10.俺の身体を賭けるって……!?(1)

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 財音市中心街、最寧寺《サイネイジ》町。
猥雑なネオン洪水の中に飲み屋や風俗店がひしめき合い、夜の世界に住まう男女が行き交う町だ。
薄暗い路地には怪しい店も多く、中高時代はここに近付いてはいけないと教師によく言われたもんだ。

 黒い背広姿の俺と芥は中規模のホテルへ入った。
それほど広くないが落ち着いた高級感が漂っている。
ロビーに入った俺は改めて自分の格好を見下ろした。
着心地は最高だが罪悪感で胃が重かった。

「いいのかな、これ……」

「あとで金を送ればいいさ」

 数十分前、芥は閉店後の大手紳士服店を見つけると、ボルダリングの達人でも感心するような腕前で外壁をよじ登り、防犯装置のない屋上から店内に忍び込んだ。
落っこちそうになりながら必死でついていった俺に手早く背広を見繕うと、自分も着替え、来た道を戻って店を出た。
相当に手馴れた様子で、そのことを聞くと彼はこともなげに言った。

「ガキのころはよくこういう悪さをしてた」

 量販店のスーツにも関わらず、まるでオーダーメイドのような着こなしだ。
しなやかな身のこなしも相まって芥のスタイルの良さが際立ち、隣に立っているだけでドキドキした。

 エレベーターで地下に向かった。
出た先は無骨なロビーで、鋼鉄の扉の上に『NARAKA(ナラカ)』と看板が出ていた。
覗き窓越しに門番がこちらを確認すると、扉が開いて中へ通した。

 奥は広々としたバーになっていた
薄暗い店内に気だるい音楽が流れ、着飾った男女が談笑している。
我が家のようにくつろいだ様子でカウンターについた芥を見て、初老のバーテンが目をぱちくりさせた。

「連絡が来たときは驚きましたよ。生きてたなんて」

「よう、李《リー》。俺はいつもの、そっちには烏龍茶」

 グラスがふたつ出された。
芥は喉を鳴らして酒をひと息に飲み干し、長々と息を吐いた。

「うおお……生き返る!」

「どこなんだよ、ここ?」

「骸龍《ハイロン》っていうチャイニーズマフィアがやってるバーだ。前に手を貸してやって以来、俺はここのゴールド会員ってわけ」

 芥を見かけた男女が足を止めては、短く立ち話をしていく。
第一声は決まって「死んだんじゃなかったの!?」だ。
先日のピットの噂がもう広まっているらしい。

「こんなとこで宵人に戻ったらどうするんだよ!?」

「ソワソワすんな。李、電話でした話は?」

 バーテンがグラスを磨きながら答えた。

「サマエルさんなら乗って来そうですよ。退屈してるみたいでしたから」

「サマーか……いつ来るかわかるか?」

「今いますよ。あそこ」

 ボックス席のほうに目を向ける。
芥はグラスを手に席を立ち、俺に手招きしてそちらに向かった。

 見目麗しい少年少女がお互いに麻薬を吸わせながら、ひと目もはばからず絡み合っている。
その中央でテーブルに足を投げ出して酒をあおっているスーツの男がいた。

「よう、サマー」

 彼は色付き眼鏡を押し上げ、目を見開いた。

「こぉら驚いた……! 地獄から帰って来なはったて噂ぁホンマやったかぁ」

「ドレスコードで引っかかってな。こんなスーツじゃ入れないとさ」

「ハッハッハ、相変わらずやねぇ。まぁ座ってつかぁさいや。おう、席空けさせぇや」

 呼ばれてきたウェイターが少年たちをスツールから引きずり降ろす。
芥が足を組んで座ると、俺もおずおずとその隣に座った。

 サマーは30代後半のガタイのいい男で、ウェーブした髪を肩に垂らし、顎と口元にわずかにヒゲを生やしている。
全身から放つ暴力と威圧のオーラはすさまじく、笑みすら牙を剥き出した獣を思わせた。

「ところで賭け試合の相手を探してるって聞いたが」

「せやねぇ、ピットもあんたがおらんようなってショッパくなりましてなぁ。こう、ヒリヒリ来るのに餓えてますねん」

 芥は指を二本立てた。

「200万でどうだ」

「凶拳さんともあろうお方がそないな小銭でぇ? 煙草代でも要りますのん?」

「そっちの連れがね」

「200万ぽっちやったらなぁ。ふーん……ほいだらねぇ」

 サマーが俺を見ながら舌なめずりをすると、背筋にぞっとする嫌悪感が走った。
目も喋り方も何もかもがナメクジのようにぬるぬるネバネバしている。

「もしこっちが勝ったらこのコぉにウチで200万円分働いてもらおかなぁ。どないでっしゃろ?」

「だそうだ。どうする、狐々?」

 俺は驚いて芥を見た。
だってこんなの、俺自身を賭けるってことじゃないか!
それなのに何にも言わないなんて……

 でも200万あれば治療費を払い、釣りでちゃんとした家に住める。
何より、スーパーの同僚たちが向けたあの軽蔑した眼が宵人にまで向けられるのだけは耐えられない。
俺はふたりにうなずいた。

「それでいい」

 芥はサマーを見、サマーは俺と芥の両方を見て笑った。

「そしたらレンがちょうどええなぁ、レン、やれるかぁ?」

 顔を上げたウェイターは、制服に身を包んだ煉だった。
呆気に取られているのは俺だけで、向こうはとっくに気付いていたらしい。

「煉くん」

「何や、知り合いやったん?」

 サマーが意外そうな顔をすると、煉は眼を伏せてぼそぼそと答えた。

「はい、ちょっと……」

 俺は煉を睨んだ。

(望むところだ、この逆恨み野郎!)

「ほいだら日程ですけどぉ」

「オエエ!」

 突然、芥がカクテルを吐き出した。

「何これ?! ジュースじゃない!」

 不思議そうにあたりを見回し、そこらに転がっている少年たちをまじまじと見た。

「この人たち何してんの?」

(宵人に戻ってる!?)

 俺はあわてて席を立ち、宵人を連れ去るようにしてその場を離れた。

「酔っ払っちゃったみたいです!! いずれ連絡しますから!」

「え? ああ……大丈夫でっか?」

「お世話様です! そんじゃまた!」

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ほんの5000兆円でいいんです。