? 机の上には、菜箸のようなものが二本、置いてあるだけだ。

「あの。何う」らないですか? という全文を言い切れないうちに何かが開始された。

「あらぁー!」

 驚いて少し体をのけぞらせる。またさっきのような甲高い声だ。そして老人は、少々乱暴な様子で机の上の菜箸を鷲掴みにした。
 と思ったら、その一本を手から落としてしまった。

「あら失敗だぁ! わはは。もう一度」

 失敗・・・?

 老人は菜箸をもう一度机の上に置きなおし、ご丁寧にもう一度奇声を上げた。そしてまた菜箸を掴む。

「あらぁー!」

 今度は勢いで頭を振り過ぎたのか、老人は帽子を落としてしまった。

「おおっと。またやり直しだ。あはは」

 楽しそうなのがちょっと鼻につく。こっちは真面目に座ってんだよ。

 これはやっかいなヤツに引っかかってしまったかもしれない。そう考えていると、三度目の試みは成功したようで、老人は手にした菜箸を逆手に持ち、つまり食べ物をつまむ方を上に向け、手で持つ方を両手で覆い激しく上下に揺らしている。二、三秒その状態が続き、「これ以上振り続けるとまた菜箸を落としかねない」といった雰囲気満載で手を揺らすのを止め、すかさず右手だけで二本の菜箸を握った。そして一瞬だけ老人の目つきが真剣な輝きを放ったかと思うと、左手で大きなジェスチャーを作り、一本だけを引き抜いた。引き抜いた菜箸を俺の目の前に差し出す。
 菜箸の一番端には、マジックペンで書かれた「大吉」の文字。

「だ、い、き、ち、じゃぁぁぁぁ!」

 ・・・。

 言葉が出て来ない。頭の中をまわっているのは「インチキじゃねえの?」という台詞。いや、確実にインチキ。というかそれ以前。何なの? これ。どうしよう。見ると、机に置かれたもう一本の菜箸の端には「小吉」と書かれてある。

 このまま黙って立ち去ろうか。まてよ、こういうイカれた男だと「金も払わずに行くのか」と騒ぎたてそうだ。ここは千円くらいを置いて立ち去るのが良さそうだ。

「おじいさん、ありがとね」
「良かったのぉ。いつか大吉の時が訪れるでな」

 いつか・・・。そりゃそうだろうよ。人生、山あり谷ありだ。今は辛くともきっと報われるときがくる。そう、明日からも仕事がんばるとするか。

 あれ? さっきまで俺、疲れ果ててたのにな。

「小吉の時もあるが気にせんことだ」

 あんたの頭には大と小しか無いのか。俺は椅子から腰を上げ、鞄から財布を取り出そうとした、その時だ。

「おじいちゃん、今日はここだったの?」

 女性の声がした。振り向くとその声の主が呟いた。

「あ。山本、さん? 企画部の?」

 経理の小日向さんだ。どうしてここに? まさか・・・。

「あの・・・おじいちゃんがご迷惑をおかけしたんじゃ」

 なんてことだ、小日向さんのおじいちゃんだって?
 老人を見ると、またニンマリとした笑顔をしている。

 小日向さんの家はここの近所で、おじいさんは話し相手欲しさに度々こういうことをするらしい。小さな机や椅子は、道の向かいの(もう閉店している)焼き鳥屋から勝手に借りたものだった。

「遅くまで仕事、大変ですね。あの、終電の時間とか大丈夫?」

 まずい。俺は慌てて時計を見た。あぁ、もうこんなに時間が経っていたのか。俺の様子を見て察した小日向さんが車で送りましょうかと提案したが、その言葉に甘えるわけにはいかない。俺はタクシーを拾うと告げた。

「明美、このお兄さんをな、食事に招いてはどうだ。ワシのお相手をしてくれたお礼だ」
「え? あ、うん。あの・・・もし山本さんのご迷惑にならなければ。そうだわ。今度の週末にでも」

 なんという奇跡! じいさん、それ最高の提案だ。

「こちらこそ、迷惑でなければ、喜んで」
「じゃ、決まりですね。週末を楽しみにしています。お仕事がんばってください。おじいちゃんのお相手、ありがとうございました」

 俺はおやすみなさいと言って礼をした。
 仕事の疲れなど吹っ飛んでいた。明日からもがんばれる。なんて単純なんだ、俺。
 顔を上げると、小日向さんに手を引かれて歩いていく笑顔の老人と目が合った。

「大吉と言っただろう?」

 だって、大と小しか無かったじゃん・・・。
 しかし、恋愛運は急上昇。ん? もしかして仕事運もかな?

「気持ちに張りが出れば、健康運もアップだぞぉ」

 老人、俺の心を読むなよ・・・。また週末に会おう。


  おわり
 



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