ウオルト・ホイットマン 亀井俊介
本書は、アメリカを代表する詩人ウォルト・ホイットマンの全貌を一冊に納める本となることを目指した。だがもちろん、そんなことは不可能である。現在アメリカで進行中の『ホイットマン全集』は少なくとも十九巻に達する予定だが、本書はその一巻の分量にも足りない。しかも問題は量的な制約だけではない。ホイットマンは、アメリカの複雑さと矛盾に呼応するかのように、複雑で矛盾する要素を自己のうちにいっぱいかかえていた。それを彼の内と外とにおけるさまざまな活動にあわせて全体的に再現してみせることは、およそ至難のわざなのだ。本書にできることは、「本を読んだとき」と題するホイットマン自身の詩の文句を借りれば、彼の「真の生命」の「ほんのわずかなヒント」、「散在するわずかでかすかな手がかりと示唆」を、「見取り図にして示す」ことの試みにすぎない。
本書は、通常のホイットマン詩文集とちがって、詩よりもむしろ散文を多く収めた。アメリカ文化の総合的な理解の助けとなることを目指すこの「アメリカ古典文庫」の一冊であることを考慮して、ホイットマンの政治、社会、思想、文学の展開を、なるべく直接的に把握できる形で紹介したかったからである。それでなくても、ホイットマンの散文は、従来、日本で十分に知られていたとはいいにくい。それに、きわめて重要なのはまだ翻訳されていなかったものもある。だから、散文作品をぜひ豊富に紹介したかった。とはいえ、ホイットマンの本領はなんといっても詩である。詩を本書からはずしてしまうことはどうしてもできなかった。はじめはほんの二、三篇だけ掲載するつもりだったが、しだいにふやして、結局、全体のページの約三分の一を詩で占めることにした。詩では、最大の力篇「自己の歌」を収めることはできず、散文では、「自選日記」をはぶかざるをえなかったが、それを別にすれば、ホイットマンの代表的な詩のかなりの部分、および彼の重要な散文作品を相当程度を、ここに収め得たのではないかと思う。不満をいえば、私自身、きりがない。
内容は詩篇と散文篇とに分けた。詩篇の冒頭に「銘詩」として、「草の葉」の主題をホイットマン自身が説明したたぐいの短詩五篇を収めたが、その他は、詩篇も散文篇もだいたい執筆ないし発表順に配列した。ここに、原題と初出年を付して、収録作品を列挙しておこう。
詩篇
銘詩 人の「自我」をわたしはうたう One’s-Self I sing,
歴史家に To a Historian,
アメリカの歌が聞こえる I Hear America Singing,
未来の詩人よ Poets to Comes,
君に To You,
大道の歌 Song of the Open Road,
ブルックリン渡船場を渡りながら Crossing Brooklyn Ferry,
揺れてやまぬ揺籃の中から Out of the Cradle Endlessly Rocking,
堰き止められて疼く川から From Pent-up Aching Rivers,
ライラックがこの前、庭先に咲いたころ When Lilacs Last in the Dooryard Bloom’d
散文篇
「草の葉」の序文 Preface to Leaves of Grass,
アメリカ語の手引き An American Primer,
第十八期大統領! The Eighteenth Presidencv!
民主主義の展望 Democratic Vistas,
歴程回顧 A Backward Glance O’er Travel’d Roads,
「草の葉」の翻訳は、単行本になって出たものだけあげても、1919(大正8)年の白鳥省吾、富田砕花の選訳から、1921~23年の有島武郎の仕事を経て、第二次大戦後の長沼重隆、酒本雅之両氏の完訳にいたるまで、おびただしい数にのぼる。その大部分は、原文に忠実な直訳調である。「於母影」「海潮音」「珊瑚集」といった日本の芸術的翻訳詩集の系列の試みた「半創作」的翻訳は、ホイットマンの詩の場合、めったに試みられなかった。ホイットマンには「芸術化」を斥ける何かがあるらしい。もっとも、直訳の傾向に対する顕著な例外として、堀井梁歩がみずから「創訳」と称した訳詩集「草の葉」(1931年)および「草の葉─自己の歌」(1946年)がある。ただしこれは、ホイットマンを「芸術」化するのではなく、むしろ逆の田夫野人に仕立て、その詩のいわば酒気まじりの日本語に移しかえたものである。木口公十、夜久正雄共訳「ホイットマン詩撰」(1949年)は、野人というより凛烈な精神の人としてのホイットマンを浮き立たせようとしたようだが、やはり「草の葉」を生きた日本語にしようという意気込みをみなぎらせている。
原文の内容をじっくり咀嚼し、それを精確に日本語に移した翻訳となると、長沼氏や酒本氏の仕事を全体的に越えることは容易でないと思う。私は堀井梁歩がやった一種破壊的な「創訳」の試みを自分流に追求してみたい気持ちをつねに持っていた。本書の仕事を進める途中でも、何度かそれを考えた。しかし、本書の目的からして、ここではやはり原詩の言葉に忠実であることを第一とする態度をとることにした。その結果、私の日本語はもたついたものになってしまった。ただ幸い、ゲオルク・トラークルの名詩詩集も出している畏友、瀧田夏樹君が、本書の詩篇を増やす過程で、一篇また一篇と援助を乞うと、快く引き受けてくれ、見事な、原文に忠実でしかも生き生きした訳詩をものにしてくれた。テキストは、瀧田君も私も、いわゆる決定版によっている。
散文篇の冒頭、「草の葉の序文」は、前記「ホイットマン詩撰」共訳者の一人、夜久正雄氏にお願いした。テキストは初版の復刻版によっている。訳文中におびただしく出てくる「……」や「──」は、ホイットマン独自の表記法を移したものである。なお夜久氏の原稿に、「松田福松先生の校閲御加筆を得たことを記して謝辞とする」と添え書きされていたので、お伝えしておく。松田福松とは、木口公十のご本名である。
「アメリカ語の手引き」は、ホラス・トローベル編集本の復刻版によっている。早くから名のみ知られながらなかなか手に入らなかったこの論文を、いまこうして吉田和夫氏の力強い訳文によって世に出せるのは、たいへんうれしい。
「第十八期大統領職!」は、エドワード・F・グリア編集本によって訳した。ホイットマンの原文は校正刷の形で三部現存しており、そのうちの二部には詩人自身の手で若干の補正がなされている。私はそのうちで、ホイットマンがもっとも論旨を統一させたと思われる版をテキストにしたるこれも本邦初訳だと思う。自分のノートによると、私は1958年12月21日に、発表もあてもないまま、この翻訳を脱稿していた。もちろん、今回大幅に手を入れた。
「民主主義の展望」は、長篇であるけれども、全文を収録した。もともと「アメリカ古典文庫」にホイットマンの巻を設けることを決めたとき、編集委員の念頭にまずあったのは、この「民主主義の展望」なのである。鵜木奎治郎氏は、最初、原文の句読法まで忠実に再現する入念な翻訳を試みられたが、読者一般の読みやすさを考え、ある程度、その精密さを犠牲にしていただかざるをえなかった。しかし、これはいぜんとして、訳者の配慮がすみずみまでゆきわたった労作だと思う。テキストはもっとも広く流布しているModern Library版によった。
最後の「歴程回顧」は、夜久氏ご自身の添え書きを引用すると、「ホイットマン詩撰」に掲載したものに、原注の訳を加え、誤植を正し、補正して、かなづかいを現代かなづかいに、漢字を当用漢字に改めたもの」である。「アメリカ古典文庫」は新訳を原則としているが、私は前からこの翻訳を愛していたし、「ホイットマン詩撰」がいまでは入手困難な本なので、特に乞うて本書に寄せていただいた。テキストは1902年の「全集」の中の「草の葉」全三巻を一冊にまとめた版に掲載のものによる。
考えてみると、本書の訳者ははみな、いわゆるホイットマン専門家ではない。前記訳詩集を含めて、ホイットマン関係ですぐれた業績をあげておられる夜久正雄氏ですら、せまい意味の専門家ではないと思う。日本の精神を考え、うたう、歌人であり国文学者である。訳者たちがこうしてとらわれない自由な目でホイットマンを見ていた人であることに加えて、もうひとつ私には感慨がある。私が夜久氏とお近づきを得たのは、氏の恩師にあたる川出麻須美のホイットマン翻訳を、私がある文章で批判したときだった。氏からご叱責の手紙が来、それにお応えする、という形で手紙を交換しているうちに、私は「ホイットマン詩撰」の訳者への敬意に加え、一種人間的な敬愛を氏に対しておぼえるようになった。他の三人の方々に翻訳をお願いするきっかけになったのは、奇しくもみな、酒の席である。本書への望みや悩みを語っているうちに、たぶん、つい情にほだされて、一肌ぬいで下さる気持ちになられた──私はそれにとびついたといわけだ。
本書は、私の能力不足のため、専門家の目から見れば多くの欠点をもつかもしれない。しかしこれが、専門家のせせこましい仕事ではなく、友情と、それにのっとった誠意の仕事の詩集であることを、私はありがたく感じ、また誇りにしたいと思う。
特集 ウォルト・ホイットマン
平等主義の代表者ウォルト・ホイットマン 夏目漱石
ワルト・ホイットマンの一断面 有島武郎
ホイットマン詩集 白鳥省吾
ホイットマンの人と作品 長沼重隆
ヴィジョンを生きる 酒井雅之
ウォルト・ホイットマン 亀井俊介
ホイットマンとドストエフスキー ヘンリー・ミラー