12.ハートの声(2)

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 酸欠で薄れかける意識に芥の声がよぎった。

(〝とにかく足だ。一点集中でダメージを蓄積させて……〟)

 はっとし、煉の右腿に肘打ちを落とした。
下段蹴りを繰り返し当てておいた場所だ。

 煉が小さくうめき声を上げ、わずかに腕が緩んだ。
すかさず技を抜けると転がって間合いを取り、立ち上がる。
仕切り直して向かい合った。

 繰り返し蹴りを当てた煉の右足は腫れ上がっているはずだ。
とは言えこちらも投げとマウントパンチが相当に効いていて、次に寝技に持ち込まれたらしのげる自信がない。

 煉の勝ちたいという一途な思いがぶつかってきてチリチリする。
思い出をたぐれば、彼はいつだって本気だった。
素人同然の俺に投げられまくっても、ほかの部員にバカにされても、がむしゃらで本気だった。

 それなのに俺はどうだ? 本気で彼に立ち向かっていたのか?
煉の気迫を押し返すように、俺はありったけの気合いを込めて掛け声を上げた。

「セェェイッ!」

 パンチで牽制して間合いを計り、上段回し蹴りを放った。
だが煉はすぐに反応してかいくぐってきた。
捕まれば投げられる! 今度捕まったら終わりだ。
だけど、この蹴りはさっきとは逆に上段から下段に変則させる!

バシッ!

 蹴りが煉の右腿を捕らえ、彼は小さくうめき声を上げた。
その瞬間、俺は相手の腕を掴み、背負うように投げた。

(俺だって忘れてないよ! お前が一生懸命練習したって言ってたこの技……!)

 一本背負い投げ――弁当を一緒に食べたあの日、フェイント蹴りを見せてくれた礼だと言って煉が教えてくれた技。

 煉はどんとマットに背中から叩き付けられた。
もう立てなかった。
審判が手を振って試合終了を示す。

 割れんばかりの歓声があたりを包み、へろへろの俺はどうにか残心をして応えた。
宵人がリング下で飛び跳ねている。

「すっげー! すっげー、ココ兄ちゃん!」

 それに笑顔で答えて汗を拭うと、ぼそりとした声が聞こえた。

「センパイ……」

 振り返ると、煉は仰向けになったまま涙を流していた。
しゃっくりを上げながら続ける。

「ほかの人は誰も相手してくれなかったのに、センパイだけはいつもぼくに一生懸命になってくれて……いつか、いつか会えたなら、強くなったところを見せたくて……」

 煉を立たせて抱き締めた。
彼はあれからずっと俺の幻と戦い続けてきたんだ。
ナメてかかってたことを本当に申し訳なく思ったし、俺のためにここまでがんばってくれたことが嬉しかった。

「ありがとな。お前、強くなったよ。本当に強くなった」

「う……」

 しばらく煉は俺の腕の中で子供のように泣いていた。

****

 サマーは怒って帰ってしまったらしく、彼が囲っている少年のひとりが金を持ってきた。
札束でパンパンの封筒の重みは、俺には金塊の山ほどにも感じられた。

 煉と一緒に帰路についた。
勝者と敗者に別れたにも関わらず、俺たちは幼馴染のように打ち解けていた。

 俺がバイトをクビになったのはまったくの誤解で、元同級生がスーパーで俺を見かけて店に告げ口したらしい(俺がやたら女子生徒に構われていることを良く思っていなかった男子の誰かだと思う)。
事務所でそれを聞いてしまった煉が、俺が路上生活を強いられている窮状を訴えて「クビにしないでくれ」と頼んだ……という経緯だった。
そしてあの夜、俺のあとを尾けてきた理由は――

「決闘を申し込むためだったんだ?」

「はい。けど、その、お、お取り込み中……だったみたいなんで。逃げちゃって」

 彼が真っ赤になって眼を伏せると、俺も同じくらい赤くなって目をそらした。
俺と芥が抱き合っていたことを言っているんだ。

(見られてた! き、気まずい……)

 駅で別れる前、俺は彼に聞いた。

「サマーにおしおきされない? 大丈夫?」

「借金とかあるわけじゃないんですよ。腕試しに何度か賭け試合に出させてもらっただけで。もう使ってもらえないでしょうけど、センパイと戦えたからいいんです」

 彼は大きく手を振って笑った。

「次は負けないですから!」

「煉くん、色々ありがと!」

 芥と並んで歩くあいだ、俺は試合中のことを熱心に話した。
気の高ぶりが収まらなかったんだ。
煉の思いをはっきり感じられたときのことを話すと、芥は感心したようにうなずいた。

「心滴拳聴《しんてきけんちょう》だな」

「何それ?」

「俺は〝ハートの声〟って呼んでるけどな。拳法家同士が果たし合いの最中、相手の心の声が聞こえる現象だ。お前はそういうのがわかるほうなんだろう」

(そういえば藤堂さんのときもかすかに聞こえた気がするな)

 それなら芥の拳からはいったい何が聞こえるのだろう?
そう思った瞬間、俺は考えるよりも先に言葉を口にしていた。

「芥、俺と戦ってくれ」

 芥は腕組みし、片眉を吊り上げた。
こらえ切れないという様子で苦笑されたので、俺はちょっとムカッとした。

「本気だ!」

「俺が勝ったらヤラせろ」

「……!」

 瞬間的に顔に血がのぼった俺に対し、芥は肩を揺らして笑い始めた。
顎に手を当て、ちょっと考えてから言い直した。

「キスだけでいいよ」

「わ……わかった。やる」

「とりあえず休め。それからだ」

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ほんの5000兆円でいいんです。