11.ハートの声(1)

<戻目次次>

****

 後日もういちど店に出向いて李に伝言を頼み、サマーと連絡を取った。
試合は二週間後だ。

 残り少ない金で食い繋ぎながら、芥の指導で稽古を重ねる。
意識を集中させようとしても、ふとすると胸の奥にもやもやしたものがあふれ出してくる。
もちろん最終的に決断したのは俺だし、そもそもこれは俺が望んだ賭け試合だってわかってるけど、それでも芥には怒らずにいられなかった。

(俺が負けてあの変態野郎に何されても平気なのかよ)

 不満をくすぶらせていると芥が怒鳴った。

「集中しろ!」

「……」

 彼は苛立たしげにため息をついた。

「何で九霊会はお前をピットに出したと思う?」

「パクられた選手の穴埋めだろ」

 芥は失笑した。

「それもあるだろうが、一番の理由はお前の顔がキレイだからだ。そういうガキに格上の相手をあてがって、グチャグチャに潰すところを見せて客を喜ばせる。ピットはそういう場所だ。藤堂が最初から冷静なら数秒でブチのめされて、好きなように拷問されてただろうな」

「……」

「サマーは負ける勝負はしない。前の煉は知らんが今は相応の使い手になってるはずだ」

「わかってるよ」

「本当にわかってるのか? まあいい、口答えは終わりだ」

 稽古に戻りながら、俺はぽつりとつぶやいた。

「俺のことも大事にしろよ……」

****

 試合はホテルのセレモニーホールを貸し切って行われた。
リングが建てられ、40人ほどの観客が入っている。

 リングサイドに立った俺はいつものようにオープンフィンガーグローブ、赤のパンツ、素足という格好だ。
切りに行く金がなかった髪は後ろでひとつにまとめてある。
左の手首に巻いたミサンガを右手でぎゅっと握り、眼を閉じた。

(芥も煉も何もかもみんなクソだ! クソ!)

 芥はセコンドについている。
いつ宵人に変わるかわからないので、あの李というバーテンに打ち明けて一緒にいてもらうことにした。

「絶対にナメてかかるな」

 芥の忠告を無視するように、精神統一のシャドーボクシングをする。

(さっさと終わらせて芥の鼻を明かしてやる。ナメんなよ!)

 リングに上がり、煉と相対した。
柔道着にオープンフィンガーグローブという格好だ。
しなやかで無駄のない体つきといい、じっとりと暗い目といい、どこか毒蛇を思わせた。

 特等席にふんぞりかえったサマーが声を張り上げた。

「よっしゃレン、尻から手ぇ突っ込んで奥歯ぁガタガタ言わせたれ」

(それホントに言うやつ初めて見た)

 サマーが審判に手を振ると、ゴングが甲高い音を立てた。
カン!

 煉は地を滑るようにして迫ってきた。
寝技に持ち込もうとする彼の間合いを外しながら、小刻みに打撃を当てて体力を削っていく。
ばしっ、ばしっと小気味のいい音を立てて下段蹴りが相手の足に命中した。
相手はそのたびに苦し気に顔を歪めるものの、前を出る足を止めようとしない。

(そんなに俺がキライかよ!)

 左右のパンチから下段蹴りという一連のセットを繰り返し放つうちに、煉も目が慣れたのか徐々に対応し始めた。
不器用ながらもこちらにあわせてパンチを出してくる。

 だけどそれが俺の狙いだった。
左右のパンチからそれまで通りに下段蹴りと見せかけ、渾身の上段回し蹴りを放つ。
慣らしておいてからのフェイントだ!

(食らえ!)

 確実に決まったと思った。
だけどその瞬間、煉は待ち構えていたように蹴りを掻い潜り、俺を抱えてマットに投げ落とした。
朽ち木倒しという柔道の技だ。
以前とは比べ物にならないほど巧みで強烈な投げだった。

「ゴホッ……!!」

 肺の空気が押し出され、一瞬息が出来なくなった。

(読まれてた!? 何で!?)

 煉は俺にのしかかって拳を振り下ろしてきた。

ガン! ガン! ガン! ガン!

 連打を必死に防御してやり過ごす。
不利な形に持ち込まれたのに、俺は不思議な感じがしていた。
彼の拳は一発一発が強烈に重くてがむしゃらなんだけど、少しも憎しみが感じられないんだ。
まるで俺に何かをわかってほしくて、必死に叫んでいるみたいだった。

――ぼくを見てください、センパイ!

 はっきりと彼の心の声が聞こえた。

――強くなったぼくを見てください!

 学生時代の記憶が頭をよぎる。
昼休み、校舎裏にひとりでいた煉を見かけて一緒に弁当を食べたことがあった。

(〝センパイ、何でぼくと練習に付き合ってくれるんですか。だって、ほかの部員のほうがずっと上手いし……〟)

(〝煉くんはいつも頑張ってるじゃんか! 俺、そういう人とやりたいんだよ〟)

 そのとき俺の考えた必殺技、変則フェイント蹴りを彼にこっそり打ち明けたんだ。

(あのときだ! 憶えてたんだ……)

 煉の柔軟な体がするりと後ろに回り込み、首に柔道着の袖を巻きつけてきた。
袖車締め――自分の道着の袖を使って相手の首を絞める技だ。
どうあがいてもビクともしない。
たぶん、この形に持ち込むのを狙って必死に攻撃に耐えていたんだ。

「ええでぇレンぅ、いてもぉたれや!」

 サマーの声が遠くで聞こえた。

<戻目次次>

ほんの5000兆円でいいんです。