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蚊が織り成す絶望の羽音

夜中に目が覚めた。

時計を見ると時刻は2時。丑三つ時である。

私は戦慄せんりつして頭を抱えた。なぜなら、蚊の羽音で目が覚めてしまったからである。

睡眠中に耳元を蚊がゆらめき、その羽音で寝られなくなるという絶望は、人生全般における絶望ランキングでも最上位に位置するほどの驚異的な絶望である。

そんな絶望に際して、私は戦慄せずにはいられなかった。


その日は色々あって寝るのが遅くなり、夜中の1時ぐらいになっていた。しかも、5時半に起きなければならないのである。

こりゃまずいと思い、私は急いで布団へと潜り込んだ。

そうしてようやく眠りにつき、しばしの時が流れた後、私の耳元に奴は元気いっぱいに羽をはためかせてやってきたのである。

「プ~ン」

今後、蚊の羽音をこの若干腹立つような言葉で表現させていただく。ご了承くだされ。

私はその音(プ~ン)で目が覚めるや否や、一旦心を落ち着け掛け布団を頭にかぶせた。少々暑苦しいが我慢である。

「プ~ン」

貫通である。掛け布団を貫通しやがったのである。こみ上げてくる怒りを抑えて、右を向きつつ左手で左耳を塞いだ。これでどうだッ。

「プ~ン」

貫通である。掛け布団&左手を貫通しやがったのである。そうして懸命な努力も虚しく、遂に私の堪忍袋かんにんぶくろの緒が切れた。

「嗚呼ッ!!!」

私は勢いよく立ち上がり部屋の電気をつけた。そして、血眼ちまなこになって奴を探した。

しかし、先ほどまで元気に飛び回っていた奴の姿はどこにも見当たらない。イライラはつのるばかりである。

夜中であるが故に大声を出すわけにはいかない。だけど、今にも暴発してしまいそう。

そうして、抑えきれない怒りの矛先は己自身へと向かい、私は頭を掻きむしり、太もも辺りを数発殴った。右腕に一カ所蚊に刺された痕跡があり、全力で掻いた。

暴力反対である。

そんなこんなで結局奴は見つからず、電気を消し再び眠りに就いた。目を閉じて「明日朝早いのに勘弁して(涙)」と心の中で強く訴えた。

・・・。

「プ~ン」

布団をかぶる。

「プ~ン」

左手で左耳を塞ぐ。

「プ~ン」

・・・。

「うぎゃぁぁぁッ!!!」

これが所謂いわゆる“絶望”というやつである。

しばしの逡巡しゅんじゅんの後、私は再び電気をつけ、血眼になって奴を探した。先ほどよりも本気で探した。さながら、トレジャーハンターである。

そうしてついに、本棚の隅でジッとしている奴を見つけた。

私が手を近づけると奴は飛翔した。だが、私は決して慌てない。この千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかないのである。

その時の私は、近年稀に見る驚異的な集中力を発揮した。蚊から目を離すことなく、来たるべきチャンスを虎視眈々こしたんたんと狙った。

そして、奴が我が右腕に止まったその瞬間。

「バチンッ」

・・・。

右腕を見ると、そこには奴の無残な姿があった。

仕留めたり。

真夜中の大決戦、これにて終了である。


蚊との激闘によって、私の脳内ではアドレナリンがドバドバあふれ出していた。鼓動は高まり、目はがっちりとかっぴらいていた。

そんな状態で布団に入っても寝られるわけがない。嗚呼、寝られない。

私は早起きしなければならないことなど忘れて、諦観ていかんの念に入り浸ることにした。そうせざるを得なかった。

そうして、長い長い虚無の夜を過ごした。

その夜、蚊は仕留めたはずなのに、なぜだかあの絶望の羽音がうっすらと耳元で鳴り続けているような気がした。

「プ~ン」

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