9.煉との再会(2)

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「ここで働いてたんだ」

「はい……色々かけもちで」

 おたがいにどことなく気まずい思いをしながらジュースの箱を積み直した。
煉の性格は変わっていないようで、目を合わせようとしない。

「あっ、あの!」

「はい?!」

 不意の大声に俺も思わず大きな声を出してしまうと、煉は暗い目でうっそりと俺を見た。

「センパイ、いきなり学校辞めちゃいましたけど」

 親父がヤクザに借金作って学費が払えなくなったなんて言えない。
俺は笑ってごまかした。

「ちょっと家の事情があって。煉くんは今二年だっけ? まだ柔道部?」

「はい……」

 俺は周囲をうかがい、声をひそめて囁いた。

「俺が退学したこと黙っててもらえない? 履歴書に高卒って書いちゃった」

「ぼくは別に」

 煉は小さな声でぼそぼそと答えた。

****

 夕方の終業後、女子の学生バイトたちにカラオケに行かないかと誘われた。
色々とそれどころじゃないので断ったが、本当のことを言うと羨ましかった。

(友達と夜遊びかあ……いいなあ)

「えぇ~! 連川くんに来て欲しかったのにぃ」

「白砂くんは?」

「やだ、あの人キモい。なんかイジメられてるっぽいオーラあってヤだ」

 女子の話し声を背に、疎外感を抱えて店を出た。
学校を辞めてからは自分が落ちこぼれのような気がして、ほかの高校生に引け目を感じてしまう。

 切捨橋で宵人と焚き火を囲み、持ち帰った廃棄弁当を食べた。
宵人は棒に焼き魚を刺し、楽しそうに火であぶっている。
俺は左手に巻いたミサンガをいじりながら言った。

「ありがとな、宵人」

「何が?」

「お前の全部。お前がいなきゃこんな生活、何もかも耐えられなかった」

 きょとんとする彼の頭を撫でてやった。
俺のほうも俺に手を伸ばし、頭を撫でてくれた。
その手が頬から首筋へと下りていく。

「くすぐったいよ、宵人……」

 と、そこで彼が芥に変わっていることに気付いた。

「芥!?」

「俺にもナデナデさせろ」

「え!? ちょっ……」

 逃げる間もなく押し倒されてしまった。
芥は素早く俺の両手首を掴んで押し付け、首筋に顔を突っ込んで下を這わせてきた。
俺のそこが一番弱いってもうわかってるんだ。
首筋から顎のラインを通り、耳へと舌がなぞっていくと、意思とは別に体が反応してしまう。

「ひあっ……! やめ、やめろ! バカ! バカぁ!」

 叫びながら足をばたつかせたけど、どうしても逃げられない。
芥はにやりとした。

「こんな生活だと生存本能が高まって仕方ない。種を保存させろ」

「男同士だろ……ひ、あ……!」

 喘ぎ声になってしまって言葉にならない。
背を冷たいコンクリートに押し付けられているせいで、覆い被さった芥の体の熱が悔しいくらい心地良い。
アイスクリームのように溶けてしまいそうだった。

 芥は俺の両手を片手でまとめて押さえると、もう片方の手で俺の上着をまくり上げた。
熱いキスの雨を胸板へと下ろしていく。
ちゅっと音を立てて唇が吸い付くたびに、俺は「あっ」と小さく悲鳴を上げて体を跳ね上げた。

 意識が白濁していく。
快楽と拒絶がせめぎあう中で、俺はぼんやり考えた。

(受け入れたら芥のこと、わかるのかな。彼のことを知りたいよ……! でも、だけど……こんなのダメだよ……!)

 突然、芥が顔を上げた。
俺を押さえつけたまま闇の中に眼を凝らす。

「そいつ、知り合いか?」

 驚いて振り返ると、川原の闇の中にかすかに人影らしいものが見えた。
ぎょっとして芥の下から這い出し、服を着て地面に座り込む。

 その人影はおずおずと焚き火の明かりが及ぶ範囲にまで入ってきた。
ベースボールジャケットのフードを目深に被っているが、その顔付きは見間違えようもなかった。

「れ……煉くん?」

「あ、はい」

 彼は所在なげに両手の指を組み、視線を下に落とした。
俺は真っ赤になって上着の前をかきあわせた。

(み……見られた!?)

 俺は戸惑いながら引きつった笑みを向けた。

「どうしてここが?」

「後をついてきたんです。ごめんなさい」

「そっか。それで……えっと……なんか用?」

 煉は何かぼそぼそと口の中で言うと、くるりと踵を返して走り去っていった。
呆気に取られてそれを見送ると、芥がふんと鼻を鳴らす。

「友達は選べよ」

「友達ってほどでもないんだけど……何だったんだろ?」

「さあな。ほら、続きだ。そこに寝ろ」

 俺は芥の顔にカラの弁当箱を投げつけた。

****

 翌日、バイト先の店長にクビを言い渡された。
理由は履歴書にウソを書いたことだ――学歴、住所、両親の三つの項目で。
煉がチクったに決まっている。
何を考えてるか全然わかんないやつだけど、たぶん高校時代に俺に投げられまくったことを根に持っていたんだろう。
ほかに理由は思いつかない。

 高校中退というのは想像以上にヤバいやつだと思われるらしい。
同僚に今日で辞めると挨拶して回ると、そのほとんどは明らかに軽蔑した目を向けた。
女子バイトにいたってはおびえている子すらいた。

 店を出た俺は怒り狂い、煉、店長、そして腐った社会のすべてに罵詈雑言を吐いたが、切捨橋につくころには泣きそうなくらい落ち込んでいた。
これじゃ治療費どころか明日の飯代すら危うい。

 橋の下に入ると、上半身裸の芥がサンドバッグを殴っていた。
あまり力を入れているようには見えないのに、サンドバッグが弾けるように跳ね上がっている。
リズミカルにパンチを繰り出す姿は草原を疾駆する黒馬のように躍動的で、しばらく目を奪われた。
ひと息ついて振り返った芥は、俺の顔を見て笑った。

「いいことがあったってツラじゃないな」

「クビだよ。履歴書にウソ書いたのがバレた」

 芥はおかしそうに笑い、腰に手を当てて言った。

「仕事を見つけておいた。お前が時給800円で働いてるあいだにな」

「人質マッチじゃないだろうな?」

「何を賭けるかはお前が決めろ。んじゃ行くか……と、この服じゃ入れんか」

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ほんの5000兆円でいいんです。