全部終わらせうんたら3
開けましておめでとうございます。
今年の年末年始は、始めて一人で過ごしました~
さみしくないことはないけど、色々気を使うことも、気を荒立てることもなく穏やかに過ごすことができてhappy!
けどもうさすがに休みも飽きてきたので、そろそろ仕事に行きたい欲…
新しいお母さんができた
父親が再婚したのは、私が幼稚園の年長クラスに在籍していた頃。
当時は結婚という概念もわからず、ただ時々遊びに来るお姉さんと、私より少し大きな男の子が、いつの間にか「母」と「兄」になったという感覚だ。
余談になるが、おそらく顔合わせで訪れたホテルで、私はソファーの背もたれから転落し、入院レベルの骨折をした。とんでもねぇ子供だ。
ともかく、いきなり現れた母と兄に対して、私自身はたいして拒絶反応を起こしていなかったと思う。
幼稚園でも「ママが二人になった!」と、先生や友達に自慢げに話していたことを覚えている。今思えば、先生も返しに困っただろうなと申し訳なさを覚えた。
新たメンバーも加わり、生活がガラッと変わったわけではなく、子供心ながらも特に大きな変化はなかった。相変わらず私は甘ったれの子供のままで、一日の大半を共に過ごす祖母にべったりだった。
しかし、大人はそうもいかなかったのだろう。
私は祖母、祖父に連れられ、皆がすむ家を出て行ってしまった。
というのも、叔母が離れたところで一人暮らしをしていたのだが、そこに身を寄せることになったのだ。
どれくらい住んでいたのかわからない。そもそも単身用のアパートの為、そこで4人が暮らすことができていたのかさえもわからない。
何のために家を出たのか、今となってはわからない。
おそらく新しくできた嫁との折り合いが悪かったのであろう。ただ、なぜ父の子である私まで連れ去る形で家を出たのだろう。
その時継母は働いていなかったはず。どうやって気付かれることなく家を出ていくことができたのだろう。
幼稚園だって通っている途中で、転園もしていない。その間は家にこもりっきりだったのかも。あまり記憶にないから、その期間は1カ月もなかったのかも。
ほどなくして興信所を利用して(大人になってから父から聞いた)叔母の住まいを突き止めた父のもとに、私は戻ることができた。
といっても、私からしたら買い物に出ていた祖母と私の前にいきなり現れ、そのまま私は継母に担がれるように祖母と引き離されたようなもんだから
パニック状態で泣き喚いた記憶がある。
しかも、山賊のように担いでいくから余計に怖い。
全てがあやふやなまま、ともかくも私は無事に元の生活に戻ることができたのだが、そこには母(同然の存在の祖母)がいない。
姉のように優しかった継母もいなかった。いや、山賊抱えをされるくらいだから、優しいと思っていたのは私だけなのかもしれない。
知らないふりをする、仕事で不在がちの父、私をうっとうしがる継母、なんかよくわからない義兄と始まった地獄のような生活が始まってしまった。
あまり思い出したくないからちょっと日本語が変
そのあとの暮らしぶりは余り思い出したくはない。うっすらまとめると
→給食費を出してくれないことが何度かあった。(泣く泣く数少ないお年玉から捻出)
→病院に連れて行ってくれないことが度々あった(こじらせて入院一歩手前まで悪化することも。いや、今では入院させたくなかっただけなのかもしれない)
→とにかく暴力。1に暴力、2に暴力と罵声。いまでも誰かが説明か何かで手をちょっと動かしたり、肩とか触られるのがトラウマ
そして何よりつらかったことは、継母がなにかと家事を私に押し付けてくることだ。
お手伝いなんて生易しいものではない。洗濯に皿洗い、風呂掃除など、火を使うもの以外はすべて私がこなすこととなっていた。
今となっては長年の経験から難なくこなせて有難いと思っている!なんてそんなことはきれいごとは言わない。
むしろ、奥さんの愚痴でよく聞く「夫は何もせず、私だけが家で動き回っている」という状況が、子供として甘えたい気持ちを押し殺して、召使のように淡々と家事をこなしていたあの頃をフラッシュバックするようになり、自己の離婚の決め手の一つとまでなってしまったのだから。(もちろんほかに理由はたくさんある)
家事だけではない。結婚後ほどなくして生まれた妹、弟の世話もしなくてはならない。
とくに私が中学に上がってからは、保育所まで弟を迎えに行くことは義務であり、学校のホームルームや部活で迎えが少しでも遅くなれば、父や母から暴力という名の制裁が来るのはお決まりのパターンだった。
理不尽なことで叱られ、家を閉め出されることはしょっちゅうだ。マンション住まいだったが、裸足で泣いている私に声をかける人は他にはいなかった。むしろ恥ずかしくて、何でもないふりをすることで精一杯だった。
あの家族の中で、私は最弱の存在だった。
なんでこんな目に合わなければならなかったのか。他の兄弟じゃなくて、なぜ私だけなのか。親からの暴力(中学生以降は精神的暴力もひどかった。思い出したくない)さえなかったら、私はもっと親や周りの大人に素直になれていただろうか。
今でもそのマインドが抜けずに、度々苦労する。
虐待といえるかどうか、躾といえばそれまでなのか。
少なくとも、もし仮に自分に子供がいればこんな目には合わせられない。じゃあ、なんで私はこんな目に合わなければならなかったのか。何か、私はとんでもなく悪いことをしてしまったのだろうか。
唯一の救いは、私がほんの少し勉強ができたことぐらいだ。
交通費も自分で出さなければいけないので、バイトはするとしても、近めでかつ大学に行けるくらいの偏差値のある高校に通いたい。
勉強して、大学に通って(大学生=一人暮らしというイメージがあった)、今の地獄から脱却したい。そして、一人で生きていけるような立派な仕事に就くんだ。
その一心でめちゃくちゃ頑張って、ギリギリ進学校と呼ばれる高校に進むも、親の都合で卒業一歩手前の高校3年生を迎える前に他府県に引っ越し。というか、引越しの話が出てきた時点で(のちに話すが)奨学金を借りることができずに大学進学の話は頓挫。
もうここまで来たら、親は私の幸せを望んでいない。私は幸せになってはいけないとさえ思いこむようにまでなってしまった。
めちゃくちゃ悪筆でまとまりのない文章となってしまった…
次で引っ越しの原因になった話を書きたい。その時めちゃくちゃ民法の総則や財産法の条文を引用したいので、頑張ります!!