クリント・イースドウッドへの手紙
映画がDVDによって登場するようになってから、まったく映画館に足を運ぶことがなくなってしまったのは、このDVDが装填している多彩な機能のためでもある。原語の字幕があるし、見たいシーンが一発で選択できるし、それに映像特典というものまでが組み込んである。この映像特典というのは、製作の裏話といったものが、製作者たちによって語られたり、撮影風景がドキュメントされたり、カットされたシーンを流したりと、さまざまな工夫で編集されているのだが、一級の映画はここにも一級の創造がなされていて、たんなる裏話では終わらせてはいない。
最近、私が出会った出色の映像特典は「オランダの光」という映画であった。本編も鋭い角度から描きあげられた見事な作品であったが、この特典映像でもまた感嘆させられた。それは道端のなんの変哲もない風景(しかしオランダの光を浴びる、もっともオランダらしき美しい田園風景)を、定点カメラをゆっくりと回転させながら、なんでも人間の視覚では一分以上かけなければ、目が回る速さになるらしいから、その間隔でカメラはただひたすら三百六十度の景観を写していく。それだけのシーンが三十分近く流される。ナレーションなど一切なく、ただ風景から聴こえてくる音声だけをひろっている。その素朴なシーンにうっとり見ほれるばかりだった。DVDはこういう映像にも出会えるのである。
そんなわけで、私が「ミリオンダラー・ベイビー」を見たのは、つい最近のことであった。この映画に注目していたので、封切り当時、さかんに新聞や雑誌にあらわれるこの映画の評論や感想といったものは、自然に目に入っていた。絶賛する声のなかにこういう評論もあった。貧しい境遇の女性がグローブ一つで這い上がっていく壮絶なシーンが、後半、お涙ちょうだいの闘病映画になって緊張が一気に失せてしまった。ロッキー的ボクシング映画を期待して足を運んでくる観客に失望を与える映画だ。こういう映画は日本ではヒットしないと。
そのDVDの発売日が十月二十八日と予告されていたので、私はカレンダー上にその発売日を記入しておいた。やがてその日がやってきた。昼過ぎに山をおりて穂高町のショップに出かけ「ミリオランダラー・ベイビー」を手に入れた。そんなことをするのははじめての経験だった。それほど待ち望んでいたのである。そしてこの映画をみた。見終わったときお涙ちょうだいの闘病映画ときめつけた評論氏の予言を思い、なるほどこのような厳しい映画は平和ぼけしている日本ではヒットしないのだろうと思った。ロッキー的映画が映画だと思っている幼稚な鑑賞力しかもっていない大多数の層には、受け入れがたい映画なのだ。
私はいま自殺した青年をテーマにした戯曲を手がけていることもあって、この映画はしきりにモンテニューのエッセイを思わせた。モンテニューは自殺についてこういうことを言っている。生物は死の軍団にはなすすべもない。すべての生物はただ死に殉じるだけである。しかし人間だけは違う。人間だけはこの死の軍団に敢然として立ち向うことができる。屈辱の敗北でなく勝利の凱歌をあげることができる。すなわち自殺だ。自殺という方法によって、人間は自己の信念をつらぬき、勝利の道を切り開いていくことができる。
モンテニューがこの通りのことをいったわけではない。多分に私の意訳が入っているが、この映画はそういう言葉を私にかき立てていくのだ。マギー(この映画の主人公)が最後に上がったのは死と生のリングだった。敵は死ではない。彼女の敵は生なのだ。生を叩きのめしてマットに沈めなければならない。しかし彼女はその方法をすべて奪われている。第一頚骨と第二頚骨が切断されて、首から下はまったく麻痺しているのだ。このとき彼女はどうしたのか。どのような方法を編み出したのか。この映画はかくも壮絶な映画なのだ。
この映画は、最後のシーンから遡っていくと、その構造がよくわかる。絶望の床にあるマギーが、フランキー(イースウッド演じるトレーナー)に彼女に付けられたリングネーム「モシュクラ」の意味を明かす。彼女はかすかに微笑み、目からにじみでる生命の泉のような涙を静かに頬に落として、死へと旅立っていくあの最後のシーンである。あのシーンを鮮烈に彫りこむために、この映画は全編が組み立てられているのである。マギーを社会の最下層から這い上がるボクサーにしたことも、幾つもの人生の傷を持ったトレーナーを配したことも、奇妙な牧師を登場させたことも、マギーの母親を脂肪だけで生きているような女性にしたことも、すでに他界した父親のことをマギーにしばしば語らせたことも、そしてその父親が、足の不自由なシェパードを車に乗せて山中にでかけたことも、戻ってきた車にあったのはシャベルだけだったということも。巧みに配置されたそれらのエピソードやプロットが、最後のシーン、すべての苦しみから解き放たれていくあのマギーの微笑に収斂していく。それらの骨組みなど観客に少しも察知されないように肉付けされた、まことに見事なシナリオなのだ。
ボクシング協会の終身保険によって、現代医学の最高の治療を施すが、依然としてマギーの病状は、二十四時間酸素吸入の管をはずすことができない。そのうちに左の大腿部から腐っていく。その足を切断したあとのある日、マギーはフランキーにひとつだけたのみたいことがあるといってこう話す。
「あたしは世界を旅して、リングに上がってきた。観衆は、モシュクラ、モシュクラと熱狂的に叫んだ。あの声がいまでも耳に残っている。あの声がまだ消えないうちに去りたいの。こんな生活、もう耐えられない。こんな生き方、生きていることじゃない。パパのことを話したことがあるでしょう。犬を山に捨てにいった話を」
フランキーは青ざめて、こうこたえる。
「やめてくれ、そんな話をおれにしないでくれ。おれにはできない。そんなことを、おれにたのまないでくれ」
解放への道を拒絶されたマギーは、再びリングに上がり、壮絶な戦いを行う。彼女がもっている唯一の武器、歯で舌を噛み切るのだ。生そのものである舌を切り捨てようとするのだ。しかし敗北に次ぐ敗北だった。生を打ちのめすことはできない。彼女は戦う機能をすべて奪われているのだ。
そんな彼女を見ているフランキーは教会に足を運ぶ。このときはじめてなぜ奇妙な牧師が、前半からちらちらと現れてきたのかわかる。この場面のためだったのだ。牧師はフランキーに厳しく伝える。あなたはそれをしてはいけない、それをしたらあなたは生きる意味を見失う、それは神のする仕事なのだ、あなたの苦しみを神にゆだねなさい。それが教会の摂理だった。教会だけではない、現代社会を貫く倫理であり、犯してはならぬ法律である。しかしフランキーが教会に足を運んだのは、彼の決意を確かめるためだった。自宅に戻った彼はバックの中に注射器と、人間数人を殺せるアドレナリンを入れて病棟にむかう。
この映画には、百八戦目のリングで片目を失明した元ボクサーのスクラップというもう一人の主役がいて、この役を演じたのがモーガン・フリーマンで、彼の語りからこの映画ははじまっていく。このナレーションは、親子の関係が断ち切られてしまったフランキーの娘に宛てた手紙だったということが最後になってわかるのだが、なにやらチェロの重低音のようなフリーマンの声が、この映画を黒い糸で縫い上げていく。この映画のすべての画面の主題が黒なのだ。トム・スターン(撮影監督)はこの現代の悲劇をレンブラント的色調で造形していく。どんな場面もレンブラント的色調で深い闇をつくり、そして光を言葉にあてて、その言葉の奥にある人間の苦悩を刻みこんでいく。
例えば、パンチング・バックをはさんで、フランキーがマギーのトレーナーになる決意をしたときの場面、フランキーとマギーの背後の闇を、それぞれ違った色彩で彩色していく。あるいはフランキーが教会で牧師に苦悩を告白するとき、二人は黒い闇にくるまれているが、画面の右側のステンドガラスからまったく違った光が差し込んでくる。この緊迫したストーリーを、画面もまた緊迫した造形で織り上げている。そして背景に流れるイースドウッドの手になる音楽が、またしみじみと深い情感に誘い込んでいく。何もかもが一級の仕上がりだ。
このような一級の映画をつくりあげたクリント・イースドウッドの年齢に誰もが驚くが、これは少しも驚くべきことではない。むしろ、現代という複雑な時代を生きている芸術家が、もっとも成熟していくのは、七十代に入ってからなのだということをさらに確信させる。最近、三岸節子の回顧展に足を運んだのだが、彼女の絵がもっとも光彩を放っているのは、七十代に入ってからの作品だった。七十代ともなるといよいよ死期が迫り、死が見えてくる。しかしそれ以上に見えてくるのは生命の輝きだった。芸術家たちはこの生命の輝きを爆発的に捉えようとするのだ。
クリント・イースドウッドの映画もまたいよいよ光を放っていく。とすると、彼が次に取り組むのが、安曇野の山中に棲息する作家の作品ということになる。やがてこの作家から放たれる戯曲「翼よ、あれが巴里の灯だ」である。一九二七年、二十五歳の青年がスピリット・オブ・セントルイスと名づけた単発機で、ロングアイランドのルーズベルト飛行場からパリに向けて発進した。三十三時間三十分、睡魔との戦いの果てに、ついにパリのル・ブールジュ飛行場に着陸する。この壮挙はアメリカ人を熱狂させた。ニューヨーク五番街のパレードでは、なんと五百万の人々が沿道を埋め尽くして、彼を出迎えたと報じられている。
一夜にしてアメリカの英雄になったこの青年は、五年後に再びアメリカ中を釘付けにする。今度は栄光ではなく悲劇的事件が彼の一家に襲いかかったのである。リンドバーグ事件である。安曇野の山中で書き上げた戯曲「翼よ、あれが巴里の灯だ」はこの事件を描いている。この戯曲はやがてアメリカに上陸し、クリント・イーストウッドはこの作品を映画化するだろう。