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水のトラブルの段

今の家で一人暮らしを始めて7年になる。
新築ではなかったので、どこかしら少しずつガタはくる。

浴室乾燥機が壊れたり、エアコンが効かなくなったり、郵便ポストが破損したり。
その度に、管理会社を通じて業者に連絡し、交換や修理をしてもらった。

そして今回わたしが直面したのは、トイレのトラブルだ。
とはいっても、トイレの水が流れないわけではない。

説明が難しいが、トイレの水を流した時に、手を洗う用に上から出てくる水道。
小林製薬の『ブルーレットおくだけ』を置いたとしたら、そこに注がれる用の水道。

それが出ない。

何度か様子を見てみた。
便器の水はちゃんと流れるし、タンクにも水は溜まっている。
ただ、ブルーレットの水道が流れない。

業者を呼ぶべきだと分かってはいるが、一人暮らしの会社員が家に業者を呼ぶのは、非常にハードルが高い。

平日は仕事に出かけているため、土日祝という条件を付した途端、競争率が倍増するのか、提示される候補日がかなり先の日付となるからだ。

もちろん、便器の水が流れない、といった緊急事態の場合は、上司に事情を打ち明け、平日に有給休暇を取ってでも修理の業者を呼ぶ。
ただ、わたしが今対峙しているのは、トイレの中でも名も知らぬ部分の故障だ。

わたしは業者に頼るという選択肢を外した。
故障しても大して困らないような名も知らぬ部分の修理なんぞ、自力でなんとかできるはずだ。


今は片手で調べればどんどん情報が出てくる。

我が家のトイレと同じ症状を取り上げた動画を見つけた。
あの水道は手洗てあらかんという名前のようだ。
故障しているのはタンクの中にあるダイヤフラムという部品で、それを交換することで直るという。
動画ではたった3分で鮮やかに部品を交換していた。

これなら、何週間も先に業者を予約するよりも断然早く直る。

さっそく、うちのトイレの型番に合った部品を探し、ネット通販で注文した。


部品が届くまでの数日間。
困らないと言うと嘘になる。

心のどこかで手洗い管から水が出る生活が戻ってほしいと願っていた。
仕事中も、手洗い管のことばかりが頭を埋め尽くす。

部品、いつ届くかな?
電車の上に付いてそうな名前の。
パンタグラフ、じゃなくて。

帰宅し、トイレで用を足して水を流す。
いつもの癖で、手を洗おうと手洗い管に手をかざし、流水を待ってしまう自分がいる。

いつ届くかな?
ダイヤフラム。

名前を覚えた頃に、お待ちかねのダイヤフラムは届いた。



3分の動画で紹介される工程はこうだ。
まず、タンクの蓋を外す。
次に、タンクの中にあるダイヤフラムを取り外す。
そして、新しいダイヤフラムを取り付ける。
タンクの蓋を元に戻せば終了だ。






わたしはタンクの蓋を開けた。

次に、ダイヤフラムを

取り
  は
   ず
    しャピャーーーーーーーーーーーーーー





噴水のように水が噴き出した。

慌ててその噴水を両手で押さえ込む。


え?
どうすんの、これ。


噴水を押さえ続けるために両手が塞がり、身動きが取れない。

一旦外したダイヤフラムを元に戻そう。

それしかない。





さっき外したダイヤフラムに手を伸ばそうと

噴水から一瞬


 を
  離
   しャバーーーーーーーーーーーーーー





トイレの上に設置した突っ張り棚に備え付けているトイレットペーパーが、ビショビショになってしまう。

何とかダイヤフラムを元に戻すと、噴水は止まった。





落ち着け。
こんな時はどうすればいいか。
わたしには分かる。

故障したダイヤフラムを取り外すやいなや、新しいダイヤフラムを取り付ける。
「〜やいなや」というのがポイントであるに違いない。
噴水の隙を与えないように、何度も自分の中でシミュレーションする。

取り外すやいなや。取り外すやいなや。
ああして、こうして、チョチョイのドン。

よし、わたしは冷静だ。

シミュレーション通り、実際に手を動かす。





集中して

そっと

故障したダイヤフラムを素早く


 り
  は
   ずャバーーーーーーーーーーーーーー




もうええて。




勢いよく噴き出す水を両手で必死に押さえ込みながら、なぜか走馬灯のように昔の記憶が蘇った。

大好きだったアニメ、忍たま乱太郎。
水の上を歩く修行をする忍者のたまご、乱太郎たち。
右足が沈む前に左足を踏み出し、左足が沈む前に右足を踏み出し、それを続けることで、川の上を歩いて渡れる、というものだ。

それを見た幼い頃のわたしは、プールの上を歩いてみたくて、頭の中でイメージして、シミュレーションにシミュレーションを重ねた。

右足を踏み出すやいなや、左足を踏み出し、
左足を踏み出すやいなや、右足を…。

そして、意気揚々とプールの時間に実践した。

一歩目で沈んだ



先程と同様に、ダイヤフラムを元に戻して噴水を停止させた。
わたしはプールに沈んだように濡れている。


一旦トイレから退室し、調べてみたところ、作業を行う前段として、「止水栓しすいせんを閉める」という工程が必要なことを知った。

止水栓の閉め方を調べてみると、まずは止水栓を探すところから始まる。

一軒家の場合。
マンションの場合。
アパートの場合。

3タイプの建物種別それぞれの止水栓の位置が紹介されていた。

わたしが住む建物は、なんだろう。



またしても、昔の記憶が蘇った。

実家暮らしをしていた大学時代のこと。
友達と、理想の家庭について話している時。

友達「久瀬クセっち(私のあだ名、仮名)は理想の結婚生活とかあるん?」

久瀬「わたしは関西の地元の町からはあんまり離れたくないかな〜」

友達「え?久瀬っち、もしかして本家の長女なん?」

本家の長女という言葉の重みもよく理解していないわたしは、こう答えた。

久瀬「団地の次女やで?




わたしは団地の次女なので、マンションとアパートの違いがよく分からない。
わたしが一人暮らしに選んだこの城は、何なんだ。

この建物は、両手に満たない戸数で構成される。

一軒家ではないことは確かだ。
加えて、団地でもない。
マンションというのはおこがましい。
とはいえ、アパートよりは小綺麗な気がする。

強いて言うならば、ハイツという言葉がしっくり来る。

ハイツはマンションに入りますか?
ハイツはアパートに入りますか?
バナナはおやつに入りますか?

マンションとアパートの間で揺れ動く我がハイツ。

止水栓の位置は、マンションかアパートかで異なる。

もう少し調べてみると、穏やかではない情報が出てくる。
アパートの場合、複数の住宅の栓が同じ場所に集合して設置されているため、誤って他の住宅の水道を止めることがあれば、ご近所トラブルの原因になりかねない。

なんと大きな話になってしまったんだ。

手洗い管から水の恵みを得ることの代償として、ご近所トラブルは大きすぎる。


絶望しかけた時、「トイレの止水栓はトイレの個室内にある」という情報に辿り着いた。

現場に戻ると、便器の奥に隠れるようにして止水栓が存在していた。

なんだ、ここにいたのか。

力の限り止水栓のボルトを捻ってみるも、素手では回らない。

ゴム手袋をはめ、摩擦を大きくして手で捻ろうとするも、1ミリも動かない。

小さいドライバーがあるにはあるが、この固く締まりすぎたボルトを回すには、頼りなさすぎる。

固く締まったボルトを緩める方法を調べると、ある情報がヒットした。

ボルトにドライバーをかませた状態で、回したい方向にハンマーなどで一時的にドライバー伝いに衝撃を与える。
そうすると回りやすくなる、とのこと。

あいにくハンマーや金槌はない。
代わりになるものを家捜やさがしする。

もうこれしかない。


フライパンの

うちは取っ手が取れるタイプのフライパンを使っている。


わたしはこれで闘います。


取っ手一本であがってきました。




再び現場へ入室。

這いつくばりながら便器と壁の狭い隙間に体を滑り込ませる。

止水栓のボルトにドライバーを沿わせて、フライパンの取っ手でドライバーを叩く。
配置上、上から振り下ろすのではなく、横方向に叩かなければならない。
しかも、狭い隙間での作業のため、振りかぶる距離が短い。
力が入りにくい。

ゴンゴンゴン

汗だくになるだけで、一向に止水栓は緩まない。

ゴンゴンゴン

怪しい不吉な騒音に、これこそご近所トラブルは必至だ。


アカン。





観念して、業者を呼ぶことにした。

しばらく日が経ち、ようやく来てくれた作業員さんは、3分で作業を終え、颯爽と帰って行った。



トイレは元に戻った。

これで、用を足すやいなや、手を洗うことができる。

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