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どうする、ニッポン

3.3.4 情報と対話

“後れ”を招いた原因の一つに、対等の交渉をしてこなかったことが明らかになっています。国内の「タテ社会」では組織内と外とにかかわらず、上下関係による運営が行われてきました。上は“力”による政策で下は忖度でまわる社会の運営です。ヨコの関係も重視される国際社会では、対等の立場を理解したうえでの交渉が求められています。「タテ社会」の運営を続けて、上下関係を意識した交渉をする限りカウンターパートとは外交辞令的な付合いの域を出ることはできません。日本型の組織運営で育った人が、どれほど情報収集に励んできたのか、本当に対等の交渉してきたのかを疑わせる例は枚挙にいとまがありません。「モノつくり」の技術はありますからモノは作れますが、「コトの営み」の技術が追いついていないので、情報が十分でなかったり、運営がうまくいかなかったりして失敗した例を以下に挙げてみます。

たとえば、関西国際空港は騒音問題を解決するために大阪湾の沖合5kmの海上に造られました。空港建設計画担当者が、当時アメリカやイギリスで開発していた次世代ジェットエンジンの情報を十分に得ていたとすれば、海岸から5km沖合に作られた関西国際空港はもっと海岸近くに造られていたかもしれません。同時期にアジア諸国で作られた新空港は、内陸か関西国際空港よりもっと海岸寄りに作られています。具体的に言いますと、1995年に運用が開始された大きなジェットエンジン2発のボーイング777は、ジェットエンジン4発のボーイング707やダグラスDC-8のエンジンに特有のキーンというジェット音はありません。777はジャンボ(747)よりも静かです。最近777はもっと静かな787やA350などに取って代わられつつあります。

1980年代にはアナログのハイビジョンの開発がありました。ハイビジョンは1994年にNHKで実験放送が開始されましたが、一般にあまり普及せずに終了しました。世界ではデジタルの流れができていたことがあったからです。最近の風力発電や電気自動車の分野が世界の流れから後れているのは、みなさんご存じのとおりです。日本ではもう豪華客船を作る力はないということを聞いたことがあります。船を作るという「ハードの技術」はありますが、顧客の多様な要求に応える技術、言い換えますと、豪華客船建造プロジェクトを運営する技術(ソフト)が不足しているからだと思います。いずれも最新情報を入手する対話力の不足と思われます。

また、国産ジェット旅客機(MRJ)の開発では撤退せざるを得なかった理由の一つにコロナ禍で海外と往来する仕事が出来なくなったために、従業員を極端に減らさざるを得なかったことがあります。MRJの当初開発計画は2008年に取り組みを始めて、2011年に初飛行し納入開始は2013年の予定で開発費は1,500億円でした。しかし、開発は計画よりも後れましたし、日本(国土交通省)には安全確認審査のノウハウがありませんでした。アメリカの連邦航空局(FAA)の形式証明(TC)を取得して、そのTCを日本で承認するということにして1号機を送りだしたのは2016年です。1号機はFAAを納得させるだけの十分な安全性の証明ができませんでした。

そこで、2018年に外国から専門家を雇い最高開発責任者にして、根本からやり直し始めました。名前もMRJからスペースジェットに変えました。ところが、不運にもコロナウイルスの流行で試験飛行が中止に追い込まれて、2023年に開発の中止が発表されました。「モノつくり」の技術(ハード)がありましたから、試作機は作れましたし、確かに飛びました。当初「タテ社会」の人と組織だけで作ったプロジェクトチームに「モノつくり」の技術は十分にあったかもしれませんが、「ソフトの技術」である形式証明の取得に関する知見や安全確認審査を受けるノウハウやプロジェクトチーム運営の技術がおろそかにされていた例です。

ヨーロッパのように他国と陸続きの国では、所属する民族のアイデンティティー(ID)を明確にするために子どものときからパスポートを持つことは普通です。イギリスのようにIDカード(身分証明書)のない国では身元の確認はパスポート番号が使われます。たとえば、就職するときや銀行口座を開くときの申請書に、国により違いますが、パスポート番号かID番号が求められます。しかし、日本は島国でパスポートを持つ人は海外に用事のある人に限られています。パスポートの発行数は約3,000万枚弱ですから、身分の証明として使えるのは人口の4分の1くらいです。身分の証明用として運転免許証が使われることがよくあります。運転免許証は約8000万枚発行されており、成人のほとんどの方が持っています。写真入りで身分証明用としては有効な証明になります。

マイナンバーカードの普及キャンペーンで、急に健康保険証との連携が叫ばれるようになりました。その結果、今では運転免許証の発行数よりも多くの人がマイナンバーカードを所持しているそうです。今後はマイナンバーカードが身分証明として使われるようになりそうですが、就職や銀行口座で日本型のIDになるでしょうか。コロナ禍によって明らかになったIT化の後れを取り戻そうとして、官民を挙げてICT(情報通信技術)だのDX(デジタルトランスフォーメーション)だのとかまびすしいこのごろです。確かに役所の各種申請書類からハンコはなくなりましたが、役所の各種申請書や警察署での運転免許証の申請書などは未だに紙の用紙です。改善の余地はまだまだありそうです。

私たちは世界の流れをキャッチするネットワークに弱いところがあるようです。海外に駐在する人ばかりではなく、日本から出向く人たちの基本的なコミュニケーション能力が十分ではないとか、交渉は対等にするという基本が理解できていない人が少なくないことが大きな理由ではないでしょうか。今後も先進国の仲間でいる限りは世界の流れに敏感でなければいけません。現状では情報収集が十分でないことは明らかなので、もっと情報収集に努めるために先進諸国と対等に話ができる教養のある人を送り込む必要があります。情報不足は今の“後れ”を招いている原因の一つです。高度経済成長期に多くの人が海外へ行きはしましたが、教養をもって誰とでも、どこでも話ができた人は少なかったように感じました。世界で話ができる人を育てる教育が十分ではなかったような気がします。

世界の流れを正しく理解するためには、国や組織を越えた人と人との対話が欠かせません。違う国や組織はそれぞれが違った立場にありますから、会話は簡単ではありません。違う立場の人や組織との会話で必要な要素は、対等の立場に立っていることを意識して話をすることです。単純に大国の動きに従うとか、大国の傘の下で弱小に対してのみ強く出るとかでは対話は成り立ちません。大国の眼鏡を通した情報だけでは世の流れはつかみきれません。必要な情報を得ようとするならば自らの交渉が不可欠です。外国人との交渉が必要になってくると、モノとの対話よりも人との対話が重要になってきます。また「タテ社会」では組織名で行動できますが「ヨコ社会」では個人の資格や属性が優先されることがあります。日本型の組織の運営手法は通じません。私たちが国際社会で生き延びていくためには、いつでも、どこでも、誰とも対等に交渉することが最も重要な要素なのです。

日本の躍進を支えてきたのは「モノつくり」の技術です。海外向けて日本が誇ってきた「モノつくり」は主に大量生産できるモノを生産する技術と言えます。「モノつくり」に従事する技術者は世界中の消費者が満足するモノを作るために、日々製品と対話してきました。消費者が乗って気持ちのいいモノ、触って喜ぶモノ、食べておいしいモノを追究してきた結果として、日本製品は世界中の消費者の心をつかみました。世界中の人が、日本製品を求めました。「モノつくり」は技術者がモノとの対話を通して、改良し発展させることができてきました。

「モノつくり」の世界では、人との対話は最重要課題ではなかったようです。「モノつくり」で世界をリードしていたころは「タテ社会」の文化に「人つくり」を任せて、対話技術の習得に必要な教育を十分に行ってこなかったことは反省材料です。組織の運営責任者はモノで勝つ時代ではないことを理解して「人つくり」を優先する必要があります。「人つくり」は教養を身に付けることから始まります。教養は学校で教わることではありませんが、教養を身に付ける基本技術を習得する授業を怠ってきたのです。「モノつくり」の技術を支えてきた基礎研究の分野の人材が薄くなってきたことも“後れ”を招いた原因の一つとして考えられます。教育、研究、人に投資をしなければ後れるばかりです。

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