『一日だけの魔法』
明日がやってくることさえも
遠い 遠い 未来のよう。
鼓動のひとつひとつを 感じながら
あなたに 少し 近づいた。
震えそうな かすれそうな 声 届きますか・・・。
私 好きです あなたのこと
私 好きです あなたのこと
思い切って声に出した。
「私 好きです 青葉先輩のこと」
言ってしまった。
顔、上げられない・・・。
少しの沈黙。
「あの・・・ごめん俺、他に好きな人がいるから」
はぁぁ・・・そうだよね。こんな、どこに居るかわからないような、存在感の薄い私のような者に、告白なんて行為・・・していいわけがなかった・・・。よぉく考えればわかったことなのに。19年間の人生で、しっかり学んでいたはずだったのに。
あのあと、どうやって自分の部屋に帰り着いたのだろう・・・覚えてない。
今、床に座って、額を机に押し付けている。
失恋の痛みというよりも、私というものを先輩の前でさらけ出してしまった後悔というか、情けなさというか。
学祭の準備や講義のノート、そういうこと以外で男子との会話経験皆無の私に、何度か優しい言葉をかけてくれた先輩。ただそれだけで半年ものあいだ想いを膨らませてしまった私、今考えれば、どうかしてたよ。
今日が金曜日でよかった。
この土日は、こうやって落ち込んで過ごせる。
あ、官九郎が私の肩に乗ってきた。ニャァニャァ言ってる。
私を慰めようとしてくれてるのかな、可愛いやつだ。
でもごめん・・・今は顔上げる気分じゃないの。
顔を横に向けた。
・・・ん?
私を覗き込む官九郎の顔が・・・
人間の顔に見えてきた。
「ヒッ!」
変な声出た。
とっさに起き上がる私。壁際まで後ずさる。
目の前に人が座ってる(美少年!)。
「え? え? ちょっと待って。誰?」
そして恐る恐る、あり得ない質問をした。
「・・・官九郎?」
「ペットというのはね、」
喋った!
「ご主人様が落ち込んだ姿を見るのは、けっこう辛いものなんだよ、友莉」
友莉、って・・・初対面で呼び捨て、恥ずかしいんだけど。
・・・あ、でも初対面ではないのか。
「背中でニャァニャァ言っていても何も伝わりそうにないから、人間の姿になったんだ。友莉を慰めるために。だって人間なら言葉が使えるからね」
と言いながら、ゆっくりと立ち上がりその顔を私に近づけてきた。
え? キスでもしてきそうな雰囲気。
「ちょーっと! 待って! 待って」
慌てて避ける!
「なんで? いつものペロペロじゃん」
「いつものは、今しちゃダメ! ・・・そんなことより」
落ち着け、私。
「状況を整理するね」
よし、その調子。
「あなたは、官九郎なの?」
「そうだよ、人間の姿の官九郎」
「私を慰めるために、その姿になったの?」
「猫はね、一生に一度だけ魔法を使うことが出来るんだよ。それを今日使うことにしたの」
魔法・・・って、なんだかレトロな響き。杖を持ったおばあさんが呪文を唱えてそうなイメージなんだけど。
「友莉の落ち込みようがさ、尋常じゃなかったから。見ていられなくて」
優しいじゃない、官九郎・・・。
「今優しいと思った? ならいつものコチョコチョやってよ、脇とかお腹とかくすぐるやつ」
背中を床につけて、すり寄ってきた。
「だから! いつものは今はやらない」
あぁ、なんだか大変なことになったぞ。失恋の痛手なんて、すでに遠い日の想い出のようなんですけど。
・・・ていうのが官九郎の狙いなのかなぁ。ありがとう、と思わなきゃ、かな。
立ったまま、仰向けの官九郎に問いかけた。
「ねぇ、あなた本当~に、官九郎なんだよね。一生に一度だけって、その魔法、いつまで持つの? いつまで人間の姿でいられる?」
「さぁね。一晩寝ると戻っちゃう、とかかな」
私を元気づけるために、そんな大切な魔法、使ってくれたんだ。
一生に一度きりかぁ。
「ね、何かやりたいことはない? その姿でなきゃできないようなこと」
ゴロゴロしながら、肘をつく姿勢になった。
「友莉を慰めたい。ただそれだけ」
「じゅうぶん慰めてもらえたから、いいよ。今度は私からお礼がしたいの」
「いいよ、いつもご飯くれるから。・・・ていうより、落ち込んでたの、もうなおったの?」
「いやぁ、まぁ、落ち込むのは一時お預け? ってことにする。官九郎のおかげ」
官九郎が笑顔になった。
屈託のない笑顔だ。
「よかった。もう願いが叶っちゃったな。じゃあ僕、散歩にでも行ってこよ」
さっすが猫、切り替え早いなーと考えてると、官九郎はベランダのドアを開け始めた。
「ちょい! あなたそこから出ていくつもり? そこベランダだし」
ふと疑問が浮かんだ。
「官九郎、他の人からも人間の姿に見えてるの?」
「うん、たぶん」
ひー! これは独りで散歩に行かせては大変だ。何をしでかすかわからない。
「待って待って、じゃあ私も一緒に散歩行く。今日だけだよ」
「ホント!?」
友莉とお散歩嬉しいなぁ、と笑顔で座る官九郎を横目に、私はお化粧をなおしはじめた。・・・さっき涙こそ出なかったけど、だいぶ崩れてるな。出かけるなら(そして官九郎とはいえ美少年と歩くのだから)少しは丁寧に塗っておかねば。
「ねぇ友莉、いつも思ってたけど、その顔に塗る儀式は何?」
「あ、これ? そっか、官九郎には縁が無いよね、お出かけしたときのテンションが少しだけ上がるの(儀式中は下がるのだけど)」
「テンション上がるなら、僕もやりたいっ!」
「ああー・・・これは女子用だから。でも官九郎のテンション上がること、やろうよ」
「僕は友莉と散歩するだけでもテンション上がるよ」
官九郎・・・。
ペットってやっぱり飼い主のこと大好きなんだ。
ていうより、今なんだか私、幸せ。男の人にそんな台詞を言われるなんて。
こんな感じなのかな、彼氏との会話って。
ハッ・・・私、なんだか浮かれてるぞ。官九郎が人間の姿だから(しかも美少年だから)錯覚してる。
官九郎は猫、官九郎は猫、官九郎は猫。
よし、自分に言い聞かせた。猫と散歩に行くか。
「人間カフェに行きたい」
外に出てしばらく歩くと、官九郎がポツリと言った。
「友達が教えてくれたんだ、カフェには2種類あるって。猫カフェと人間カフェ。彼は人間社会に詳しくってね、人間カフェにはなかなか入ることができないんだって」
人間カフェ・・・あ~、いわゆる普通のカフェね、たぶん。
「いいよ、行きましょ」
と言ったとき、前から歩いてくる紗栄子の姿が見えた。
紗栄子は数少ない私の友達の一人、しかも今日青葉先輩に告白することを唯一知ってる・・・。
知り合いに、しかもよりによって紗栄子に遭遇するなんて。
まずい。
「ね、官九郎、ちょっとこっち行こ」
「待って、あれ紗栄子じゃない?」
そうか、何度か私の部屋に遊びに来たことあるから、紗栄子のこと覚えてるんだ、官九郎。
慌てて官九郎の腕を引っ張って横道に逸れてみたけど、紗栄子の方も気づいたみたい。
この状況、どう説明しよう?
「りっちん!」
彼女は私をりっちんと呼ぶ。
少し駆け足で近づいてきた。
「な、なんだ、紗栄子じゃない」
少しだけ乱れた呼吸を整えたあと、彼女は一番聞きたいであろう質問を私にした。
「どうだった?」
もちろん告白のことだ。
「まぁ、分かりきったことだけど・・・撃沈」
紗栄子は少しだけ安心したように笑みを浮かべた。
「じゃあ、明日の失恋ランチ会は決まりだね、リンリンにも言っとくから」
そうだった。告白が実らなかったら女3人ランチ会の約束してたんだった。
「たいていの男はね、自分の都合しか考えてないものよ。元気出していこ」
黙って頷いた。
「ところで官九郎、どしたの?」
うわ。やっぱりそれ聞くよね。
あれ? でもこの男子が官九郎だってこと、どうしてわかったの?
「珍しいよね、官九郎と散歩?」
紗栄子は手のひらを見せて、人差し指と中指で官九郎のアゴをチロチロしている。
どうやら紗栄子には、猫の姿に見えてるようだ。
「う、うん。傷心散歩に付き合ってもらってる」
明日の時間だけ決めて、紗栄子とは別れた。
「官九郎、他の人にも人間の姿に見えるって、あなた言ってなかった?」
「そのはずだけどなぁ。魔法のかけ方、間違ったかな」
人間に見えていたら、紗栄子があんなに冷静でいられるわけがない。
ま、いいわ。カフェに行ってみれば全てわかる。
「ペット同伴ですと、テラス席になりますがよろしいですか?」
見てごらんなさい。
他の人には猫に見えてるじゃない。
案内されるまま、テラス席に座る。
あぁ~あ、なんだか私。
空想の美少年との散歩に浮かれて、デートと錯覚して、化粧濃くして・・・。ただの猫とカフェでお茶して。
・・・。
恋愛初心者なんだから、私にはそれくらいがちょうどいいんだよね、仕方ない。
「また落ち込んでる?」
官九郎が、私の顔を覗き込んだ。
「まぁね。・・・実は私、今日、大好きだった大学の先輩に告白したの。でも振られちゃって・・・そのこと自体は仕方ないんだけど、舞い上がってた自分に落ち込んでしまって、それで官九郎が元気付けてくれて、でも現実は現実、結局私自身は変わってないんだなぁ、って考えてたところ」
官九郎が何か言おうとしたところを遮って、少し付け加えた。
「でもね、官九郎が人間の姿になってくれて、ひとつ気づけたことがある。それは、官九郎が私のことをすごく好きでいてくれてる、ってこと。大学で先輩が好きとか、そんな感情なんて、ただの〝恋への憧れ〟なんじゃないかって思えるくらい、あなたから何か愛情のようなものが伝わってくるの」
「さぁ、どうかな」
「えー、ひどい」
二人とも笑顔だ。
「僕の友達が言ってたな、恋愛は〝恋への憧れ〟から始まる、って。だから、それでいいんだよ。現実は現実で」
官九郎・・・。
私、いま猫に慰めてもらってる?
嬉しいような、情けないような。
微笑ましいようで、くじけちゃいそうな。
涙出てきた・・・。
だめだ。ほっぺたにまでこぼれちゃった。
官九郎・・・。
何よ、その、キミのこと100パーセント受け止めます的な眼差しは。
目の前の女の子が泣いてるのよ、何か言ってよ。
「僕の愛が伝わったなら、それで十分、だな」
あぁ・・・ひとつわかった。
人間も猫も同じだ、男子は男子。考えてるのは自分のことだけだ。
化粧道具、部屋に置いてきちゃった。
・・・帰ろ。
立ち上がる。
・・・でもどうせなら、浮かれた私のままでいる?
「官九郎、腕、組ませて」
「うん、いいよ」
恋への憧れ、これでひとつ解消。
「ソフトクリーム食べたくない? 帰る途中に美味しいところあるから」
「うん、食べよう。行こ」
もひとつ解消。
「ひとつ買って、二人で食べる」
「うん」
これも憧れだったから、やっちゃお。もひとつ解消。
夕暮れの太陽が眩しいね。
「そう思わない?」
「ん? 何が」
「勘で答えてみて」
「・・・ん~。いつもと一緒だよ」
そうね、いつもと一緒のはずなのにね。今日の私には眩しいのよ。
「ところで官九郎ってさ、私の布団にもぐってくる時あるじゃない?」
「うん」
「今日は、あれやっちゃだめだよ?」
なんで? と言い出しそうな官九郎より先に言った。
「なんででも。今日はだめなの」
でも、夜になるとその心配は、無くなっていた。
部屋に帰って、二人何気ない会話をして、官九郎はキャットフードをボリボリ食べて、私はカップ麺をすすって、シャワーを浴びてドライヤーしたあとのことだった。
「官九郎? 官九郎、夕方言ったこと覚えてる?」
そこには、猫の姿の官九郎がいた。
ひと晩も持たないじゃん・・・。
カフェで流したのとは別の涙がこぼれて、私は官九郎を抱きしめた。
「ありがとう、官九郎。中途半端な魔法使いさん」
そしてさようなら、浮かれた私。
歯を磨いて、明かりを小さいのにして、私が布団に潜ると、官九郎ももぐってきた。
「約束、全然覚えてないじゃない」
足元にいるだけなら、許してあげる。
おやすみ。
次の日。
約束通り、紗栄子がリンリンを連れて、私をランチに誘いにきた。
インターホンに二人の姿が映る。
「じゃ、行ってくるね、官九郎」
玄関ドアを開けると、官九郎が私の足元にすり寄ってきた。
「お待たせ~」
紗栄子とリンリンが口をパクパクさせている。
「り、りっちん、♯△※$◯¥□?」
「何、なに?」
私は何言ってるかわからない二人に半笑いしながら、玄関ドアの鍵をかけた。
「い、い、今の美少年、誰よ」
え?
「なんか、肩抱いたりしちゃって・・・え? 同棲?」
ええー!?
私は慌てて、玄関ドアの鍵をもう一度開けて、頭だけを部屋に突っ込んだ。
猫の姿の官九郎が座っている。
てことは、今日は他の人には人間の姿に見えてる?
「え、そそそ、そんな人いた? 誰もいないなぁ」
官九郎め、本っ当に中途半端な魔法なんだから・・・!
これは、二人を納得させるの、難しいぞぉ。
まずは、この場を離れよう。
ささ、ランチに行こう。
いやぁ、待て!
このまま官九郎を置いて行くのはまずい! この二人以外に目撃されでもしたら!
さぁどうする、私。
おわり