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我が父サリンジャー   亀井よし子

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《我が父サリンジャー》はマーガレット・A・サリンジャーの《Dream Catcher》の全訳である。ファミリー・ネームからも察せられるように、マーガレット(通称ペギー)はいまなおたくさんの若者の心をつかんで離さない古典的名著《The Catcher in the Rye》の作者にして、アメリカの二大世捨て人のひとり(もうひとりはエミリー・ディキンソン)といわれるJ・D・サリンジャーの娘であり、本書は彼女の赤裸々な半生記である。

だとすれば、世間がそこに父サリンジャーの謎の私生活の一端が明かされるはずだと期待したとしても無理からぬことだろう。現に、本書出版のニュースが伝わるや、アメリカの読書界では近年の「大事件」として騒然たる反響が巻きおこったという。なんといっても、実の娘がサリンジャーの実像を暴露するかもしれないというのだ。

しかも、そのサリンジャーはプライバシーをのぞかれることを極端に嫌い、一九六五年、《プワース16、一九二四》の発表を最後に文学的にも沈黙を守りとおし、ニューハンプシャー州コーニッシュの山中で隠遁を決めこんだまま今日に至っているという人物なのだから。

そして、おおかたの期待どおり、本書にはすでに知られていることからそうでなかったことまでを含めて、サリンジャーにまつわるたくさんのことが明かされている。ペギーによれば、反ユダヤ主義運動の盛んだった二十世紀前半、ユダヤ人の父とアイルランド人の母のあいだに生まれ育ったJ・Dは、半分ユダヤ人からアメリカ社会の本流に乗れず、半分しかユダヤ人でないから結束の固い同胞社会にも入れず、明確な帰属感を持てないままに成人したという。

にもかかわらず、一九四二年春には徴兵されて陸軍に入隊、防諜部隊員としてノルマンディー上陸作戦に参加させられるはめになった。作戦行動中に戦場の凄惨さをいやというほど目撃した彼は、まだ兵隊として現役だったころに「戦闘疲労症」で入院する、という経験もしている。いまでいう「心的外傷後ストレス障害」(PTSD)である。

帰還後、依然として癒えない心の傷を抱えていた彼は、宗教に救いを求め、まず禅やヴェーダンタ哲学にすがりつく。その後もクリスチャン・サイエンス、サイエントロジーなどを渡りあるき、同時にマクロピオティクス、ホメオパシーなどの健康法や代替医療にのめりこんだという。ペギーのいう「カルト狂い」をしたわけである。

当時の彼にとって、人間の肉体、とりわけ女性のそれは「血液と体液と老廃物と排泄物」の袋で、極力遠ざけるべきものだった。にもかかわらず、一九五四年にはラドクリフ大学卒業を間近に控えたクレアを強引に退学させて結婚、友人や身内に会うことを禁じたまま、コーニッシュの「事実上の囚人」としての生活を押しつけた。

やがてクレアはペギーを妊娠するが、J・Dは理不尽にもそれを忌み嫌う。「ライ麦畑」のホールデンや、「フランスの若者」のベイブにその萌芽が見られるように、「少女愛」という嗜癖を持つ彼にとって、妊娠した彼女はもはや愛情の対象ではありえなくなったのだ。そのため、クレアは徐々に精神のバランスを崩し、ペギーが生まれてまもなく自殺念慮を伴う重症の鬱病を発症する。その後、第二子の男児も生まれるが、数年を経てふたりは離婚、それとほぼときを同じくしてクレアの「男性遍歴」がはじまる。

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そんな日々のなかで幼少期を過ごしたペギーは、いまでいう「アダルトーチャイルド」だったが、十代のはじめごろまでは父親の「理想の女の子」としてその愛情をたっぷり受けて育つ。しかし、第二次性徴のはじまりとともに、その地位を滑り落ちる。ホールデンのフィーピー、あるいはベイブのマティのように、永遠に十歳の女の子でありつづけることはできなかったからだ。

十五歳で過食症とパニック障害を発症、その後も認知障害による幻覚症状や慢性疲労病など数々の深刻な不調に見舞われた彼女は、非行に走ったり、自殺未遂をしたりと、壮絶な日々を送るが、その一方で一度はあきらめた大学教育を二十五歳で再開する。卒業後、オックスフォード大学で経営学修士号を取得、帰国後もハーヴァード大学で神学を学んだりもしている。神学を学んだのは、自分自身を精神的な混乱から救いだす試みでもあった、と著者はいう。

こんなふうにみてくると、ペギーがこの本を書いたのは、世間が期待するように、隠遁の人である父の私生活を意趣返しよろしく暴露するためではなく、あくまでも自身の精神的立ち直りのためだったことがわかってくる。三十七歳にして思いがけず恵まれた子どもの寝顔を見つめながら、彼女はなんとしてもこの子には自分のような混乱の人生を送らせまい、と決心する。

そして、そのためには自身の混乱の淵源を探り、分析して、自己セラピーを図る必要があると考えた。サリンジャーの娘として生きるとはどういうことだったのか、それをきちんと理解したうえで、わが子が健全に育つための環境を準備してやりたい、という母親としての切実な思いがこの本から読みとれる。

作家としての仕事を文字どおり「天職」と信じ、それを邪魔することは「神聖冒涜の罪」にも等しいと考えていたという父の呪縛をようやく断ち切ることができたのか、ペギーは本書のなかで積もる思いをぶちまけるかのようにたっぷりと語っている。語るべきことが多すぎて、ときには筆が本筋から大きくそれ。さんざん曲がりくねったあげくにやっと元の道に戻ってくる、ということも少なくない。いきおい文章は長く、挿入文もきわめて多い。だからこそ、語らずにはいられないという彼女の切迫感が伝わってきて胸に迫るし、それでいて記述は冷徹かつ客観性を保っていて、父親ゆずりの優れた書き手としての資質をうかがわせる。

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