長崎市長への七三〇〇通の手紙 2 原田奈翁雄
編集後記を書き終えて、全文をファックスで市長さんに送りました。市長、後援会の皆さんにお目通しをいただいてご意見をうかがい、問題があれば加筆訂正などをせねばなりません。事務所のあるビルの門限は八時、既に九時近く、私は公衆電話から市長公舎にダイヤルしました。
電話口の市長は、こちらが名乗るのを待ちかまえていたように、開口一番、「この本の刊行を延期してください」と言われたのです。ええっと、耳を疑いました。まさか……。いったいなぜ! まさに晴天の霹靂、坦々と開かれた野っぱらで、突如落雷の直撃に会ったのです。何とか気を静めて、市長の言われることを正確におききしなければならない……。受話器を耳に強く押しつける掌には、汗がじっとりにじみます。胸の鼓動が止まるほどのいま、何を私か答えることができましよう。とにかく明日改めてお電話するとだけ辛うじてお伝えして、受話器を置きました。
とるものもとりあえず、ふたりの社員と、協力してくださっている中心メンバーに電話連絡、都内のホテルに一室を借りて、夜半近く、何人もの人びとに集まってもらいました。まさに鳩首協議と言いたいところですが、長崎を遠く離れて、一方的な情報をもとに、どんな判断を下せましょう。とにかく明日もう一度電話で話し合ってみて……という以外の結論には達することができません。
翌十二日は日曜日です。ビルの大家さんに頼みこんで鍵をあけてもらい、私どもは社に入りました。社のデスクを離れては、こんな重大な用件を話す気持ちにはとてもなれません。午前十時すぎ、市長公舎に電話をかけました。
市長さんのおっしゃることは大略以下の通りです。
「実弾が二度にわたって送られてきて、驚察の警備もいっそう強化された。トイレに行くにも三人の警察官に守られなければならない状態で、こんなことが長く続いては市政にも重大な支障をきたさざるを得ない。家人ももはやノイローゼ気味、どうぞ警備がとかれ、事態が鎮静化するまでは本の刊行を延期してほしい。時期は、その後で、状況を見た上で考えたい……」
翌日、私は長崎に飛びました。市長、後援会幹部の方々と直接にお会いして、二時間にわたってお話をきき、また私の考えも、るる述べて話し合いました。だが市長さんからのお考えは変わりません。「生命の危険」を、後援会の方々は何度も口にされます。生命の危険を顧みずに何かをなさいと、もちろん私たちは誰にも言えないはずです。ついに私は涙を呑むほかなかったのです。その場で電話をお借りして、ここまで進んで来た作業を中断せねばならぬことを、恐らく息を呑んで待機しているにちがいない人びとに、伝えねばならなかったのです。
だが、市長さんは、いったいどうしてここまで進めてきたこの本の刊行を、突然にこんな形で延ばせと言い出されるのだろう。右翼の暴力に対する強い危懼や、市政への配慮から、後援会の方々は、当初からこの本の刊行を恐れ、反対されてはいました。これまで再度の私の長崎行きは、主に後援会の方々に対する説得のためだったのです。同じような町、警察の厳重な驚備の中で、私は常に市長さん、後援会の方々と、刊行について、本の内容について話し合い、最終的には後援会の方々の危懼を抑えてここまでことを運んできていたのです。
私たちはこの本を作るにあたって、市長発言に対する賛成、支持意見だけをとりあげることによって市長の立場を守ろうなどとは、最初から少しも考えてはいなかったのです。天皇タブーを越えて、互いに自由に問題の本質を考えることが大切だと思っていました。そして実際にたくさんの手紙を読み進める中で、その考えはいっそうたしかなものになったと言えます。
賛成、反対。そのような表面的な色分けを越えるものが、多くの手紙には溢れているのです。どちらの側に立つ人の文章にも、意見は意見として、その背後に、その人がこの時代を、特にあの戦争を越えて生きてこられた姿が、何よりもずしりと読む者の胸に追って見えてくるのです。
何はともあれ、この方々おひとりおひとりのあるがままの姿こそ読者に見ていただこう。賛否いずれの立場に対する色目がねをも外して、率直に文章そのものを読んでいただいてこそ、この本の真のねうちが伝わるはずだ……。
ごらんのように、手紙の到着ないし消印の日付に従って、まったく無作為に配列したのは、そのような私たちの根本的な編集姿勢に立ってのことでした。「文章の背後に、その人の人生が見えるものを」、私たちがお手紙をご紹介させていただく眼目は、何よりもそこにこそあったのです。
市長のもとにとどいた手紙は、巻頭の「編集に際して」にも書いたように、単なる賛否で分ければ、その数の対比は94.8対5.2となり、圧倒的な差があります。しかし私たちが採用した手紙の比率は、結果として実数を正確には反映していません。あらゆる討議や対立の場で、多数意見は多数意見としつつも、しかし少数の側の発言をいっそう大事にし、それに耳傾けることが、私たちにとってはきわめて重大だと思うのです。
そんなことを考えつづけてきただけに、市長さんや後援会の方々が、この期に及んで、新たな暴力的攻撃を、本の刊行と結びつけて危懼されるのが何ともいたましくて残念であり、不本意でもあったのです。
しかし、やむを得ません。たしかにことがらは生命の危険にかかわっているのです。作業を中断して、時間はどんどん経っていきます。あわただしく、しかも密な仕事を共にしてきてくださった皆さんはがっくりと落込み、暴力に対するやりようのない怒りをじっとかみしめています。
どうしたらいいのか。私たちは何をなすべきなのか。ひとりひとりが考え、また互いに話し合いをつづけていました。
長崎の状況も、少しは平静化しているのではないかといささか楽観的な推測をし始めていた折も折、三月三十一目、今度は市庁舎の一室に、実際に銃蝉が撃ち込まれた事実を知ります。ここに至って、私たちはいっそう強く問題をつきつけられたのです。
本の刊行を中断し、その事実を伏せてこのままさらに「事態の鎮静化」をあてもなく待つことが、果たして最上の道なのだろうか?
この本を一日も早く国民の前に提出すること。それこそが何よりも理不尽な暴力行為を退けることにつながるのではないか。市長発言を批判し、強く抗議する方々も、掲載したいという私たちの要請に、快く応じてくださっています。「光栄です」と喜んでおられる方々もあるのです。
四月一日午後、朝日新聞長崎支局から電話を受けました。この本の刊行をめぐる事情について、中断中の事実も含めて本島市長さんから取材を終えているということでしたので、それならばということで、いろいろな問題にお答えし、しかし記事にするのはもう二、三日待ってほしいと念を押しました。まだ私たちは、この事態をどのように切り開いていくべきか、明確な結論に達していなかったからです。
中二日置いて四日、再び確認の電話取材がありました。この時私たちは、これ以上事実を伏せたまま刊行をずるずると引きのばしておくことは、出版社の立場として許されることではないとの結論に達していました。私は、もう記事にしてくださって結構だと答えました。しかし改めて市長ご本人の確認をとりつけることを条件にして。数時間を経て、朝日の記者からは、市長に直接会って承諾をとったことを伝えてきました。
五日、東京では朝日新聞夕刊に、それは大きく記事となって掲載されたのですが、同じ五日、新聞の配布される以前に、市長が長崎市役所の記者団に対し、刊行計画の中断を径書房に申入れている旨発表したことを、長崎の新聞、テレビなどからの引きもきらぬ私どもへの取材を通して知りました。毎日、読売の東京版も、同じ五日付夕刊で、刊行中断のことを報じました(追記 この報道のいきさつについては、まことに重大な事実が背後にあったのだが、当時そのことを明らかにすることはできなかった。この事実を口外したのは、大分時間を経てからであった。)
暴力への恐れから本の刊行作業が中断されている事実が明らかになったことは、不幸な状況の中で、そのことが隠されたままであるよりは、どれだけましなことかと、私は考えます。あの戦争へと事態が進んで行く時、重大な事実を何一つ知らぬままに、私たち国民は大きな抵抗をすることもなく、確実に一歩一歩、戦争への道にみずからを迫い込んでいったことを、いま私たちははっきりと知っているからです。
市長の側からこの事実を進んで公表されたという点に、私はいっそうの重みを感じます。直接にいのちをおびやかされ、それを恐れる周囲がある。市政の停滞こそは、市長の最も耐えがたいところでしょう。市長の立場として、この状況下、中断、刊行延期という対応を余儀なくされることを、私たちは辛い思いをこめて理解、納得することができるのです。
では、市長さんとの合意に立ってここまで仕事を進めてきた出版社としてはどう考え、どう判断すべきなのか。
市長、政治家と、出版社、編集者の立場は同一のものではありません。市長の立場や決断に共感し理解することと、出版社が出版社として独自な判断をすることは、別のことです。
暴力によって言論がおびやかされているいまだからこそ、私たちはこの本の刊行を、市長さんとはまったく異なった立場から、ぜひとも実現しなければならぬのではないか。それこそが、私たちの担うべき任務なのではないか。そして、その可能性をひらく唯一のカギは、ここに掲載しようとしている手紙の書き手その人にほかならぬはず。著作権は、書き手ひとりひとりに属するものです。著作権者の同意があれば、本の刊行に支障はありません。
私たちはただちに、これまで本島市長、径書房連名で掲載のお願いをし、お許しをいただいていた二六〇名の方々に、改めてお願いの手紙を発送いたしました。
……さて、先般は、あなたが長崎市長に宛ててお書きになられた書信を、一冊の本に収録させていただくことについてお許しをいただき、まことにありがとうございました。鋭意編集作業をすすめ、三月末には刊行の予定でおりましたところ、突然市長さんの側から、刊行延期の申入れがございました。その間の事情の一端は、同封各新問(四月八日夕刊)の報じるところで、大体はご推察いただけるかと存じます。
私どもが延期をやむなしと考えたのは、市長、ご家族の方々に生命の危険さえあるという状況を配慮してのことでした。生命にかかわる危険を越える原理や原則を他者に強いることはできないというのが第一の理由です。また、市長というお立場は、何よりも市民に対して責任を負うということでありましょう。市政の執行が暴力によって妨げられるということは、市長さんにとって、一身の安危を越えて重い問題でもありましょう。そのことを思えば、市長のご判断は、まことにやむを得ぬものです。言論、出版の自由の行使をあえて抑えて涙を飮んだゆえんを、どうぞご理解ください。
ところで本島市長は朝日新闘のインタビューで、「私の出番は終わったと思う」と言っておられます。これは意味深いことばだと私どもは思います。十二月七日の市長発言は、全国民に、歴史や、自分たち自身のあり方に、深い省察を促す強いきっかけとなりました。その何よりも明らかな表われが、あなたもお書きになって市長に宛てた七三〇〇通を越す手紙そのものなのではないでしょうか。あの時にあなたが、たくさんの方々が、ご自分の深い思いを書いたという行為自体が、市長発言への賛否を問わず、出番はあなたに、また国民ひとりひとりにバトンタッチされたことなのだと私たちは思います。もちろん、出版を仕事とする私ども自身もその受け手の一員です。
そこでいま、私どもはあなたに折り入ってご相談し、またお願いを申し上げたいと存じます。
この本の出版を、あなたご自身と、私ども径書房との共同の意志として実現することにご同意いただけませんでしょうか。先般の収録許可のお願いは、本島市長と出版社径書房両者の名によるものでしたが、この際、本島市長には、出版の当事者という立場から退いていただく。つまりあなたが改めて径書房に掲載の承諾をくださることによって、刊行は本島市長とはまったく無関係に、径書房単独の責任となります(法的には何ら問題のないことを確認いたしております)。そうなれば、本島市長への暴力的な威嚇の口実は、この本の出版に関するかぎりすべて消失いたします。
いま、言論出版の自由を大切にすると同時に、市長さんの身を危険から守り、事態を鎮静化させる道は、これ以外にはないのではないかと考えるのです。いかがでございましょうか。
ぜひともご同意くださり、同封のハガキで、改めて径書房に対して、掲載のお許しをいただけますよう、心からお願い申し上げます。なにとぞあなたのお力によって、この本の刊行をぜひぜひ実現させてくださいますように。……
一九八九年四月六日
返事は目下、続々と返りつつあります。同意する、あるいは同意しないと、それぞれの意思表示をなさると共に、ほとんどの皆さんが一行二行のことばを添えておられます。
同意せぬ方々から‥‥・。
「市長への激励の趣旨で書いたものですので、市長が出版に不同意では、その意味も失われると思う」
「この件について妻に話したところショックを受け、右翼の暴力に恐れおののいています。……毎日無言で背中合わせに暮らしています」
「これ以h紛争を大きくしたくない」
「本島市長は変質されたようだ。こういうことになって残念だ」
「家内が不眠症にかかった。言論の自由、未だし」
「御書房に矛先が向けられ、御書房に被害が及ぶことを憂いて」
十一日午後現在手にしている返信は、「同意する」が二二二通、「同意しない」が二六通です。
さて、同意する方々は‥‥‥。
「君の為、国の為と教えられ、信じて、いずこの果かに散ったであろう弟、どこに救いを求めたらよいのか。この想い、聞いてほしい」
「あまりにも天皇戦争責任糾弾急。それに反応の確かな声も聞かれず。赤子として忍びず、擁護的に、日本人としての真情を開陳に及ぶ」
「この本を出版するのは貴社ではなく我々だと思います」
「いよいよ出版の必要性を感じ、貴社の勇気と使命感に感動し、出来ることで今後の協力を誓います」
「父の世代に対して主体的に生きたかと、その責任を問いかけて来た。だから今、息子の世代に対して、言論の自由を守るために勇気をふるいおこしふるいおこして生きたい」
「本島さんの発言自体はほんの常識なのに大さわぎになる日本文化の偏狭さ、貧困さを思う。在日朝鮮人の人権などチリアクタか?」
「この問題を避けているかぎり日本の光明ある前途は開かれません。誰もが納得できる解決への道を明確にするためにも是非出版してくださり、関心を大いに上げてください」
「こういう事態になったのは残念です。少々重い気持ちで同意します。しかしあまり延期しても出版の意味がないかもしれません」
「日本人はまだまだオク病ですね。言論出版の責任はここにありますね。……今度のことで、我々の中から尻ごみする行が出たらちょっと心配」
「長崎市長に(出版中断のことを)翻意してもらいたい」
「市長の貴社への不義理、お察し申します。私の出所は終ったとあるが、日本中、イヤ世界中をカクランさせておき乍ら、今になり身勝手」
「平和と言論の自由を守り通そうとする貴社に感動と敬意で私の胸はいっぱいです」
「市長も結局は私が思っていた通り良い加減な人間でしたね。妨害が怖くなって出版の自由までストップをかけてきた。自分がそう思っているのなら、それをつらぬく勇気が政治家としては欲しい。同市長はキリスト教の由だが、昔徳川時代の迫害にもめげず信念に殉じた二十四人の聖者の話は今も有名。又貴社の考えにも一寸同意しかねる点がある。本島市長にもしもの事があって長崎市政が混乱すると言っておられますが、そんなことはありませんよ。その時は助役が職務代行し、新しく選挙をすれば本島市長以上の人が登場しますよ。以上(この文を先般の投書の末尾に付記として書き添えて戴くことを条件に貴社の方針に同意します)」
「執拗な迫害に苦慮した市長の、出版中止の選択は立派である。これまで以上の発言を市長に求める必要は見出せない」
「市長の発言が『私』をはなれて世に問われたように、支持する言葉も世に問われて当然。もはや個からはなれてしまった」
ここに転記すれば限りがないほどに、それぞれにご自分の考えを、この事態に対して、時に苦渋の思いをかみしめながら語っておられます。
私ども径書房は、私たちの意志と責任において、そして何よりも執筆をなさり、ここに改めて掲載の御許可を私どもに対してくださった方々への感謝と責任の思いを深くかみしめつつ、本日ここに刊行のための作業の再開をいたします。
この後も、五月中旬の刊行実現まで、どのような状況が展開するか、予測はまったく立ちません。しかし、本書の公刊について、すべての責任を負うものは径書房、その代表。私であることをここに明記して、ペンを置かせていただきます。
径書房代表 原田奈翁雄
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