豊かな会話をするには沢山の疑問文をストックしておく Part25
コンピューターの登場で、あらゆる領域のシステムが変革されていったが、ついにコンピューターが開発した翻訳ソフトで組み立てられた《草の葉メソッド》が誕生した。日本の英語教育と、日本人の語学学習を根源的に変革させんとする《草の葉メソッド》は、日本語がしっかりと体得できた中学生からスタートする。
世界一の教育水準にあるフィンランドでは、先生を(teacher)と呼ぶことを禁じている。先生とは過去のことはよく知っている人だが、未来のことはなにもわかっていない無知なる存在である。むしろ未来を生きる子供たちのほうが未来をよく知っている。要するに先生とは、漢字が意味する如くただ先に生まれた人ということである。
フィンランドでは先生たちをなんと呼ぶかというファシリテーター(facilitator)である。学習や議論の進行などを担う人を指す言葉で、《草の葉メソッド》における教師の役割は、教室の片隅に立って、生徒たちの活動を見守るファシリテーターになる。
しかしそのレッスンの方向づけはしっかりとなされねばならず、例えば生徒たちに次のようなプリントを配ったら、まず翻訳ソフトを使って自分の英文をつくりだしなさいと方向づける。
第六課 放射能をなくす機械を作ってください 福島県坂北村小学一年生の菅野健太君の作文を英文にして、健太君がその作文で訴えていることについて英語で対話しなさい。
ほうしゃのうをなくすきかいをつくってください 小学一ねん 菅野健太
おれはともだちができませんでした。でもやっとともだちができたんですよ。まもるくんとかささきくんとか。やっとみんなとなかよくなったのに、もうみんなばらばらになったんですよ。おれたちはそとであそべないんですよ。おれたちはいみがわかりません。なんでげんぱつをつくったんですか。なんでほうしゃのうをなくすきかいをつくらなかったんですか。ほうしゃのうをなくすきかいをつくってください、おねがいします。おれはじゅうまんえんでもそのきかいをかいます。じよせん、じよせんっていって、じよせんすればだいじょうぶっていってるけど、山はどうするんですか、おれの村は山だらけなんですよ、山にもいっぱいほうしゃのうはふったんですよ、それでもだいじょうぶっていってだいじょうぶなんですか。おとなたちは村はもうだめだといっています、だけどみんなかえりたいとおもっていることがわかってるんですか。
そして、次なる課題にも生徒たちに立ち向かわせる。疑問文を作り出す作業である。会話とは互いに質問を投じ合うことである。対話者と会話のラリーをとぎれることなく続けていくには、この質問を投じる力をつくることが不可欠なのだ。会話は互いに疑問文を投じあうことによって展開されていく。このレッスンに初めて取り組んだ生徒たちの対話は、二、三の質問を互いに投じあうともうそこで沈黙が支配する。対話のラリーを途切らせることなく、五分十分とつづけていくには、たくさんの疑問文(もちろん英語)をストックして、相手に疑問文を投じる力をつけておかなければならない。
──この子の名前は?
──健太君は何年生なの?
──彼はどこに住んでいたの?
──彼はいまどこに住んでいるの?
──原発が爆発したのは何年だった?
──原発はどうして爆発したの?
──なぜ住んでいる村から避難しなければならなくなったの?
──避難するって、牛とか豚はどうするの?
──犬、猫もどうするの?
──除染って何なの?
──除染して町とか村とかきれいになるの?
──山と川ときれいになるの?
──ほんとうに人々はその村に戻れるの?
さらに対話のラリーを面白するために、あるいはそのラリーに勝つためには、いくつもの想定問答をつくりだして、それを翻訳ソフトで英文に転換して、ステージに立つ舞台俳優が懸命にセリフを自分の言葉にするように完璧にそらんじておくように導く。例えば、
──この作文、すごいよね。小学一年生が書いたんだよ。
──迫力あるよな。
──放射能をなくす機械を作ってくださいって。そんなもんできるわけないよな。
──でも、健太君は叫んでいるんだ。
──村や町をきれいにしてくれってね。
──人の住んでる町とかはきれいにできるけど、山と森は絶対無理だよ
──無理、無理、ぜったい無理。
あるいは
──健太くんはいまどうしているのかな。
──あのね。多摩村とかは、七千人住んでいたけど、戻ってきた人は千人だって。
──そんなに人口減ったんじゃ、村はやっていけないじゃ。
──それもね、ほとんどがお年寄りばっかりで、子供なんて一人もいないんだって。
──じゃあ、学校もないんだ。
こうした準備をしっかりと行ってくる生徒が対話レッスンで放つ言葉はきらきらと光っている。
さて、今日は、中学三年生の斎藤加奈さんと望月大地くんの対話を、文字にして記していくのだが、二人のきら星のように散りばめられたデタラメ英語を採録していくのは、これはちょっと困難な作業だった。この英語を採録するには新しい文体を作りださなければならないのだ。
このような困難な作業に果敢に挑戦した人物がいる。マーク・トゥエインである。アフリカ大陸からアメリカ大陸に連行されてきた黒人たちは、文字を読むどころか、英語を話すことも禁じられた。そこで黒人たちは黒人英語とよばれる独自の言葉を創造していったのだが、トウェインはその言葉を採録する文体をつくりだして、小説のなかに取り込んでいったのだ。
例えば、「ハックルベリ・フィンの冒険」という小説は、ジムという黒人の物語でもあるが、トゥエインはジムの話す英語を次のように記している。
“What do dey stan's for? I's gwyne to tell uou. When I got all wore out wid work, en wid de callin’ for you, en went to sleep, my heart wuz mos' broke bekase you wuz los'en I didn' k'yer no mo' what become er me en de raf’. En when I wake up en fine you back agin’, all safe en soun’, de tears come en I could a got down on my knees en kiss’ yo’ foot I's so thankful. En all you wuz thinkin ’bout wuz how you could make a fool uv ole Jim wid a lie. Dat truck dah is trash; en trash is what people is dat put dirt on de head er dey fren’s en make ’em ashamed.”
しかし筆者にはその力がないから、ここは強引に正規の英語にして記していく。果たしてこの小学校一年生がかいた作文を、中学生たちはどのような英文にしていくのだろうか。
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