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言語と詩の関係
Instagramのキャプションに書きながら答えを見付ける、みたいな事がよくある。これこそを手帳なりノートに書けば良いのに、と思いながらも転記が嫌いな私は絶対に書き写さないと思う。だから自分のキャプションをコピーしてnoteにUPする。以下Instagramより。
『詩集を編むぞ〜に至って詩とはなんぞやと基本に立ち戻ってずっと考えていました。
書かれた言語には意味なんかなくて、その言語の連なりから浮かび上がる風景や事象や温度や色合いが、詩なんだろう、と分かった数時間に読んだ詩集がこちらで。まさに! という事が書いてあって大興奮でした。そうなんだよ〜! 背後も寓意も教訓もないの! 語感は考え抜くけれど、考えて書くのは違うんだ。やっぱりそうだよね! と嬉しくなりました。
いつも通りになんにも考えずに自由に書いていこ。今のところの私の中の正解です。』
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そんな事も知らずに書いていたの? と言われてしまうと、はい、そうです……となるんだけど、でも改めて言語化出来たのが今だっただけで私が書いていたのはちゃんと詩だった。殊更に重要な意味なんか持たせていない。詩は言葉からも自由であるべき。難しいけども!
初めて一端を掴んだなと思って嬉しくなったので書いたnoteでした。
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いつも持ち歩いています。ペンはキングジムのフラッティに情報カードと共に入れています✌️
詩を書くぞ、たくさん書くぞ〜✊