20.初ラブホと火炎瓶(1)

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 翌日の夕方、宵人を託児所から引き取りに向かった。
マンションの一階にある自治会室が老人たちの溜まり場になっていて、暇つぶしに子供たちの面倒を見てくれるんだ。
とは言えうちの子は常に十才児というわけでもない。

 俺が言ったとき、芥は体の前後に赤ん坊を抱え、黒猫ニンジャのカードを奪い合ってケンカする子供を引き剥がすのに必死になっていた。
俺を見ると天の助けが来たような顔をしたが、すぐに憎悪に満ちた笑みを浮かべた。

「毎日貴重な体験をさせてくれてありがとう。地獄に落ちろこのクソが!」

「世話になってんだからそのくらいしろよ」

『白猫黒猫』につくとすぐ青珠に謝られ、ケーキを奢られた。

「昨日はゴメンなさいねぇ、火鳴《ホアミン》さんに手を出すなって言われてたのよ。あの人、自分の色恋になると頭が沸騰しちゃうの」

 ちらりと店の奥に目をやると、ヒナキがそちらのテーブルで男娼と何か話していた。
俺と視線が合うとにっこりする。

 芥がクックックと肩を揺らして笑った。

「変わってないな。出会ったころのままだよ、あいつ」

「……」

(ねえ、ヒナキさんのこと好きなの?)

 このたったひと言を、なぜ聞けないんだろう。

 もやもやしたものを抱えていると、バイト中の煉が通りかかった。
俺が手を振るとぎこちない笑顔を見せ、赤くなった顔を花束で隠すようにしながら走り去った。

「知り合いって思われたくないのかなあ」

 俺がため息混じりにつぶやくと、芥が呆れたような顔をした。

「狐々……お前の鈍さは犯罪的だよ」

「え? 何で」

 そのとき、青珠の声がした。
緊張を含んでいる。

『ココくん、クサイのが来たわ。芥ちゃんに下がってもらって』

「芥」

 俺が目配せすると、彼はビールビンを手に席を立った。

「ちゃんと見張ってるからな」

 何気ないそのひと言が嬉しかった。

『ココくんから見て左のほう。グレーのパーカーにジャンパー、デニム。雑巾みたいなファッション。身長170センチちょい、三十前、髪はきったない金髪。腐ったピザみたいなツラしてる』

(口悪いなあ)

 何気なくあたりを見回すと一致する男がいた。
俺には普通の人にしか見えないが、彼が言うんだからそうなんだろう。

『話しかけて欲しそうにして。セクシー全開よ!』

(こ……こんな感じか?!)

 その男と目が合うと、俺はこれ見よがしに足を組み替え、髪をかきあげて見せた。

「ゴフッ! ゴホッ………」

 向こうで大きく咳き込むような音が聞こえた。
芥が口元を押さえ、小刻みに震えながら必死に笑い声をごまかしている。

(めちゃくちゃ笑ってやがる! あの野郎!)

 精一杯のセクシー全開は素通りされ、男は隣のテーブルについてしまった。
そちらの男娼と短く交渉し、連れ立って隣のラブホテルへと向かう。

 すぐさま青珠から指令が飛んだ。

『追って、ココくん!』

 芥と合流し、ふたりを追ってそちらに入った。
ラブホテルは三階建てで、受付を通った彼らは一階奥の大広間へ向かった。
暗い室内にほのかな明かりを放つライトスタンドがいくつかあり、あちこちのソファで裸体が絡み合っていた。

 俺が言葉を失っていると、芥が肩を抱き寄せた。

「くっついてろ。怪しまれるぞ」

「ラブホってみんなこうなってんの?」

「ここは特別だ。お隣さんと見せっこしたり、場合によっちゃ相手を交換したりする」

(さては来たことあるなコイツ)

『表と裏口はウチの用心棒で固めとくわ。様子を見てて』

 受付にはすでに連絡が行っていて、俺たちは先に入ったふたりのソファの番号を告げられた。
その番号が灯るライトスタンドに行き、隣のソファにつく。
妙なお香、体臭、汗の匂いがじっとりと交じり合った空気の中に、喘ぎ声と甘い吐息が漂っている。

 ドギマギしているといきなり芥に押し倒された。

「ちょっ……」

 彼は上着を脱ぎ、舌なめずりした。

「シーッ……フリだよ、フリ」

 俺は躊躇しながらもうなずき、恐る恐る手を回した。
彼の大きい背中はあちこちに古傷があり、潜り抜けてきた数多の死闘を物語っている。

 芥の手が俺のスラックスのベルトを外し、中へとするりと忍び込んできた。
ごつごつした手が尻のほうに周り込んで来ると、声が漏れないようにあわてて手で口を押さえた。
彼の手は凶器にも等しいのに、こんなときだけ絹を織るように繊細な動きをする。

(芥の手……)

 また声が漏れそうになって必死に歯を食い縛る。

「芥、あ、はぁっ……ちょっと……待って……フリだろ!」

「フリだよォ」

 芥は意地悪そうに答え、俺の耳たぶを口に含んだ。
優しく吸われ、さらにねっとりした動きでしゃぶられると、体の芯から熱いものが込み上げてきた。

「手が止まってるぞ」

(フリだから……フリだから……! 本気なんかなってない……!)

 自分に必死に言い聞かせながら、俺はおそるおそる彼の背の古傷に指を這わせた。

 芥の唇が横顔を這っていき、首筋を吸う。
その瞬間、こらえ切れなくなって大きく声を漏らしてしまった。

「ひっ……!」

 ソファの上で弓なりに仰け反ってしまった。

 向かいのソファが逆さに見える。
さっきの男のほうが周囲から身を隠すようにしてジャンパーをめくり、懐から酒ビンを取り出した。
ひとつを男娼に渡し、もうひとつを自分が持つと、ライターでビンの口に詰め込んだ布切れに着火した。

(火炎ビン!)

 眼を見開いた俺と男、双方の視線がぶつかった。

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ほんの5000兆円でいいんです。