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35歳で地方移住した話
2011年、35歳の時に山梨へ移住しました。
移住の前年の夏に今の夫と出会い、彼が移住することを決めていたので、私も一足遅れて移住し結婚。(夫は港区在住でした。東京タワーの足元傍で、家の窓から全貌が見えないという近さ。)
都会万歳!という感じだった私が、移住をするに至った経緯をお話します。
若い頃は都会への憧れが強かった
両親は大阪出身。父の転勤で千葉在住。
母が里帰り出産したので、生まれてから3か月ほどは大阪。その後はずっと千葉で育つ。
バブル真っ只中のゼネコン勤務の父は忙しく、常にワンオペの母。夏休みは大阪の母の実家で従妹たちと共に過ごしていました。
高校までは千葉でしたが、都内の大学へ通い始め、通学に1時間半以上かかることもあり、もっと都心に住みたいと憧れを持つようにったのはこの頃。
社会人になり激務の毎日。
帰りが遅いことを心配しすぎる母に煩わしさを感じ、会社の借り上げ社宅へなんとか潜り込み、念願のひとり暮らし!
(遠方の社員のみの社宅だけど、忙しい部署だったので認められた。終電に間に合わず、月のタクシー代が10万くらいだったことも大きいかも。全部会社持ちなのでね。)
会社の合併に伴い、社宅制度がなくなったことをきっかけに、神楽坂へ引っ越す。初めて自分で決めた家。憧れの山手線の円の中に住む生活。
会社へも自転車で行けるようになり、どこへ行くのも便利だし、終電逃してタクシー乗ってもダメージ少なめ。
一人暮らしは誰に気兼ねすることなく、朝帰りだってOKだし、深夜にカフェでお茶とかバーへ行ったり、都会暮らし最高!って思ってた。
年齢の割に稼いでいたこともあり、大好きな洋服を買うことが楽しみ。決まったお店があり、担当の人がつき、VIP枠になるくらい買い物していました。
鬱を経験し、色々あって実家へ戻る
31歳くらいの時でしょうか、猛烈にのめり込み、楽しかった仕事が楽しくなくなり、ついには会社へ行けなくなり1年間の休職。
働いていたのが大手商社の子会社で、親会社に準じた福利厚生だったため、有難いことに休職中もお給料が保証されていました。(6~8割くらい?)
休んで復帰したいと思っていたので、親には話さず一人暮らしを継続。
その後、復職するも楽しく仕事ができなくなっていることが苦しく、退職を決めました。いざ退職となると、先のことが不透明だったので、実家へ帰らせてもらうことにしたのです。退職前に運良く傷病手当の申請ができたため、とりあえず当面の生活費は親に頼らずにすみました。
親には何も相談せずに休職していたこと、母に泣かれました。
実家に戻ってからは、心療内科に通いつつ、のんびりとさせてもらいました。本当にありがたかったし、安心感はあったけれど、プライベートがあまりない実家は、しんどくもありました。
不眠に苦しみ、散歩→ヨガで回復していく
普段の生活はわりと元気で食欲もまあまあ。
だけど、とにかく眠れない。睡眠導入剤も処方されているけれど、飲んでも眠れないし薬も合わない。夜は布団に入るけれど、翌朝の新聞が届く音を聞く頃に少し眠れる程度。
カラダを動かすべく、散歩に行くようになり、もっと運動をしたくてスポーツクラブへ。ヨガのクラスがたくさんあり、楽しくて足繫く通うように。
そして、ヨガをはじめてから、だんだんと眠れるようになったのです。
ちゃんと夜に眠れるようになると、どんどん前向きになっていきました。
仕事をはじめてみる
派遣会社に登録して、まずは1ヵ月程の短期仕事を一つやってみた。
次に3ヵ月程の期間の仕事をと申し込みをしたのだが、
長期継続の営業事務の仕事を紹介された。
迷ったけれど、やってみて合わなかったら
契約更新しなければいいのだと始めてみる。
派遣先の事業部TOPの常務に、なぜかとても気に入られ、
短期間で時給もどんどん上がり、契約更新の度に
正社員にとの打診を頂くほどでした。
結局、移住を決めるまでの3年ちょっとお世話になりました。
ヨガはずっと続けていた
仕事を始めてからもヨガを続けていました。
実家の近くから職場近くのジムに変え、仕事帰りに週2~3回。
食べ物や環境、ココロとカラダのバランス、などにより意識を向けるようになったのもこの頃。
誘われたイベントで山梨へ
平たく言ってしまうといわゆる『合コン』的なイベントで山梨へ。
34歳で3年付き合った彼とお別れした後で、一人で生きていく覚悟を決めた頃。ワークショップで知り合い、意気投合し仲良くなった友達からのお誘いでした。
山へ入り間伐を体験するイベントで、
山の中に入って斜面を登る
間近で木が倒れる音
チェーンソーの音
軽トラの荷台に乗る
その体験のどれもがとても新鮮で、山の空気は気持ちがいいし、BBQで食べた地元のお肉や野菜、ワインも美味しい!都会派だった私が、こんなところで生活できたらいいなと初めて思ったのです。
持続可能な社会を目指す人たち
その時の主催の一人が今の夫なのですが、
イベント後も連絡をとっていて、『持続可能で豊かな社会を目指す』という志を持った人たちが集まり、活動をしている場に連れていってもらいました。
起業家、銭湯経営、コンサル、栽培の専門家など、とにかくいろんな人が集まっていて、今まで出会ったことのない人たちばかり。こんな風に社会を変えていこうと考えている人がいることが、とても刺激的でした。
移住を視野に入れている人も多く、その活動の中で一緒に連れて行ってもらい、何度も山梨を訪れました。無農薬で野菜を育てている農家さんのところで収穫体験をさせてもらったり、お味噌づくりをしてみたり、都会とは違う生活に強く惹かれるようになりました。
乗れる波にはのってみよう
丁度、一人で生きていく覚悟をしてみたところで出会った今の夫と、その周りの面白い人たち。刺激的な波がどど~んとやってきて、勢いよく『とりあえず乗っちゃおう!』という感じでした。
都会にあこがれて、都会での華やかな生活は20代の頃に色々とやりつくして、鬱を経験して自分を見つめ直し、ガラッと環境を変えてみたいと心の奥底では思っていたタイミングにやってきた波。乗らないわけにはいかないでしょう。
移住してからの田舎での生活。慣れない環境、田舎ならではの色々はもちろん、思っていたのと違ったな~ということもあります。
でも、移住して良かった。あの時の決断は間違っていなかったと思っています。
土と共に生きること
空気や水が美味しいこと
こどもや犬とのびのびと過ごせること
ふと見上げた空が美しいこと
夜がとても静かなこと
夫と共に乗り越えてきたこと
数え上げたらキリがないくらい、ふとした時に感じる幸せがたくさんあります。
移住する時に、母がくれた本。
いつも思ってくれてありがとう。