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『夢喰い』


 その都市の荒廃具合は、ひどいものだった。
 空気の圧力を利用して空中を走るバイクも、磨かれた石同士が反発する力を動力とする車も皆、道路脇に倒れ放置されている。ネジで止めた銅板のボディーは剥がれ、元の形を成していない。

 そんな景色を横目で見ながら、男は小高い丘の中腹までやってきた。少女を背負っている。
 少女といってもその体は大人のシルエットをしていて、細い首から穏やかに膨らんだ胸、長い手足の先までがレオタードのような薄く赤い生地で覆われている。

 人だかりが見えてきた。金網のフェンスに張り付いている。
 フェンスの向こう側には小さな湖があり、その端にロケットが傾いている。巨大な扇風機のような形をしたそのロケットには、本体から伸びた六本のアームの先端に人が乗り込むカゴが付いていて、正常に稼働するなら宇宙の近くまで飛んで行くことができるが、今は壊れて動く気配はない。太陽エネルギーが蓄積されてはいるものの、アームは曲がり、ヤシの葉のような合成繊維でできた結合部分は外れかけ、先ほどからカゴの位置が数十センチ上がってはまた下がる、という動きを繰り返している。

 男には立ち止まっている時間はなかった。湖で仰向けにプカプカ浮かんでいる温帯性ペンギンに「動物たちはのんきだな」と心の中でこぼしながら、少女の顔を見上げた。
 丘の上を見つめている少女。そうだ。早くあそこに行かなければ。

 いつからこうやってこの少女を背負っているのかは忘れてしまった。ただ、あそこに行かなければならないのは確かで、少女も男があそこまで連れて行ってくれるものだと信じている。
 決して彼女を地面に降ろしてはいけない。いつしか決めたその誓いを胸に、男は一度少女を抱えなおした。少女の、肩のところで切り揃えた髪がフワリと浮き上がる。

 この惨状の原因は、夢喰い虫だ。夢を喰うと言えば優しい印象だが、彼らは人間の文明を餌に、生命を維持している。普段はどこか人間の知らないところに潜んでいて、文明の音を聞きつけては喰らいつく。エンジンやモーターなどの機械音や電子音が好物なのだ。それらがただの鉱物の塊になるまで喰い尽くす。

 夢喰い虫は透明で、人の目には見えない。しかしその存在が発見されて以降数百年、この星の人間は音を出さない技術の発展を余儀なくされた。最新鋭の技術でも機械音や電子音を出しさえしなければ、彼らは何処かに潜んだまま、何の害も無いのだ。

 丘の上にはホテルがある。近代的で大きなホテルだ。男は、本来は自動で開くはずの玄関ドアを、力を込めて片方の手で開けた。少女の両腕を首に感じる。

 内部は惨憺たるものだった。それはそうだろう、この惨状の原因はこのホテルなのだから。

 男はバンドマンで、ベーシストだ。ほんの数十分前、ここでバンド演奏をしていた。文明の音を出すことが出来ないとはいえ、人は音楽を欲するもの。夢喰い虫の発生を避けるため、電気を使う音楽は完全防音設備の室内で演奏される。このホテルの防音設備も、最新の防音設備を備えていた・・・そのはずだった。

 どこからか漏れたと思われるバンドの電子音を嗅ぎつけて夢喰い虫たちがホテル併設のライブスペースを襲った。一度彼らに襲われると周辺の文明は喰いつくされてしまう。

 さらに今日、事態を悪化させたのは、このホテルの裏手に反重力高速鉄道が走っていたことだった。・・・そう。押し寄せた夢喰い虫たちが鉄道の存在に気付き、喰らいついたのだ。当然、列車は脱線。今は虫に襲われ、どういう状態になっていることか。

 後始末に追われる従業員たちをかすめながら、男がホテルの裏手に出ると、レールを大きく外れた鉄道車両があった。見るに耐え難い惨状だ。

 この事故現場の何処に行けばいいんだ? 男の気持ちを読み取ったように少女が男の胸のあたりをトントンと叩きひとつの車両を指差した。あそこか。男の足がその車両に向かう。

 列車は、車両の後ろ半分の壁面がめくれ上り、座席がむき出しになっている。元々は白く輝く表面だっただろうに、虫に喰われ今は茶色く変色し、所々に黒い斑点がある。あと数時間もすれば、ただの鉱物の塊へと変貌するに違いない。虫の姿は見えないが、今この時もこの列車をむさぼり喰っているのだ。

 中を覗くと、乗客は乗ったままだ。どうやら怪我人だけは運び出されたあとのようで、ここにいるのは、逃げ出したところで近辺に落ち着ける場所の無い人たちだ。確かに、都市機能があの状態では、そうせざるを得ないのもわかる。

 男は少女をゆっくりと空いた座席に座らせた。目的地に達したことで少しばかりの安堵を覚える。
 少女は黙ったまま、少し満足した表情で靴下を脱ぎ始めた。靴下と表現したが、ツルツルとした表面の伸縮性のある特殊な生地だ。
 逆さにした靴下の内側から五センチ四方の機械が現れ、床に落ちる前に少女がキャッチする。
 誰がやってきて何を始めたかと、前の座席の女性が顔を覗かせると、少女は少しだけ笑顔を作った。まるで「面白いことが起きるから見てて」と言っているようだ。

 黙々と作業を進める少女。全ての準備を終えて、先ほど靴下から取り出した機械を手に取って男に見せるようにした。黄色の小さなインジケーターが点滅している。その間隔は・・・一秒おき、そのくらいだ。何かのカウントダウンか? と思った時、インジケーターの色が黄色から赤色に変わった。間違いない。カウントダウンだ。あと一分か? それともあと十秒か。少女がじっと男を見つめた。

 このカウントダウンが終わった時、真っ白い光が放たれる・・・そんな空想が男の脳裏をよぎった。その光は夢喰い虫だけを絶滅させる光なのか、それともこの都市全部を壊滅させる光なのか。

 ふと、乗客の誰かの声が聞こえた。
「あれ、ゼロ機じゃないか?」
 ざわめきが起こる。そして乗客たちがバラバラと列車から降り始めた。

 ゼロ機・・・。男にもその意味はわかった。
 夢喰い虫を消滅させる装置だ。

 バンド演奏は、夢喰い虫から襲わられる危険を伴う。だから楽器には必ずゼロ機が搭載され、もしもの非常時にはその演奏者がゼロ機を起動させる責務を負うことになっている。
 今日もライブ前に、バンドメンバー全員が誓約書を書かされた。

 [ 夢喰い虫による非常時、ゼロ機起動への全面協力]

 男は思い出した。当然、男のベースギターにもゼロ機が仕込まれていたことを。

「早く押せよ、スイッチ」

 突然の声に男が振り返ると、ギターのKAYが早足で近づいてきていた。

「俺のギターも、さっきあっちでゼロ機を起動させた。そいつで三機目だ」

 SHUNのシンセ、KAYのギター、そして今は少女が持っているこの男のゼロ機、合わせて三つのゼロ機を頂点とする三角形の内側に、夢喰い虫たちを吸い寄せて駆除する・・・確かそういう仕組みだ。

 ただ・・・なぜ俺のゼロ機を今この少女が持ってる?

 KAYを直視しながら、男がぼんやりした頭を振る。

 ゼロ機発動時に発せられる音波は夢喰い虫を吸い寄せる。その音波は人体の健康には影響は無いものの、脳に数秒間の錯乱を起こすことがある。
 男の記憶がぼんやりしているのは、その音波を受けたせいだろう。最初に発動したSHUNのゼロ機の音波だ。錯乱を起こすのは数秒間だけのはずだが・・・。

 突然、男の頭の奥で、ハイスクール時代に初めてベースギターを手にした思い出がフラッシュバックした。いつも部屋の手に届くところに立てかけていたこと、夜通し練習して、いや途中でベースを抱いたまま寝てしまったこと、何度も弦の高さの調整をしたこと、最初ツルツルだった赤い表面が次第にくすんできたこと、いい低音を出してくれていたこと、バンド人生において最高の相棒だったこと・・・。
 まさか楽器のボディに仕込まれたゼロ機を、実際に発動させる日が来るなんて。

「早くしないと、被害の拡大が止まらないぞ」

 KAYの声で我にかえり、男が納得して少女を振り返る。そして声をかけた。

「そいつを起動させるから、キミも少しここから離れて」

 少女は眉を少しだけ寄せてみせたが、動こうとはしない。
 彼女が持っているゼロ機のインジケーターは赤色になったままだ。
 その横にスイッチがある。

 仕方ない・・・。男がそれを少女の手から取りあげようとした時、KAYが声を上げた。

「何やってる、やらないなら俺が押すぞ」

「待てよ、この子も一緒に離れなきゃ」

 KAYの動きが止まった。

「この子・・・?」

 そして、さっきから男の様子がおかしかったことに合点がいったように、顔の筋肉を硬直させてこう言った。

「お前、もしかして・・・人に・・・見えてんのか? このベースギター」

 男の動きも止まった。
 もしかして、とはおかしなことを言う。この無垢な眼差しの少女が、人以外の何に見えるというのか。ベースギター?

 そういえば、俺のベースギターはどこにある? ゼロ機はその本体に仕込まれていたはず。何より、今まで九年もの間プレイしてきた大切なものだ。

 キミは俺のベースギターなのか?

 そう思った瞬間、少女の体の内側から電子音が鳴り始めた。音量は決して大きくはないが、複雑な、耳を塞ぎたくなるような音だ。
 KAYが叫ぶ。

「まずい、衛星と同期したんだ」

 インジケーターが赤色に変わって一定時間が経過すると、人工衛星がゼロ機の位置を特定して自動でスイッチをONにする。

 もう彼女の手を握って走り去るしかない。
 だがそれをするより早く、男はKAYに腕を強引に引っ張られ走り始めた。
 反射的に少女の顔を見る男。
 すると、彼女の唇が動くのがはっきりとわかった。

「あ・り・が・とう」

 次の瞬間、大群の夢喰い虫がものすごい速さで少女の体に群がってきた。目には見えないがそれは明らかだった。
 三機のゼロ機がリンクして、KAYのギターにも、SHUNのシンセにも、いま同じことが起きているのだろう。
 都市じゅうに広がった虫たちが、この三角形の内側に吸い寄せられ、消滅していく。

 みるみるその姿を変えていく少女。背中から四本の弦が、ちぎれ飛ぶ。顔や手の肌も、薄く赤い生地の衣服も、乾燥したような見た目になり、色も変化した。

「ちょっと、おい!」

 声を上げたが、男にはどうすることもできなかった。

 数十秒も経つと、次第に、目には見えない・耳に聞こえない虫たちの〝ざわめき〟が無くなっていった。
 ゼロ機により、虫たちが駆除されたのだ。もうこれ以上、被害が広がることはない。

 静寂に立ち尽くす男とKAY。そして列車の乗客たち。
 緊張の空気が、次第に安堵へと変わる。

 男の赤いベースギターは、形は残っているものの、ただの木片となって、そこにポツリと立っている。

 それを見たKAYが、男に気を使ったのか、こう言った。

「人の姿になってお前に礼を言いにきたのかもな。お前、気に入ってたもんな、そのベースギター」

「ん? 礼を? ・・・何のこと?」

 と言いながら男は木片に向かって歩き始めた。

「いや、だってさっき、お前・・・」

 男の頭から、ぼんやりとした感覚はもう取れていた。
 脳の錯乱は、解けていた。

 男が木片を抱える。

「この木材、再利用して新しいベースギター作れるかな。・・・なんか、そうしたい気分」

「あ・・・ああ、作ってもらえよ。この状況じゃ、どうせ俺たち、活動再開はまだ先だろ」

「だよな」

 脇に置いていたベースギターのソフトケースに木片を入れて、男がそれを背中に背負った。

「戻ろ」

「ああ、・・・そうだな。SHUNたちが待ってる」

 

 おわり



<他のストーリーへのリンク>
https://note.com/kuukanshoko/n/n4251357b90d3


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