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クリッターちゃん

僕は勝ち負けのあるゲームがいつの間にか嫌いになっていた。

環境デッキや環境武器など、
それを使えば強いとされている物にあまり興味を持てず、
僕自身のプレイスキルは全然ないのに
最初からイロモノを使うことが多い。

勝ちそうになってしまうとよくわからないくらい焦燥感に駆られ
勝ってしまうと罪悪感を感じる。

…つまり楽しくない。

他の人は勝負事には勝ちたいらしい。
だけど、僕に勝つ意欲がないことがバレてしまうとみんな相手してくれなくなってしまう。
必ず勝てるのは楽しくないらしい。


マスターデュエルという遊戯王のアプリでは
メイトと呼ばれる相棒と一緒にデュエルを行う。

彼らは僕が負けると悲しみ
僕が勝つと喜ぶ
僕のお気に入りのメイトはクリッターちゃん

三つ目がパチクリ

最初見た時は不気味な子だなぁと思っていたんだけど、
この子の声も反応も、子供のように無邪気で
すぐに可愛い子だなと思うようになった。

そういえば、マスターデュエルでは罪悪感の方はあまり感じないまま楽しめている。

そのことに気づいてどうしてなのかを考えてみたら
勝負に勝った時にクリッターちゃんがとても嬉しそうにしてくれるからかもしれないということに気づいた。

クリッターちゃんが喜ぶならいいかって思えるんだ。

じゃあそもそもなんで僕は勝つと罪悪感を感じるんだろう?

そして気付いた子供の頃の記憶

僕には歳の離れた弟や妹がいる
父親が違うから見た目も似ているような似ていないようなで、
彼らの父親は仕事柄家を空ける事が多かったので
僕は彼らのお世話をよくしていた。

つまり僕は半分親代わりだった。

ただし、親代わりの僕が本当の親と違う点のいくつかの中に、
彼らと一緒に遊ぶ時に彼らの機嫌を損ねると本当の親(僕の親でもあるはずなんだけど)にめちゃくちゃ怒られるという事がある。

怒られるというのは、
サザエさん家の波平さんみたいに叱ってくれるならまだいいものの
雲行きが怪しくならないようにずっと睨まれていて
案の定機嫌を損ねるとネチネチ人格を否定されるような…
たぶん健全な家庭で育っている人には理解できないタイプの怒られ方だ。

今は弟や妹と同年代の子と一緒に働いていて、
むしろ彼らの方が僕よりしっかりしていて
大きくなったんだなぁといつもびっくりしている。

大人になってしまったらたいした事ない歳の差なんだけど
子供の時の歳の差はとても大きいので、
僕と弟妹が対等に勝負することなど基本的には不可能だった。
(僕が小学生を終えようとする時彼らはやっと保育園に入れるかどうかくらい)

幼き彼らは負けると機嫌を損ねるので
僕は勝ってはいけない勝負を常にやっていたのだということに今更気づいたんだ。

その頃の記憶がいつまでも抜けなくて…

罪悪感の正体に気付いたら焦燥感の方もあまり感じなくなってきた。


僕はもう同年代が親になっているくらい実年齢的には大人になっているんだけど
最近やっと誰かの親代わりから逃れる事が出来て
本来の年齢の時になれなかった子供としての振る舞いを履修しようとしているところ。

血や戸籍の繋がった親はほぼ捨てたので
僕自身が親代わりとなり僕を育てる形になっている。
親代わりは得意だからな。子供になるのは難しいけどな。

僕以外の誰の機嫌も気にする事なく僕も勝負に勝ってみたい。


僕の人生のゲームはまだまだチュートリアルすら終わらないようだ。


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