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代弁者がいて、大声があって、そして僕は
僕たちの代弁者、時速36km
時速36kmが好きだ。大好きなんだけど、初めてライブに行くまで僕はあまり彼らの音楽を聴くことが出来なかった。平凡な僕の感情の揺らぎをあまりにも完璧に歌ってくれているような気がして、時速の音楽を聴いていると自分自身が自己表現をやめてしまうような気がするのだ。時速の音楽は間違いなく良い。「平凡な自分」を赤裸々に歌うことが出来る彼らの音楽を聴いていると、時間通りに来ない山手線も、香水の甘ったるい香りが鬱陶しい乗客も、行くたびに景色が変わるような渋谷駅もマシに見えてくる。僕は今昼飯を抜いて、代わりに自販機でコーヒーを買って、都会の真ん中で文章を書いている。時速36kmについて自分の言葉で書くということ。何度も書こうとして消したこの文章を、今日はなんだか書ける気がする。(暇なので)
「代弁者、時速36km」に対する恐怖
はっきり言って悔しい。自分の言葉ではないはずの時速の歌詞のひとつひとつが、まるで僕の心の底からの叫びのように心に響いてしまう。間違いなく彼らは僕の心の代弁者だ。僕のこれまでの人生には詩に書けるような苦しみも、小説に出来るようなドラマもなかった。社会の敷いたレールに従い、現役で大学に合格し、適度に堕落しながら留年も失踪もせず、死にたくなって病院に通っても「君に薬はいらないよ。そういう時期だ、そういう時期」と言われ、実際ひとつ長い恋愛を重ねただけで希死念慮もなくなってしまった。やり直せる程度に失敗し、立ち直れる程度に失恋し、たしなむ程度にお酒を飲んで、家族や友達との関係もある程度うまくやっている。でもこれでいいのかよ。このまま過去の努力で手に入れた学歴に乗っかって、就職活動を済ませて、それでいいのかよ。気持ちの底にやるせないような違和感を抱えていた今年の春、僕は時速の『七月七日通り』に出会ってしまった。
安泰の上 停滞の中で僕ら
あっと言う間にぬるっと
ここまで育ってさ
何も分かんないや
分かんないもんだから
何かを訴えることさえも
躊躇してしまう
代弁者がいて 大声があって
僕らの声は内臓でぐるぐると回ってる
もっとでかい声じゃなきゃ
電源増幅 無理やりに脳を揺らせ ―『七月七日通り』 時速36km
この歌詞を聴いた瞬間、僕は時速36kmこそが自分自身の代弁者なんだと認めざるを得なかった。同時に、なんだか時速の音楽を聴くことがひどくおそろしいことであるような気がしてしまった。あまりにも共感できる歌詞に触れたとき、僕の心を覆ったのは感動ではなく恐怖だった。自分自身のアイデンティティが、時速36kmの世界に飲み込まれてしまう恐怖。直接ライブで聴いてみたいという好奇心と、自分が失われていくような焦燥感。聴いていてしんどくなるくらい僕は共感してしまったのだ。
2020.11.30 時速36kmライブ初参戦
(下北沢SHELTER。うるさくて狭くて空気が薄いけど、ここが居場所だと確信できる。めちゃくちゃ好きな場所)
実際『七月七日通り』を聴いてからしばらく時速36kmの音楽をほとんど聴かなかった。食わず嫌いと言っても良かった。僕のいちばんの親友が時速にハマって「めちゃくちゃ良いよな」と僕に言ってきたときも、僕は「それな、歌詞とかな。」なんてテキトーな返事をしていたような気がする。あんな衝撃、tetoの拝啓を聴いた瞬間に匹敵するくらいビビったのにさ。
でも。僕は「あまりにも共感できる歌詞への恐怖心」という理由だけでこの音楽を手放してしまっていいのか。何度か悩んだ末に、思い切ってライブに行くことにした。11月30日、下北沢SHELTER。僕は親友を2泊3日の長野旅行に誘うついでに、「最終日の夜、下北で時速36kmのライブやるんだけど、行かん?」と誘ってみた。親友は即答で承諾したと思う。こうして僕は時速のライブに行くことになったものの、当日までやはり時速の音楽をあまり聞く気にはなれなかった。「チケット代が損にならないように」という気持ちだけで聴いていたので、音楽に向き合って聴いているわけではなかった。
そして当日。僕は親友の住むワンルームでゼミのオンライン講義を受けたあと、2時間早く下北沢に到着した。下北沢でも時速36kmを聴くことはなく、多分SUNNY CAR WASHあたりを聴いていたと思う。下北沢SHELTERはいつも通り狭くて淀んだ空気が充満していた。コロナのせいで小規模なライブハウスに行くのは1年ぶり。嬉しかった。最初に上演した対バン相手の新人バンド『あるゆえ』のライブがめちゃくちゃ良くて、既に心はアツく燃えていた。時速が始まった瞬間、これまで僕が抱いていた恐怖はギターリフとともに吹き飛んでいった。
良いライブだった。時速のライブ内容についてここで詳しく書くのはやめておく。ライブレポートだけで独立した記事を書けるような気がしたし、ここでは時速36kmと向き合う自分の内面について書いておきたいと思ったからだ。とにかく良いライブだった。親友は出会ってからの3年間で見たことないくらいボロ泣きしていたし、僕も帰りの東横線でひっそり泣いた。あのライブに行くことができて、ほんとうに嬉しかった。
代弁者がいて、大声があって、そして僕は
はじめて時速36kmのライブを観て、彼らもまた「詩を書けるような苦しみも、小説に出来るようなドラマもない人生」を生きてきたんだなと感じた。軽蔑しているわけではない。そんな「平凡な自分」を、あんなにカッコ良く歌うことが出来るロックバンド。それってもうヒーローじゃん。ドラマのない人生を生きることが苦しいのなら、ドラマのないありのままの自分を表現すればいい。僕は時速のライブを観て、目の前が明るく開けたような気がした。明るい視界のなかで、僕はスマホを開いて、自分の言葉で少しずつ文章を書き始めた。その一つの完成形が今月始めたこのnoteなのだ。
代弁者がいて、大声があって、そして僕はこんなにも満たされているじゃないか。大好きな音楽があって、一緒にいられる親友がいて、そして自分だけの言葉を持っている。空虚で円満な毎日が僕を満たすのなら、満たされたままの自分を言葉で表現してしまえばいい。詩になるような苦しみも、小説に出来るようなドラマもないけど、こうやって自分にしか書けない文章を書くことくらいは出来るだろう。世の中は広くて実は少しだけやさしいので、こんな文章を書いている若者がひとりくらいいたっていいだろう。10万人くらい生きていてもいいのかもしれない。
というわけで僕は今日もここで自分の言葉を吐き出している。いつか時速36kmに負けないくらい「これこそが自分の叫びだ!」って胸が張れるような文章を書くために。これだけ時速について語っているくせに、今日は羊文学と SIX LOUNGE のライブに行く。どっちも時速に負けないくらい好きなひとたちです。渋谷も下北沢も大嫌いな場所だったけど、なんとなく今は受け入れられそうな気がする。ではまた。