「なにもしない」を許せるか
時間 があったらあった分だけ「何かしないともったいない」と思ってしまうのは、忙しくしている時のクセみたいなものかもしれない。
全力でゆっくりするのが得意技だった私なのに「自分とはこういうものだ」という枠に、自分をはめなきゃと思うばかりに、知らず知らずのうちに、がちがちにきゅうくつになってしまっていた。
全力でゆっくりするのは、次に動くための英気をを養うための時間だと思っている。子どものころから、なぜかそれが得意だった。
意識的に「からっぽ」にすることで、次のパフォーマンスが上がるって分かっていたのだろうか?? ただのぐうたらだったのか??
ぐうたらの方が強かった気もするけど、からっぽ時間を欲するほど何かに気を使ったり、固くなっていたりする時間が多かったのかもしれない。
実際、からだは子どもの頃から硬さナンバーワンだった。 硬いからなのか、転びやすいしケガもしやすかった。
歩くのもおそく、とても疲れやすかった。 おとなになってからも施術などで体を触られると、びっくりするぐらい「カチカチ」だと言われれる。巡りが悪いのかむくみがちで手足はパンパン、代謝が悪いのかシミも多い。水分もあまりこまめに摂らない方だった。 今までの人生で何回か「体を変えよう」と思うことはあった。 動かしにくくて困るなと思っていたから。歩くときに足がもつれるというか、足のはこびに迷いがあるというか、 スムーズじゃない。そのせいなのか、大胆の前面がとても張っている。 首のうしろや背中ももっこりとしている。
からだの声を通訳してもらう期会があった。「私の足はこんなに太くない」と足が言っていると言われた。重りをつけてしまっているのか? 自分で。動かなくていい言い訳にしているのか?
体の巡り、中も外も流す。ぜんぶ出すというキーワードも何回ももらっている。でも、結局変わらず来てしまった。 でも、やらない言い訳が必要なくなってしまった。今やりたいに変わったから。
この先の人生のプランが見えて、達成するためにはもう全部やりきるしかないと思ったから。
この思いにたどりつけたのは、「何もしない」を許せたから。 ゆるんだ頭で、行動して、たどりついた。
「何もしない」でOKの心の余裕が、自分の 本当の望みに気づかせてくれた。
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