【じいじ】と【じじい】のわずかな違いが生む破壊力の差について
先日、ファミリーレストランにて、幼稚園児くらいの少年が一緒に来ていたお爺さんに向かって「じいじ~」と呼びかけていた。
なんとも微笑ましい光景だなぁと思ったのも束の間、とある一つの真理が私の脳裏をよぎった。
こりゃあ大発見である。吃驚仰天。
私は即座にメモ帳を取り出し、この大発見を急いで記録した。メモ帳には乱雑な文字で以下のように記されていた。
【じいじ】という言葉を聞くと、お孫さんがお爺さんに向かって笑顔で呼びかけている微笑ましい情景が頭に浮かぶ。もはや、平和の象徴と言っても過言ではない。
だが、【い】の位置が一つズレて【じじい】という言葉になった途端、その様相は一変する。
先程までの微笑ましい情景は跡形もなく消え去り、オラついた若者がお爺さんに向かって恫喝しているような、恐ろしい情景へと変化する。
「おい、じじい!」とか「クソじじい!」とか、完全に恫喝するための手段として【じじい】という言葉が使用される。破壊力抜群である。
【ばあば】と【ばばあ】も全く同じで、【あ】の位置が一つズレただけでその様相は一変し、【平和 or 恫喝】という恐ろしい二項対立が生まれてしまうのである。
もし、お孫さんがお爺さんに向かって【じいじ】と呼ぶべきタイミングで、【い】の位置を誤って【じじい】と呼んでしまった場合、現場は騒然とすることだろう。
【い】の位置をほんの少し誤っただけで大いなる混乱を生み出す言葉。それが【じいじ】と【じじい】なのである。
ちなみに、筆者はまだ20代の若人であるため、「おい、じじい!」とか「クソじじい!」などと恫喝された経験はない。もちろん、恫喝したこともない。
だが、そんな私にもいずれ【じじい】になる時が来る。【じいじ】と呼ばれる日は来るか分からないが、【じじい】と呼ばれる日はいずれ来てしまうだろう。
現実は非情なものであるが、人間として生きていく以上、なんとかして受け入れていかねばならない。
いずれオラついた若者から「おい、じじい!!」と恫喝される日が来ようとも決してへこたれず、そして、将来なんか良い感じの【じじい】になれるように、日々精進して参りたい所存である。
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