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ライ麦畑がジョン・レノンを殺害した

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1980年12月8日、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』に永遠の汚名を着せ、その後ずっとサリンジャー・ファンを危険な精神異常者と結びつけてしまう悲劇が起きた。

元ビートルズのジョン・レノンと妻のオノーヨーコ、そして息子のショーンはセントラルパーク・ウェストにそびえる超高級アパート、ダコタ・ハウスに住んでいた。12月8日の夜、彼らがダコタ・ハウスにもどってくると、精神錯乱の25歳の男マーク・デイヴィッド・チャップマンが至近距離からレノンに4発の銃蝉を撃ちこんで殺害した。この暗殺者はそれから静かに歩道にすわりこんで、ポケッ卜から「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の本を取り出すと、まるでなにごともなかったように読みだした。

世界は仰天した。同世代の人たちはだれもがレノンを親しい仲間だと考えていて、彼の無意味な死は自分のことのように思えた。襲撃の詳細があきらかになってくると、チャップマンは精神異常を申し立てるだろうということがわかってきた。頭のなかで声がしてレノンを殺せと強要したのだと彼は主張した。しかし、彼の最大の弁明はもっと巧妙に作られていて、世界中のサリンジャー・ファンを震撼させた。自分の犯罪は「キャッチャー・イン・ザ・ライ」のせいだというのだ。

チャップマンはこの殺人を犯すためにハワイからニューヨークまでやってきた。彼は以前この街にいたとき、本屋を探して「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を買っていた。いらいこの小説をなんども読んで、自分こそ当代のホールデン・コールフィールドだと確信するにいたった。

チャップマンはこの本を携えて、小説のなかでホールデンが訪れた場所を、ひとつひとつたどって歩いた。グリーンの服を着た娼婦に話しかけ、セントラルパークの動物園に行き、池や回転木馬も見て、冬になったらセントラルパークのカモはどこに行くのかと、じっさいに警官に尋ねたりもした。
それからダコタ・ハウスに向かった。警察が現場に着いたとき、彼はまだおとなしく本を読んでいた。警察は本を取り上げ、彼を連行した。その小説のなかに、彼の不穏な書き込みが発見された。「これはぼくの声明だ。ライ麦畑のキャッチャー、ホールデン・コールフィールド」。

ずっとあとの2006年になってインタヴューを受けたチャップマンは、ジョン・レノンを殺したのはサリンジャーの小説の影響だと主張していた。そうかと思うとまた、自分はほんとうにホールデン・コールフィールドだと思うとも説明した。つまり、レノンのほうが新しいライ麦畑のキャッチャーだと言い出すのが怖かったので、自分がインチキにされないために、このミュージシャンを殺したのだと。

チャップマンはのちに精神異常の作戦をやめ、自身の有罪を申し立てた。彼は有罪となり、懲役20年から終身刑までの刑という判決を受け、アッティカ州立刑務所に服役している。
マーク・デイヴィッド・チヤップマンはサリンジャーの作品をきわめてゆがんだ見方で解釈した。不幸なことにそのあと何年も、サリンジャー・ファンは疑惑の目でみられ、サリンジャー作品が好きな人は精神不安定だとでもいわんばかりだった。

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レノンの殺害から四ヶ月もたたない1981年3月30日、ロナルド・レーガン大統領の暗殺未遂事件が起きた。ジョン・ヒンクリー・ジュニアという精神異常者が、女優のジュディ・フォスターの関心を惹こうとして、大統領、大統領報道官、ガードマンを撃ったのだ。警察がヒンクリーの泊まっていたワシントンのホテルの部屋を捜索したところ、彼の所持していた10冊の本を発見した。そのなかには、シェイクスピアに関する本、精神異常申し立てに関する本などにまじって、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」があった。

レノン殺害からまもない時期だったため、報道陣はヒンクリーの所持品のなかからサリンジャーの小説が発見されたことを、ことさら騒ぎたてた。これらの事件から奇妙な説が現れてきた。レノンの死やレーガンの狙撃にはこみいった陰謀があって、「キャッチャー・イン・ザ・ライ』のなかに潜在意識への殺人命令が染みこまれているのではないかと。

(ケネス・スラウェンスキー著田中啓史訳「サリンジャー」より)

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