14.ハートの声(4)

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 宵人が5才のとき、彼の父親が妻を射殺した。
九霊会のヤクザだった父親は彼女が警察と通じていると思い込んだらしい。
死体を始末させるために呼んだのが部下のヒュー兄ちゃん――裏手《ウラテ》飛雄児《ヒュウジ》だった。

 飛雄児の車に死体を積んで財音港に捨てに行った。
助手席の宵人が星明かりの映った海を見つめていると、飛雄児が言った。

「お前の母ちゃんはあの星のひとつになるんだ」

 それが彼なりに考えた精一杯の慰めの言葉だったらしい。

 宵人の世話はそのまま飛雄児に押し付けられた。
芥が言うには「軽薄で、チャラくて、単純な男」だったそうだ。
だがそう語る彼の表情は愛しさにあふれていた。

「兄貴は俺の誕生日を祝ってくれた。俺がこの世に生まれたことを喜んでくれる人がいるなんて、それまで思ってもみなかった」

 宵人が12才のとき、学校の帰り道で九霊会のヤクザに車に乗せられた。
連れて行かれたのは地下格闘技場ピットで、しばらくすると飛雄児が連れて来られた。

 ヤクザのひとりが吐き捨てるように言った。

「お前の兄ちゃんはな、オレたちをずっと騙してたんだ」

 飛雄児は九霊会に潜入していた財音市警の捜査官だったんだ。
リングに放り込まれた彼が対戦相手になぶり殺されるのを、宵人は何も出来ないまま見ていた。

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「殺す。絶対に殺す。あのとき頭の中でガンガン鳴ってた言葉が、今でもここで響いてる」

 黒猫ニンジャのフィギュアを手にした芥は、自分の頭を指差しながら言った。
俺たちは六門神社の縁側に並んで座っている。

「兄貴が死んだあとは施設を転々としながら自分を鍛えた。
ハタチ前だったか、ピットのチャンピオンになったとき九霊会の幹部に迎え入れられた。これで人探しがやりやすくなった」

 彼は指を三本立てた。

「兄貴が潜入捜査官だと密告した同僚の警官、殺すよう命じた幹部、なぶり殺しにしたピットファイター。この三人を特定した直後にヘタを打って正体がバレちまってな。
頭を撃たれて海に捨てられたんだが、通行人が見つけてかろうじて生き延びた。半月くらい昏睡していたらしい」

「ヤクザはトドメを刺しに来なかったの?」

「植物状態なら死んだも同然と思ったんだろ。だが俺はよみがえった。厄介な〝同居人〟付きでな」

 自分の頭を指差した。

「九霊会はそれを知って病院に刺客を差し向けた。そいつらをブチのめしながら逃げている途中で宵人と入れ替わっちまって、そこでお前と出会ったわけだ」

「あ! あのとき俺がブッ飛ばしたチンピラたちか」

「そうだ。あの人質マッチは俺の処刑も兼ねてたんだろな」

 ウォードッグスが俺に目を付けたときに偶然芥と同棲してることを知って、それでピットに出してふたり同時に始末しようとした……ってことかな?
俺は少し口ごもってから言った。

「それで……諦めてないんだろ? 復讐」

「当たり前だ」

 彼の眼には憎悪があった。
たぶん飛雄児を殺された日から少しも衰えることなく燃え続けている、暗い炎が。

 俺は挑戦的に笑いかけた。

「それなら宵人の面倒を見るやつがいるだろ。でなきゃ土壇場であいつに戻っちゃったときにどうすんの?」

 芥は苛立たしげなため息をつき、押し黙った。
彼がどれだけ強くてもこればっかりはどうしようもないんだ。
しぶしぶながらうなずいた。

「無駄にかわいいツラしてるのにヤラせないガキと一緒か」

「お前、そのかわいいツラをぶん殴ったよな!? 全力で!」

「あんなの撫でたようなもんだろ」

 芥はこちらにぐいっと顔を近づけた。

「約束」

 俺は呼吸を整え、目をぎゅっと閉じた。
そろそろと頭を前に持っていくと、唇に暖かいものが触れる感じがし、小さくチュッと音がした。

 しばらく目を開くことが出来なかった。
心臓がバクバクしている。
目を開くと芥がそんな俺をおかしそうに見ていたが、すぐに真顔になった。

「ひとつだけ約束しろ。俺を止めるなよ」

 俺は耳まで真っ赤になってうなずいた。

「う……うん……」

 芥はニヤニヤし、冗談めかして舌なめずりをした。

「お? 初めてだったかな?」

「そうだよ! バカ!」

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 帰り道、宵人と手を繋いで駅へ向かった。
まだ胸がドキドキしている。

 ちらりと宵人を見た。
ずっと先送りにしていたが、彼に告げなければならないことがある。

「宵人……ヒュー兄ちゃんのことだけど」

「ん?」

 真っ直ぐな目で見下ろされると、言葉が喉に詰まってしまった。

「えっとさ……ヒュー兄ちゃんってどんな人?」

「チャラい! 髪の毛が金色」

 俺は笑ってしまい、自分の髪をかき上げた。

「それはチャラいな。俺もこんな色だけど」

「それにね、誕生日にねえ、黒猫ニンジャの映画に連れてってくれたんだよ!」

 宵人は目を輝かせた。

「毎日見たい見たいって言ってたら連れてってくれた! それでね、帰りに黒猫ニンジャカフェでオムレツ食べさせてくれた!」

「そっかぁ。ヒュー兄ちゃんのこと、大好きなんだな」

「うん!」

 宵人は太陽のように笑って大きくうなずいた。
ヒュー兄ちゃんは永遠に見つからない。
知るのが遅くなればなるほど宵人は傷付くのに、俺はその真実を口に出来ないでいる。

 もし芥が復讐を遂げたとしても、そのとき宵人はどうすればいいのだろう。
兄も復讐相手もいなくなった世界で、彼はどうすれば……

(俺がそばにいてやるからな)

 俺は思いを押し殺し、宵人に微笑みかけた。

(俺だけは絶対に見捨てない)

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