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【現代空間論6】宮台真司「第四空間」

インターネットが登場してわずか数年、社会学者・宮台真司がネット社会に鋭く切り込んだのが第四空間論です。これは近代化幻想から離脱した若い世代の「生きられた空間」、つまり「家族」「学校」「地域」に代わる新しい居場所で、ネットの役割に期待が集まりました。しかし、宮台は数年後、そこには持続性がなかったと第四空間論を取り下げます。

しかし、ネットはその後、「家族」「学校」「地域」そして第四空間をも一様に吸収し、多元的なデジタル活動空間として拡張を続けていきました。

学校的価値の全景化と「第四空間」

「第四空間」は、世紀末、宮台真司が『まぼろしの郊外』で示した活動空間に関する概念です。宮台は『まぼろしの郊外』の執筆動機を、「生きられた空間(erlrbten Raum)」との関連で以下のように述べています。

日本人、特に大人の世代が失ってきたものは、社会学でいう感覚地理、あるいはドイツ哲学でいえば生きられた空間への敏感さです。つまり物理的には同じように見える空間でも文脈が違えばまるで別の時間・空間の座標軸を持って人は生きられるということです。(中略)同じ空間が別の世代によって別様に生きられるのと同じように、振る舞いもそうで、売春という行為ひとつをとっても、コミュニケーションの文脈が異なる世代にとっては全く別様に生きられてしまうわけです。

そうしたことについての敏感さを大人が失っていることが、若い世代にとっては抑圧的な機能を果たすことを、私は問題にしたかったのです。

このように「第四空間」は、近代化の成熟に伴って「近代化幻想から離脱した若い世代」の「生きられた空間」です。「生きられた場所」という表現は日本語として変則的ですが、英語ではLived spaceであり、人間に関わられ、生きられた存在論的な空間を指しています。

私たちはこれまで長い間、人間の活動空間として認められてきた「家族」「職場」「地域」という三つの活動空間に生きてきました。子ども達にとっては「家族」「学校」「地域」です。「第四空間」は、これらのどれにも属さない活動空間、つまり伝統的な生活世界とは異なる空間です。具体的には、チーマーやコギャルが活動するストリートや、クラブ、ゲーセン、テレクラ、デートクラブなどの現実空間を指していると説明されます。

高度経済成長期以前は、大人も、子どもも、これら三つの活動空間を棲み分けながら日常生活が営まれており、それぞれの空間には異なる独自の規律と価値観が備わっていました。

子ども中心に考えると、学校で求められる「よい子」「できる子」という学校的価値観に当てはまらなくとも、今と比べれば相対的に大きな家族のなかで、家事や育児、買い物などの手伝いをしたり、地縁によってつながれた地域社会のなかでお年寄りの世話をしたりするなかで彼らは認められ、自分なりの居場所を確保していました。子ども達は、地域に共存する多様な価値観を自分なりに編集することで、自己イメージを形成していました。

しかし、高度経済成長期に「郊外化」が進行していくと、まずは地域共同体が崩壊し、次いで家族が核家族となり弱体化して、結果として学校だけが活動空間として残ります。そして、学校の影響が核家族にも及ぶようになります。

かつて子ども達を支えてきた地域的価値や家族的価値が消滅して、「よい子」「できる子」という学校的価値観が全面化すると、それに適合できない多くの子ども達は居場所を失いました。全面的な「学校化」が自己イメージの均質化をもたらし、息を詰まらせた子ども達が逃げ場にしたのが、あるいは居場所にしたのが「第四空間」です。大人も同様に、地域や家族の崩壊に伴って、職場(企業)的価値観が支配的となり、主婦は主婦なりの、夫は夫なりの感覚地理によって、独自の「第四空間」を探し求めるようになります。

「第四空間」としてのインターネット

宮台によると、「第四空間」の典型であるテレクラは、世界初の「n×nメディア」であり、さらに「インターネット社会が直面しつつある様々な問題は、十年以上に及ぶ『電話風俗』の歴史において出尽くしている」ともいいます。インターネットがコミュニケーションのグローバル化や透明性を増大させるという一般的な見解とは反対に、ディスコミュニケーションを世界大に拡大し、社会を「島宇宙化」させるというのです。これらの見解は、今でこそデジタル社会の欠点として認識されていますが、インターネットが登場して数年しかたっていない1996年時点での発言というのには驚かされます。

テレクラと同様、インターネットはn×nメディアであり、ストリートやクラブに代わる「第四空間」だといいます。実際に、その後のインターネットは「第四空間」として広く認められ、他所では生きにくい人間に対して居場所を提供して彼らを救済します。ただし、たとえオウム真理教や集団自殺呼びかけサイトなどが社会悪でも、そこでの活動の中身は外部から確認できません。この点は、現在でもインターネットの本質的な問題であることに変わりありません。

存在論的な場所を求めて

ところがその後、宮台は第四空間論を取り下げ、「転向」してしまいました。その理由を、「第四空間にはサステナビリティがなかった。高度な流動性による入れ替え可能化と、“健全な”内在志向とは両立しない」と述べています。

「馴染みの場」をサービス提供する花柳界を例にとりながら、そのような安定持続的な場が、流動性の高い「第四空間」には作られず、「『第四空間』が、<生活世界>と機能的に等価な感情的安全調達機能を果たすというのは、幻想に終わりました」というのです。「終わりなき日常を生きろ」と、一貫性のない不安定な実在を強度で生きぬけ!と宮台に鼓舞されてきたブルセラ女子高生たちは、梯子を外されただけでなく、「軒並みメンへラーになりました」と突き放します。ちなみにメンへラーとは、心の病を抱える人の意味です。

「生きられた空間」といわれる「第四空間」には、①存在論的な場所性と、②空間の過剰流動性という二つの性格が備わっています。宮台は当初、冒頭の引用文(日本人~)でも明らかなように、第四空間の場所性の効果を重視していました。しかし、「人格システムからみれば確かにそこで救われるのだけれども、社会システムから見れば、“そこ”が“そこ”でない場所にとってどんな機能を果たすのかが自明でない」というように、次第に「第四空間」の激しい流動性を問題視するようになりました。

生きられた空間として「第四空間」が若者世代から支持されたとしても、流動性の激しい空間であるがゆえに持続することはないというのです。デートクラブは潰され、クラブはすっかり変質し、花柳界と比べるまでもなく現実空間の「第四空間」は散々になりました。

デジタル空間に飲み込まれた昭和以前の空間区分

「第四空間」として期待されたインターネットは、その後、統合された多元的な活動空間として拡張を続けています。

「家族」「学校」「地域」、そして「第四空間」も一様にデジタル空間に取り込まれ、我々は、デジタル空間と現実空間という新しい区分のなかで生きていくことを迫られています。商空間、企業活動、PTA活動、政治空間までもデジタル空間上で展開されるようになりました。

それだけでなく、われわれ個人は、過剰流動性がみられる匿名空間でも、アバターを使った仮名空間でも、もちろん実名空間でも生きることが可能です。

このように、より複雑になった現代社会空間での生き方を考えるためには、第四空間論とは別の空間論が必要になっています。

書きおえて

最近では襲撃事件でニュースになりましたが、宮台真司さんは国内で最も知名度の高い社会学者です。

宮台さんの「第四空間」に似た概念に、地理学者ソジャの「第三空間」があります。ソジャの「第三空間」は、二項対立になりがちな思考や活動の枠組みに、第三項を差し挟むことで、その有効性を保つ狙いがありました。
一方、「第四空間」は、社会的にバランスのとれた中間集団のトライアングルが崩れた際に登場する四番目の集団や集合を指しています。

両者は似て非なるものですが、どちらも社会構造変革の可能性を提唱し、それを「空間」を使って説明した点が興味といえます。また、両者の空間性は一切が生起するプラトンの「コーラ」にも似ています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

(丸田一如)

〈参考〉
宮台真司『まぼろしの郊外―成熟社会を生きる若者たちの行方』朝日新聞社、1997年
宮台真司『援交から革命へ』ワニブックス、2000年