自分を遡ってみた話。
自分を遡ってみようと思って記憶を掘り返してみた。
忘れてしまった事があり過ぎて、もはや一体何を忘れたのかもわからなかったけど、書き出してみたら分かった事があったって話しです(長文)。
私の好きなもの、原点
「子どもの頃の夢は何だった?」
と聞かれたら
「デザイナーになって素敵な洋服を作る人になること!」だ。
きっかけは、小学3年の頃。6歳年上の姉の影響で当時大人気だった『Olive』というファッション誌を読み始めたこと。その雑誌が大好きで、私の教科書だった。
雑誌の中のモデル達は素敵な洋服や小物を纏って最高に可愛くて、キラキラしていて眩しかった。
「いいなー、私もこんなお洋服着て可愛くなりたい!」
って、いつもうっとり眺めていた。
リボン特集があれば、リボン(ただのテープ状のもの)をたくさん買って集めたり、髪型特集があれば真似してみたり…
ギンガムチェックにハマった時は、チェック柄のものを色々集めたな〜。
・・・集めたとは言っても、田舎の小さな町が地元なので、手芸用品扱ってるお店もそんなになくて。でも片っ端から探しに行ったっけ。
そういうちょっとずつコレクションしたものをどうするわけでも無かったけど、とりあえず少しでも『かわいい』って感じるものをたくさん手元に置きたかった。
でも、小物はそうやって代用でなんとかなるけど、洋服はそうはいかなくて。
そうそう買ってはもらえなかったし、なんと言っても三姉妹の末っ子、当然全員女だからお下がりがほとんど。親からしてみれば、洋服はたくさんあるでしょーって事だ。
でも、私は嫌だった。
自分が選んだ服しか着たくなかった(実際は無理だけど)
まぁでも、仕方ない…田舎住まいだからオシャレしても行くところもない。。
何かしらのイベントの時以外は学校に着て行くだけだ。
それでも、おしゃれしたくて、なんだかんだといつも洋服には気を遣っていた。
そんな小3の自分に出来ることといったら、もう高校生だった姉の服を勝手に着て一人ファッションショーをやるくらい。当然だけど、体も小さくて、やせっぽっちだったから、サイズが合わないし、似合わない。
「あー、早く大人になりたい。」
といつも思っていた。
私の事
そんな私・・・
小4では、『全員がランドセル』っていうのが嫌で、海外の学校で使ってるような、エンブレムがついたリュックにもなるカバンに勝手に変えた。荷物は入らないので、教科書はほぼ学校に置いていた。
姉が修学旅行で原宿に行った時に、竹下通りで買ってきてくれた亀の形のリュックがめちゃくちゃ気に入って、学校に亀を背負って通学した時期もある。(姉が、妹のツボ把握して、その亀バックをチョイスしたってのも考えたら凄い)
小6では修学旅行用にと無地のバルーンスカートの上にタータンチェックのミニSKという2枚重ねのスカートを買ってもらった。このスカートはとにかく私に刺さって、大のお気に入りだった。
それはそれは、もう意気揚々と履きまくった。友達からも高評価をいただいた自慢の一着だった。
そんな私を、母はかなり不思議に思ったらしい。
なぜって、今ではバルーンスカートなんてありふれてるけど、私が子どもの頃はまだ浸透してなかったので。
「この子はどうしてこの服をチョイスしたのか?他に選ぶ子いる?」と思った、と後々言っていた。
多分、私は周りの同じ歳の子とはちょっと変わっていて、おませさんだったのかもしれない。って言うか、普通の服(ここではベーシックなデザインの意味)とか何にもワクワクしないし、テンション上がらないし、楽しくなかった。
今も、ひと癖ふた癖ある服が好きだし、無意識にそういう服を選んでいる。
中学生の頃は、頼まれて友達のデートコーデや、遊びに行く時のコーデ提案もしていた。
制服の丈がバランス悪くて可愛くないから、バランスよくお直ししたら先輩に目をつけられて何かしらケチをつけられた。
高校では、安室ちゃんの影響でルーズソックスとミニスカートの組み合わせに制服をお直し。高校はわりと緩いので、先輩には文句を言われなかったけど、代わりに生徒指導には目をつけられた。
冬は指定のダッフルコートが嫌すぎて、指定外のピーコートを着ていた。ご想像通り毎度生徒指導の先生によく捕まった。
その先生に「修学旅行はちゃんと指定のコート着てきなさいよ」と言われたけど、やっぱりピーコートを着て行った。どう考えてもかわいい方がいいじゃん!って。
今でも疑問だけど、コートとか靴下とか何でも良くないか??制服着てんだから。
それに、だいたいそのコート、誰がいいと思って指定にしたのよ!?謎。
結論
「私にとって可愛くないものは指定だろうが何だろうが着たくない。ので、好きにします」
他の人の格好がどうのこうのは、一切眼中には無かったし、センスが有るとか無いとか、良い悪いではなくて、ただ単に私の「好き」の話し。
誰かに決められたのはイヤー!って。
そんなこんなで高校卒業後は本格的に好きなもの=洋服を学ぶべく、専門学校へ進んだ。
学生時代のこと
文化服装学院、通称『文化』。
世界的デザイナーを多数輩出している老舗の服飾専門学校。
私は小3でこの学校に入ると決めていた。なので、何の迷いもなく文化に入った。
『文化』って変わってる人が多いって思って入学したけど、そうじゃなくて、それぞれ独特の個性を持ち合わせた人が集まったとこだったから、いろんな考え方や感性、美学、価値感があってとても刺激的で面白かった。ダメな事とか無かったし。それぞれの宇宙があって心が自由だった。
文化で3年間ファッションの勉強をしたわけなんだけど、はっきり言ってキラキラした事とかほぼ無い。課題が多くてめちゃくちゃ大変だったし、徹夜して学校行く毎日なのに、3回遅刻で退学だったかな?かなり厳しかった。(おそらく今も?)
色んな理由があるだろうけど、1年間でだいたい1クラス分の人が減るんだよね。
ファッションの学校だから自由でルーズなんじゃない?と思われてるかもしれないけど、実際は厳しい。
全部自分の行動で決まるから、気が抜けない。
全部自分次第
全部自分の選択
全部自分の責任
寮のこと、ルームメイトのこと
私は、徒歩20分のところで寮暮らしだったけど、私含めルームメイトは全員早起き出来ない人々で、毎日隣の部屋の早起き得意な友達に起こしてもらっていた。お陰で遅刻を免れたし、退学もしないで済んだ。
その時の寮は私が卒業する前に無くなったんだけど、建物も設備も古いし、門限は早いし、いちいちチェックが厳しいし、寮母3人がマンガに出てきそうなキャラで、めっちゃうるさかった。
とにかくファッションの学校とは思えない、昔ながらの寮だった。
で・も!!寮生活は私に、それまでに無い価値観を与えてくれた。最高に楽しかったし、寮生活をしなかったら、視野も得るものも半分くらいになってたかも。そのくらい大切な経験をした場所。
寮生活自体は不自由だったけど、いつでも話せる友達がいたし、何よりルームメイト達が最高だったから、めちゃくちゃ面白かった!
先輩1人と新入生が2人っていう3人構成なんだけど、この先輩が「世間の常識」って言われる事よりも、「自分がどうしたいか?」で行動する人だった。今まで私の周りにはいなかったタイプ。年上とか年下とか全然気にしないフラットな感覚を持つ人。それはだめだよ~なんて言わないし、いいと思う事、やってみたい事は全部やったらいいじゃん!というスタンス。
アフリカが好きで、将来はマサイ族の男性と結婚する!と言っていた。
当時の彼氏も外国人だったし、海外生活もある人だったので、日本の感覚とは半分違っていたんだと思う。
この先輩というか友達との出会いは、私の人生にそれまでなかった新しい風を運んでくれた。それまで海外に出た事もなかった私が初めて感じた異文化だった。
もう1人のルームメイトも愛すべき人で、独特の喋りと感性と個性で、すっごくキャラが強かった。(本人はそんな事微塵も思ってないだろうけど。笑)
いつも休日は早朝からどこかしら出掛けて、美味しいものをお土産に買ってきてくれたり、素敵なカフェやお店を教えてくれた。
その日買ってきたものを見せてくれるんだけど、毎度「どこで見つけたの?」ってものばかりだった。
窓にダイエットの目標を張り付けているのに、いつも3日坊主だったし、
センナ茶飲み過ぎてトイレの住人になったりもしていた。愉快な子。
私達は全員、お互いの事には深く干渉しなかったし、逆に話を聴いて欲しい時は、「話聞いてー!」って言うと、三人でテーブルに集まってコーヒーを淹れて、ずーっと話を聞きあった。
どんな話しでも、やっぱり誰もダメ出しなんてしなかった。
なんていうか、家族とは違うもっと気楽でいられる間柄。
赤の他人同士がこんな関係を築けたの、なかなか凄いな。
意外だった才能
文化の3年間はそれまでの学生生活で、一番がんばったし、進んで勉強したし、毎回しっかり課題も取り組んだ。楽しかったから大変なことも楽しかった。
そして、知らなかった才能を知ることも出来た。それは…
・自分が思っていた以上に縫製が上手い(これは、先生にも周りにも言われたので多分本当。)
・パターンも好きだけど、それより立体裁断が得意
・絵は下手くそだけど、運良くコンテストに入選した事もあった(奇跡)
・手がデカくて入社決まった(何の話?)
なりたかった自分からもう一度なりたい自分に。
楽しくて全部自分次第だった3年間。私の宝物。
この頃の気持ちは忘れない!と思って社会に出てみたら、いつのまにか年月の経過と共に忘れてどこかへいってしまっていた。
『なりたい自分』はいつから『なりたかった自分』に変わったのかな?
早く大人になりたいと思って、実際なってみたら、自由よりも周りの目や常識に囚われたつまらない大人になってしまっていたみたい。
でも、大丈夫。
今回遡ってみて思い出した。
私は、私を取り戻せる。
なぜなら子どもの頃からの気持ちを思い出したから。
そうだ、私はファッション無しでは成り立たない人なんだ、って。
なりたかった自分は、
「デザイナーになって素敵な洋服を作る人になること」だった。
これは一応達成した。
これからなりたい自分は、
「これまでの経験と私なりのやり方で、ファッションやデザインで、人を幸せにしていく人」
可愛くなって、綺麗になったら皆んな幸せな気持ちになれるよね?
好きなものを作ることが出来たら、それってすごく楽しいよね?
身につけるもので変われたら、一番簡単な変身方法だよね?
素敵なものは皆に紹介したい!
素敵なものを見つけていきたい!
考えたらワクワクしかない。
そうそう、これだよね。
ということで、
子どもの頃の私へ。
「思い出したよ~好きなもの!これだよね!」
大人の私より。
#なりたい自分 #子どもの頃 #ファッション #好きなもの #もの作り
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