「哲学科」ってどんなトコ?
大学の「哲学科」と聞いて、一般にはどんなイメージが浮かぶのだろうか。
「変人の集まり」とか、「何をやってるのかよくわからない」とか、おおよそそんな感じかもしれない。
一応私も哲学科の出身なので、大体どんな感じのことをやっているかは知っている。
が、ぼんやりした話しかできない。
大学、学部、ゼミによってもかなり違うはず。
コロナとかで、だいぶ状況変わってそうだし。
今回はそんなぼんやりした話をしていく。
ちなみに哲学科といっても学部の話なので、大学院とかだとまたかなり違う気がする。
哲学科でやることの基本は、「読む」「書く」「話す」である。
「読む」
哲学といえども学問なので、ただ漫然と考えているわけにはいかない。
他人にわかるように説明できなければいけない。
そのためには、根拠(論拠)が必要になる。
「こうこうこういう理由で、わたしはこう考える」
「この文献のこの部分は正しいと思うが、この部分は誤りがあると思う」
等々。
他人にもわかりやすい論拠を見つけるには、参考文献が不可欠だ。
本や論文を読むことは避けられない。
図書館、古本屋、論文サイト(CiNiiなど)を延々漁ることになる。
「書く」
大学生なら誰しも、学期末にはレポート提出かテストが待ち受けているはずだ。
哲学科の成果物はほとんどがレポートになる。
量を求められることはさほど無い(と思う)が、
代わりに
「論理的に考えているかどうか」
「根拠があるかどうか」
などを求められる。
レポートのお題が難解でとっつきにくいこともしばしばだ。
「他者に心があることを証明するにはどうすればよいか」
について2000字書かされるやつ、もう二度とやりたくない。
テストがある場合も、9割は論述だ。
知識を必要とされることが少ないので、暗記が苦手な人間にはいいのだが、
問題文が
「『正義』について、自分の意見を述べよ。」
の一文だけで、90分で無地のB4用紙を埋める、
なんて試験もあったりする。
無茶を言うな。
ちなみに、哲学科では教科書の偉人の名言をボロクソに批判しても問題ない。論理が通っていればいい。そういうものなのだ。
「話す」
入るゼミによっては、発表があったり、討論があったりする。
避けようと思えばできるが、これが一番哲学科っぽい感じがする。
扱うテーマは難解なことが多いので、
「一見わけわっかんねーことを、どうにか他人にもわかるように説明する」
必要があり、
否が応でも説明力や論理力、胆力が養われることになる。
これはマジに、社会に出てからも役に立つ。
最近はコロナの影響で、討論とかは難しいのかもしれないが……。
私の場合は、ゼミで発表をしたあとに質疑応答があったのだが、
誤字脱字から内容の根本まで、あらゆる部分にありがたいご指摘が飛んでくることになった。
よく言われる「素人質問で恐縮ですが」を全身で味わえる。
なお、こういう時には、上級生相手だからといって萎縮してはならない。
質疑応答とは、純粋に論理だけが物を言うバトルフィールドである。
感情を捨て、冷静に論理を組み立てて戦おう。
ただし「喧嘩」はしちゃダメよ。
以上が、「読む」「書く」「話す」だ。
哲学科では実験や実習がほぼないので、これが非常に大事になってくる。
もちろん、いわゆる座学らしい授業もある。暗記が必要な授業もある。
大学というものは大抵そうだが、先生の癖が強いので、自分に合う授業を探すのが大事だ。
合わない必修はほどほどにがんばろう。
余談だが、哲学科では考えることが本懐である。
本気で哲学をやろうと思うと、
「教科書を信じるな」
「権威のある奴が言ってるからといって信じるな」
「前提を疑え」
「自分の考えも疑い続けろ」
という考えが必要になってくる。
(流石にここまで直接言われるかはともかく)
ただ、これにのめり込みすぎると、
日常の安定感すら失われて精神的に不安定になったり、心の病気を抱える羽目になる。
一生の後遺症になる可能性もあるので、流石にそこまでは真剣にやらなくていい。
人間、考えないことも大事だ。
時には大学生らしく遊ぼう。
採用担当に突っ込まれないくらいのGPAは維持しておいて、無理な時はサボろう。
そういう奴が一番人生を楽しめるのだ。
知らんけど。
長くなったが、このあたりで。
哲学科はいいぞ!