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サリンジャー 生涯91年の真実

サリンジャーの誕生から死まで描いた大作    田中啓史
 
 
2010年1月27日に91歳の生涯を閉じたJ・D・サリンジャーは、1965年に最後の作品を発表していらい、45年の長きにわたって沈黙を守っていて、文字どおり引退した身だったが、それでも彼の死は全世界で大きく報じられた。
 
それは、彼がまだ作品を発表していて人気絶頂だった1953年にニューハンプシャー州コーニッシュの山中に移り住んで、世間との交わりを絶ち、その私生活が謎につつまれていたからでもあった。そもそもコーニッシュに隠棲するまえから、自分の生い立ちや家族のことはほとんど語らず、彼の人生は不明なことだらけだった。
 
それでも1951年に、出版されることになった『キャッチャー・インーザーライ』がブック・オブ・ザ・マンス・クラブの推薦図書になって、友人でもあったニューヨーカー誌の編集者ウィリアム・マックスウェルによるインタヴュー記事が出て、サリンジャーの出自がすこしはあきらかになった。ファンが訪ねてくることを恐れたサリンジャーは、この記事で紹介された自宅からすぐに引っ越した。
 
その後1953年の『ナイン・ストーリーズ』や1961年の『フラニーとゾーイー』が評判になると、研究者やジャーナリストたちが彼のことを調べはじめたが、コーニッシュの山中にこもったサリンジャーの私生活を護る壁は厚く、その調査は困難をきわめた。マスコミの攻勢は、1960年のニューズウィーク誌が最初だった。「ミステリアス・J・D・サリンジャー」と題されたその特集記事は、コーニッシュの自宅まで記者を派遣して取材した大がかりなものだったし、その翌年の61年にもニューヨーク・ポスト・マガジン誌、タイム誌、ライフ誌などがこぞって特集を組んだ。
 
しかしいずれも、本人のインタヴューはおろか家族や友人たちの協力も得られず、これといった新事実があきらかになることはなかった。一連のマスコミ攻勢も「謎の人サリンジャー」の印象をつよめただけだった。
 
 それでも、その後サリンジャーの伝記がいくつか出ているが、なかでもマーガレット・A・サリンジャーの《Dream Catcher》(亀井よし子訳『我が父サリンジャー』新潮社、2003年)は、もっともすばらしいものだ。
 
娘の目から見た父サリンジャーを伝えるもので、伝記ではないからサリンジャーの生い立ちなどほかの伝記にある情報が欠けているのは当然だが、それを補ってあまりある魅力たっぷりの本だ。身内の者、たとえば著者の祖母(つまりサリンジャーの母親)や伯母(サリンジャーの姉)しか知りえない情報は貴重で信頼できるものであり、そのなかには、作家の幼年時代の行動が作品にそのままエピソードとして使われていることを教えてくれるものもある。
 
著者本人が見聞きしたことでいくつか例をあげれば、離婚後に子供たちの養育費や教育費などを出し惜しむサリンジャーの姿や、食物や医療にたいする過剰とも思える自然信仰(重病の娘を医者にみせず、危機一髪のこともたびたび)は、娘の実体験として信憑性がある。また、この本から多くの情報を得ている本書の著者スラウェンスキーも書くことを避けているサリンジャーの少女趣味についても、具体的な目撃例をあげている。
 
離婚後に父に同行してスコットランドに旅したとき、中学生だった著者は父と10代の少女とのデートを目撃しているし、自分とほぼ同世代の女子人生ジョイス・メイナードと父の同棲生活についても報告している。そのほか、サリンジャーの女性蔑視の姿勢、少女趣味、カルト的な信仰の態度を糾弾するなど、あえてきびしい目で父親を見すえ、父親の呪縛から逃れようと苦闘する著者の姿が胸をうつ力作である。

 さて、本書、ケネス・スラウェンスキー「サリンジャー」はサリンジャーの死後はじめての伝記で、サリンジャーの誕生から死までの全人生をカバーした初の伝記ということになる。しかも大判の原書で450ページにおよび、翻訳でも原稿用紙1500枚になるという圧倒的なヴォリ-ムの本だ。
 
それは伝記的な事実を詳細に調査して記述しているだけでなく、サリンジャーの作品を4冊の単行本『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、『ナイン・ストーリーズ』、『フラニーとソーイー』、『大工よ、屋根の梁を高くげよ シーモアー序章』だけでなく、雑誌に発表されたままになっている単行本未収録の初期短編や、原稿のままで活字になっていない未発表の作品まで網羅的に紹介し、その時どきの作者の人生との関わりを論じるという、これまでだれもやっていない試みをしているからだ。
 
幸い訳者は単行本未収録作品、未発表作品の原稿、および本書で言及されているサリンジャーの手紙は、ほとんどすべてのコピーを所持しているので、訳出にあたってていねいに検討することができた。本書が、たとえばここで紹介した先人の研究などに負うところが多いのは当然だが、それらの情報を鵜呑みにせず、あらためて追跡調査をしてたしかめ、より詳しい新事実を発見しているところに価値がある。
 
たとえば、サリンジャーの娘マーガレッ卜があきらかにした、最初の妻シルヴィアがドイツ人だったという事実について、本書は、終戦直後アメリカの軍人はドイツ人女性との結婚が禁じられていたのに、サリンジャーはドイツ人スパイの取調べ官という自分の立場を利用して、彼女のフランス国籍のパスポートを偽造して結婚したという衝撃的事実をあきらかにしている。また離婚後ヨーロッパに帰国したシルヴィアが10年後にアメリカで再婚し、定住したことまで詳しく報告しているのだ。
 
ただみずからサリンジャーのウェブサイトを主催するほどのサリンジャー・ファンを自認する著者は、サリンジャーに関する否定的、批判的な見方には与しない。たとえば、娘のマーガレッ卜が証言する10代の少女との交際には触れないし、作品の解釈では、とくに批判がきびしくなっていったグラース家物語の後半の作品にたいしても終始肯定的な態度を崩さないが、それはそれでこの著者の姿勢として了解し、読者は自分なりの解釈をすればよいと思う。
 
さらに本書のすぐれた特徴をいくつか述べるとすれば、まずサリンジャーの両親、およびその家系にかなりのページを割いていることで、なかでも母親がアイルランド系だとする従来の説には、国勢調査などの具体的資料を駆使して反論している。また、第2次世界大戦に関しては膨大な資料を駆使していて、本書の最大の読みどころといってもいい。アメリカ各地のキャンプでの訓練およびヨーロッパでの実戦体験の部分はまるで戦記ものを読んでいるような迫力があり、その悲惨さと後の人生におよぼした影響の大きさが実感できる。
 
これまでは作家サリンジャーを理解するうえで大切な編集者のことが無視、あるいは軽視されがちだったが、本書では育ての親とでもいうべきストーリー誌のウィット・バーネッ卜、アドバイザーであり生涯の友ともなったニューヨーカー誌の編集者たち、イギリスの出版社ヘイミッシュ・ハミルトン社のジェイミー・ハミルトンなどとのやりとりが詳しく語られ、その時どきの作品をめぐる確執をつうじてサリンジャーの姿勢や作品の本質がみえてくることが多い。
 
全体として、本書はサリンジャーに関する新事実をたっぷり教えてくれる伝記として、サリンジャーの全作品を細かく紹介し、その解釈へと導いてくれる案内書として、これからのサリンジャー研究にはなくてはならないものになるだろう。
 


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