5.借金のカタでとんでもないことに……(1)

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 財音ウォードッグス総合格闘技大会の予選は都内のジムで行われた。
バンタム級(体重61キロ以下)部門を圧勝で勝ち抜いた俺は、大会出場権を得たことを審判から告げられた。

 意気揚々とアパートに戻ると、キッチンにいた宵人がエプロンで手を拭きながら俺を出迎えた。

「ココ兄ちゃん! お帰り、どうだった?」

 俺はにんまりとし、顔の絆創膏をぺりっと剥がした。

「勝ったぜ!」

 宵人の喜びようったらなかった。
奇声を上げながら俺を抱き上げ、ムリヤリ頬ずりしてきた。

「うぎゃーー!! やったぁーー!!」

「まだ予選を抜けただけってば」

 カッコつけてそんなことを言ってみたが、本当は俺だって嬉しさで体がはちきれそうになっていた。

 宵人が作ってくれたオムライスをふたりで食べた。
俺たちふたり(芥も入れて三人?)の生活が始まって一週間が過ぎている。
芥が脱いだ服は片付けない、皿は洗わない、俺の寝込みを襲おうとするなど傍若無人に振る舞う一方で、宵人は拙いながらも一生懸命家事をこなし、料理までしてくれる。

「お前の作るオムライスは宇宙一うまい!」

 宵人は嬉しそうに笑うと、俺の胸はじんわりと暖かくなった。

(あぁ、そっか。自分の家ってこんな感じなんだ)

 彼はちらりと上目遣いにこちらを見た。

「あのさ、あのさ……ココ兄ちゃん。それで、前から聞こうと思ってたんだけど。ぼくさ、いつまでここにいてもいいの?」

「お前の兄ちゃんが見つかるまでいればいいよ」

「ほんと? ありがと!」

 その嬉しそうな笑顔にちくりと胸が痛んだ。
だけど本当のことを言えるわけがなかった。
お前の兄貴は永遠に見つからないなんて……

 不意にスプーンを持つ宵人の手が止まった。
額の傷跡を押さえる仕草をし、顔を上げる。

「勝ったか」

 俺はしばらく彼を見つめ、宵人の同居人に――芥に答えた。

「ああ」

 この一週間のあいだ、芥が出ているあいだは徹底的に特訓を受けている。
それなりに武道の心得があるというのは間違いなさそうだけど、寝技のときに尻を触りまくるのはやめてほしかった。

 芥をじっと見つめると、彼は片眉を上げた。

「何だ?」

「ありがと、おかげで勝てた」

 芥が意外そうな顔をしたので、俺はむっとした。

「礼くらい言ってもいいだろ」

「俺が宵人だから同情してるのか?」

 俺は戸惑いながら答えた。

「だって……宵人はお前なんだろ?」

「そうだ。それがどうにもならないんだ……クソ」

 彼は噛み締めるように言った。

「宵人のせいで兄貴は死んだ。あいつが……昔の俺が弱かったから……」

「?」

 それきり芥は黙り、すぐに宵人に戻った。

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 翌週、大会の朝。
スポーツバッグを担ぎ、玄関を出た。
心身ともに絶好調だ。

 会場に宵人を連れて行きたいのはやまやまだが、試合中にひとりにするのはどうしても不安だった。
玄関前で心細そうな顔をする彼に、俺は精一杯笑って見せた。

「そんな顔すんなって。ちょっと行ってサクッと済ませて帰ってくるよ」

「うん……」

 宵人は不安を拭い落とすように自分の顔をこすると、後ろ手に隠していた封筒を俺に差し出した。

「ココ兄ちゃん、これ読んで!」

「何これ?」

「読んだら教えて!」

 そう言って玄関ドアを閉じてしまった。
封筒を開くと、手紙が一枚とミサンガが入っていた。
手紙には宵人の拙い文字が並んでいる。

〝ココ兄ちゃんはやさしいから大好きです。
ヒュー兄ちゃんをさがすのを手伝ってくれてありがとう。
いっしょにいてくれてありがとう。
大好きだよ。宵人〟

 ドアの向こうで恥ずかしそうな声がした。

「読んだ?」

「読んだ」

 そっとドアを開けて顔を覗かせた彼は、恥ずかしそうにこちらを見下ろした。
俺はニヤケるのを必死に堪えていたから、だいぶヘンな顔をしていたと思う(だってこんなのニヤケちゃうだろ!)。

 手編みらしいミサンガはオレンジイエローと黒、俺の好きな色と宵人の好きな色がギザギザに絡み合っているデザインで、宵人の意外な器用さに感心させられた。
それを俺の左手に巻いてくれたあと、彼は太陽のように笑って言った。

「いってらっしゃい!」

「いってきます!」

 家を出た。
体の奥の方がぽかぽかしている。
自分の顔がまだ緩んでいることに気付き、両手でぱちんと頬を張って気合を入れ直した。

(勝たなきゃ。絶対勝たなきゃ! あいつの兄貴が見つかんなくても、俺がちょっとでも幸せにしてやるんだ。そのためにも絶対賞金を獲る!!)

 アパートを出た先で背広の男たちが待っていた。
顔中にピアスをぶら下げた若い男が煙草を踏み消し、ベンツに顎をしゃくった。

「どーも、財音ウォードッグスの葉蔵《ハクラ》ス。迎えに来ました」

「すっげえ! VIP待遇だ」

 車に乗った。
窓はスモークがかかっている上、客室は運転席と隔てられていて、外の様子はうかがい知れない。
どこをどう走っているのかわからないまま数十分後、地下駐車場で降ろされた。

「こっちが控え室ス。どーぞ」

(どこだ、ここ……?)

 妙に思いながら葉蔵についていくと、通路の窓越しに試合会場が見えた。
金網に仕切られた八角形のリングでふたりの男が死闘を繰り広げている。

 観客が熱狂した歓声を送る中、片方の選手が相手に馬乗りになってパンチを浴びせている。
すでにその相手はぐったりとして動かないのに、選手は延々と殴り続けていた。
審判がどこにもいないんだ。

「何だこれ……!?」

 奥の電光掲示板には両者の賭け率が表示されている。
賭け試合だ。

「ウチら九霊会《クリョウカイ》の本業、地下格闘技場〝ピット〟ッス」

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ほんの5000兆円でいいんです。