才能と傲慢さ-TAR-

映画 『TAR』 を見た。  

(ネタバレがあります)

世界的な指揮者として圧倒的な成功を収めている、ケイト・ブランシェット演じるターが、自身の才能と傲慢さゆえにしっぺ返しを食らう転落劇。

うわべだけの言葉で、人を人とも思わずに、嘘を嘘だとも思わずに、周りの人間を軽視し、見下し、ぞんざいに扱うター。
突き放すような美しさと、圧倒的なオーラをたたえるケイト・ブランシェットがめっちゃ似合う。

孤独な天才、天才ゆえに傲慢で自由、性的にも奔放 という、ある種天才的な芸術家の理想化されたイメージのような生き方は、今日ではとても許される社会ではないということが容赦なく描かれていく。

自分は彼女を可哀そうな人だと思った。 これだけ世界中に才能を認められながらも、転落してゆく彼女の味方をする人が誰もいないのだ。 それ以上に、彼女自身が心から大事に思える人が一人もいないのだ。たった一人の例外である彼女の子供(遺伝的な繋がりがあるのかは明示はされないが)も、パートナーとともに去ってしまう。 

自分はそんな彼女を心から嫌いにはなれなかった。 それは彼女が、音楽にその身を捧げていることは本当であり、それが愛情の埋め合わせでもあるかもしれないと思うから。 

終盤彼女が実家に変えるシーン、あそこで出てきた男性は父親だろうか、それとも親戚か。
どちらにせよ、彼女の名前を呼び間違えるなど、あまり彼女のことを気にかけている様子では、控えめにいってもなかった。 
彼女は十分な愛情を受けて育っていないのではないかなと、あのシーンを見ると思う。
それでも 指揮者がオーケストラの前で音楽を語る古いビデオを見て彼女が涙ぐむシーンは、彼女が幼い頃、音楽に心を打たれた頃を思い出させるシーンになっていた。 
愛情を十分に受けられずに、それを埋め合わせるように音楽に夢中になりその才能を、これ以上ないというくらいに、開花させた。
これがもし彼女にそこまでの才がなく、そこそこの成功どまりであれば、彼女もここまで傲慢さが膨れ上がることもなかったかもしれない。 誰も彼女を止められず、勘違いしてんじゃねぇ、かっこつけてんじゃねぇ、 とは誰にも言わせない地位にいってしまう能力があったことが、彼女の悲しいところだ。


傲慢さに呑まれたくさんの人を傷つけ転落していった彼女を、ざまあみろと嗤うのは簡単だ。
それでも僕は彼女のこれからの人生に安らぎと幸せが待っていたらいいなと思う。 利害を超えて愛せる人に出会い、 音楽を心から楽しみ、 幸せになってほしい。 

傲慢でいることの一番わるいことは、人に嫌われることではなく、
生きているのが楽しくない、ということかもしれない。

謙虚でいる、すなわち、自分には知らないことがたくさんあって、周りに生かされている、と認識して生きることには、 教えてもらうことだらけで、生きているのがフレッシュでとても楽しいという歓びがある。 傲慢でいる人は常に不安だ。周りの人間が自分を見下しているのではないかと、常に怯えて生きている。

彼女はまだ若い。エネルギーもある(代理の指揮者を殴り倒すほどに!)。 
返り咲くことはないかもしれない。 だけど今一度 音楽を楽しんで、ベトナムの楽団でも、地元の楽団でも、子供の音楽教室の先生でもなんでもいいが、平穏で普通で、でも温かい 居場所で、音楽を楽しんで生きていってほしいと願わずにはいられない。


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