食べるのが遅い、の社会モデル
気がついたら12月も下旬。今年最後の講義、今年最後の家庭教師、今年最後のボランティア…段々と「よいお年を」をいう機会が増えてきました。
終わりが見えてくると可能な限り全力で突っ走ろうという気持ちが湧いてきます。マラソンで残り1kmとかが見えると急にスピードを上げられる気持ちと同じですかね。良い年越しができるように最後まで頑張ります!
さて、今日はなんだかんだ続いてしまっている食べることに関する考察第三弾。
本当はここでうた・せんみたいに綺麗に他の話題に引き込むことができるとかっこいいのですが、私はそういうことが下手なので普通に障害学の考え方を引用したいと思います。
☆ろう文化の中ではみうは困らない
昨日のnoteで触れた様に、
ろう学校では「食べること」と「話すこと」の時間を分ける習慣があります。
昨日、私は「暗黙のルールとして食べながら話すということがない」のではと言いました。このような環境においては、みうは「食べることが遅い人」になりえません。逆にもし口話をする人も「食事中は会話禁止、全員が食べ終わるまで話さないで待っているべき」というマナーが一般的、という世の中になったら、せんにとっては、人を長い時間待たせてしまうことになり、とても辛い環境になるでしょう。
このように、環境によって生きづらさが変わること、これが社会モデルの本質と言えるのではないかなとみうは考えています。
☆社会モデル
障害の社会モデルについては以前りこが詳しく説明していましたし、
せんも話題にしていたので
私からは軽く説明するだけに留めます。
個人的にはWHOによる ICIDH(国際障害分類、1980)とICF(国際生活機能分類、2001)の違いに近いと解釈しています。
「障害」の捉え方として区別されるICIDHとICFの二つを簡単にご紹介します。
ICIDH(個人モデル)は、障害を「心身」「能力」「社会参加」に分類し、「機能障害」がある故に「社会障害」が起こり「社会的不利」が発生するという、「社会不利」が起こる原因が個人に起因する機能的な欠陥によるものと解釈する考え方。
ICF(社会モデル)は、「健康状態」、3つの「生活機能」、2つの「背景因子」から構成されておりそれぞれの要因が絡み合って生活機能に影響を与える、という考え方です。
そもそもICIDHとICFの日本語訳からわかるように、ICIDHは「障害」に焦点を当てた分類法、ICFは「生活」に焦点を当てた分類法で、ICIDHにおける「機能障害」もICFでは心身の特徴の一つとして考えるという特徴があります。それが、りこのnoteで上がっていた車椅子の人の例ですね。
「社会の側に問題がある」から「生きづらさを感じる」ことが社会モデルの本質でした。
ここで大切にしたいのは、原因の所在を突き止めるだけでは意味がなく、解消のためには何がどのように変わる必要があるのか、だと思っています。
☆食べることと社会モデル
さて、今回の命題:食べることを社会モデル的に当てはめてみたいと思います。
みうからすれば、食べることと話すことを同時に行うことが一般的な世の中だから困ることが多いです。そして、せんからすれば噛む回数が少ない人が多いため、マイノリティの彼女が遅いとみなされることが多いです。これらの考え方が、自然な社会モデル的な考え方になるのではないかなと思います。
現状、食べながら話す人が多く食べる時間の確保が難しい世の中ではみう・せんは食べることにおいて困難を感じていますが、環境が変われば生きづらさというのがなくなるかもしれません。
原因を個人の能力(マルチタスクを行う、少なく噛んでも飲み込める)に求めるのではなく、個人は変わらないまま生きやすくなるというのは単純にありがたいことです。
もちろん、社会モデルの考え方だけで全ての生きづらさが解消されるとは思っていません。私自身、一昔前まではアンチ社会モデルでしたし、個人モデル・社会モデルで綺麗に二分されるものでもないと思います。今回はかなり単純な構造でわかりやすい例だったのでご紹介しましたが、食べることに限らず障害による困難なども個人が変わらず原因が解消される世の中になれば良いなと思います。
☆最後に
うた・せんに倣って自分と食べることについての分析を行なってきました。
個人的には文字に起こしてまで色々調べるなら広く浅くよりも狭く深くの方が好きなので自分は楽しいのですが、読み手は飽きそうだなということも一応理解はしています。ほどほどに突っ込んだら別の話題もできるようにしないとですね。(本数が増えているのは今までだったら一つにまとめていたのものを分けるという技を身につけたおかげでもあります)
ICF・ICIDHに関しては本当に表面的なことしかご紹介できませんでしたし、まだまだ語りたいことはあるのですが、あまり専門的なことを語りすぎても需要は薄そうなので、また機会があったらいつかチャレンジしてみたいと思います。
3つに分けたはずでもなお2000字を超えてしまい、全体では5800字弱書いてきたこのシリーズですが、一旦食べることからは離れたいと思います。
明日は、食べることの初回で少し取り上げたシングルフォーカスについて当事者目線のnoteをあげる予定です。いつもの日記風noteになる予定ですが、よかったらまたお読みください。それではまた!