29.俺の母親のこと。(3)
「だってさ、親のことを本当に憎んでる子どもなんてこの世にはいないことになってるし、親子関係っていうのは感動的なものだってみんな信じ込んでるんだもん。ときにはぶつかることがあっても、きっといつかわかりあえるって」
「そうだな」
「じゃあさ、親を本当に憎んでる人とか、親から本当に憎まれてる人は、どうすれば……どうすればいいの……それは誰がわかってくれるんだろ……」
突然、堰を切ったように涙が溢れた。
嗚咽を漏らし、両手で顔を押さえる。
芥は構えを解き、その場に腰を下ろして言った。
「俺が司会ならここでお前を抱き締めて〝あなたの気持ちはわかります。本当は愛してたんですね〟なんて言うところか?」
「そうだね、うん。そうだ」
彼はうずくまって泣き続ける俺を抱き締めてはくれなかったし、肩に手を置いて優しい言葉をかけたりもしなかった。
ただその場にいた。
否定も肯定もせずに。
****
翌々日、うちに封筒が届いた。
差出人の名前はない。
芥に聞くと彼はうなずいた。
「ああ、俺が出したやつだ。宵人に渡しとけ」
「? わかった」
その日の夕食のとき、彼に変わった。
手紙を出すと宵人は不思議そうな顔をして開き、中からびんせんを引っ張り出した。
眼を通しているうちにみるみる表情を輝かせ、ご飯粒を飛ばしながら俺に叫んだ。
「ヒュー兄ちゃんからだ!!」
俺のほうに文面を向けると、丁寧な文字でこう書かれていた。
〝宵人へ
よう、元気か? 俺は仕事でちょっと遠くへ行ってる。
急のことでよ、黙って出ていったのはマジで悪かった。
ココってやつが俺の連絡先を見つけてくれたんだ。
そいつはマジでイイやつだし、お前のことをスゲー大事に思ってる。
言うことをちゃんと聞けよ。ピーマンも食うんだぞ。
また手紙を書くからな!
飛雄児J〟
もう一枚のびんせんには絵が描かれていた。
あの豚とサメを合体させた謎の生物だ。
「これ何?」
「これブーシャーク! 黒猫ニンジャのオリジナルニンジャ! ぼくとヒュー兄ちゃんで一緒に考えたんだ! カッコイイでしょ」
俺は笑って言った。
「プロの仕事だな! それはそうとメシの途中だぞ」
「うん!」
満面の笑みで食事を続けながら、宵人は手紙を何度も開いたり閉じたりした。
ふと俺にふかぶかと頭を下げる。
「ココ兄ちゃん。疑ってました。ごめんなさい」
俺は苦笑して手を振った。
「いいって」
「どうやってヒュー兄ちゃんを見つけたの?」
「え? えっと……空手家のネットワークがあるんだよ、うん!」
****
マンション屋上で型をやった。
大きく、ゆっくり息吹をやる。
芥は鉄柵にもたれてビールをあおっている。
息吹を終えた俺はその隣に行き、彼とともに財音の夜景を見つめた。
「ありがとな」
「ふん」
「照れるなよ。絵が上手いんだな」
俺が笑うと、芥は嫌そうな顔をした。
「兄貴と一緒に何度も描いたからな。今でも手が覚えてるんだ」
「そっか。俺も会ってみたかったな、飛雄児さん」
芥は飲み干した缶を両手で挟み込み、プレス機のように押し潰した。
コースターのようにペッタンコになったそれをジャージのポケットにしまう。
「狐々。いずれ宵人にすべて打ち明けることになるだろうが、それは俺がやる」
「どうやって?」
「まだ何も考えていない。ともかくお前は何も知らなかったことにしろ。兄貴が死んでることも、何にもだ。俺に騙されていたとでも言え」
「……」
俺はあいまいにうなずき、小さく笑った。
胸につかえていた重いものが少しだけ軽くなった気がした。
一緒に部屋に戻りながら、俺はふと彼のポケットに視線をやった。
「ところでお前、空き缶のポイ捨てとかしないよな。えらいぞ」
「ヒュー兄ちゃんに躾けられたからな」
ほんの5000兆円でいいんです。