生命の海とともに潮ひくとき
生命の海とともに潮ひくとき
ウオルト・ホイットマン 長沼重隆訳
一
生命(いのち)の海と一緒に私も潮ひくとき、
よく行く浜辺を私がたどるとき、
磯波(いそなみ)が絶え間なく、ポウマノクの島を洗うあたり、
嗄(しわが)れた唇音(しんおん)で、波のさざめくあたりを歩くとき、
こわいような老母が、彼女の難破者を求めてしきりに叫ぶところ、
秋の日の暮れ近く、物思いに耽(ふけ)りながら、遥か南方を眺めやり、
詩を口誦(くちずさ)むという誇りから、この緊張した自己に捉えられた私は、
足もとの汀(みぎわ)の線に跡づけてゆく聖霊に取り憑かれたのだ、
水面と沈澱物は、地球のあらゆる海洋と陸地とを表象している。
うっとりとして、私は目を南の方向から外らし、そうしたか細い吹き寄せを見やる
果物の皮、藁屑(わらくず)、木切れ、藻草、海の軟体動物、
潮でゆり上げられた泡掩(あわかす)、閃く岩の剥片(かけら)、青海苔、
行くこと幾哩(マイル)、私の片側には磯に砕ける波の音、
相似たものの懐かしい想い出を私が思い浮かべるとき、その時、目のあたりに在るポウマノクの島、
そうしたものを、魚の形をした島のお前は、私の前に繰り展(ひろ)げてくれたのであった
私が親しい浜辺を歩いたとき、
私があの緊張した自我と連れだって、同型の人物を探して歩いた時に。
二
私が自分には未知の浜辺を歩くとき、
私が悲しい曲に、難破した男女の声に耳を傾けるとき、
海のほうから私に向かって吹いて来る、あるかなきかの微風(そよかぜ)を胸一ぱい吸いこむとき、
まことに神秘的な大洋が、だんだん近く私に追って巻きかえすとき、
私もまたせいぜいのところ、波打際に打ち揚げられたいくらかの漂流物でしかない、
一握の砂と枯葉とを掻き集め、
掻き集めて、そして私自身を砂と漂流物の一部として没入させる。
ああ、打ち拉(ひし)がれ、失意の果て、この大地にひれ伏して、
思い切って物を言ったわれとわが身を悩んできたが、
いまその騒音、わが身の上に谺(こだま)する饒舌家どものなかに在って、私はこれまで一度も、自分が何人であり、何ものであったかを少しも知らなかったことを悟った、
しかも、私の横柄な詩篇の前に、未だ手を触れられたことなく、人の口にも上らず、前人未到の境にある真の「自分」のいることを悟った、
それは、遠くに退いて、偽の恭しい身振りやお辞儀で私を愚弄し、
私の書いた詩の一言一句に対し、遠くから皮肉な哄笑を浴びせながら、
黙ってそれらの詩篇を指さし、つぎに足もとの砂を指し示す。
私は何ものも、杏、ただ一つのことすら、全く理解しなかったことがわかった。また、誰にもそれができないことが、はっきりわかった、
海の見えるここの自然は、私の隙を見て、私目がけて襲いかかり、私をひどい目に会わそうとする、
というのは、私が口を開いて、一切のものに向かい、敢えて歌おうとしたからだ。
三
二つの海よ、私はお前たちと一緒になる、
私たちはは理由も知らず、互いに非難がましくつぶきながら、砂や漂流物を転ばしている、
そうしたささやかな藻屑は、じつにお前たちと私、それに皆のものを意味するものだ。
漂着物がながい跡をつける崩れやすい渚よ、汝、魚の形をした島よ、私は足もとにある何もかも拾いあげる、
私の父よ、あなたのものは、また私のものでもある。
ポウマノクよ、私もまた、
私もまた、泡だち溢れ、無数の浮遊物として漂い、あなたの岸辺に打ち揚げられたのだ、
私もまた打ち寄せられた漂着物と、打ち揚げられた難破船の破片の長い痕跡にすぎない、
私もまたあなたの上に、魚の形をした島のあなたの上に、いくらかの難破船の破片を残すのだ。
お父さん、私は私自身をあなたの胸の上に投げかける、
私はあなたが私を振り放し得ないように、しっかりとすがりつく
私はあなたが、何か返事をくださるまで、しっかりとあなたを捉えて放さない。
お父さん、私に接吻してください、
私が自分の愛する者の唇に触れるように、あなたの唇でこの私に触ってください、
私があなたをしっかり抱いている間に、私が嫉ましく思うその囁きの秘密をそっと私に聞かせていただきたい。
四
退けよ潮、生命の海原(上げ潮はやがて来るだろう)、
あなたの呻き声をやめてはなりません、恐いような老いたる母よ、
あなたの難破者に対して、いつまでもお泣きなさい。しかし、私を恐れたり、拒んではなりません、
私はあなたに触り、あるいはあなたを拾いとるその時、私の足もとで、そんなに嗄(しわが)れた、荒々しい声で、ざわめいてはなりません。
私はあなたと、また、皆のものから、優しく思われている、
私たちの行手を見おろしながら、私は私自身と、この詩神のために張り切って、私と私に属するものの後を辿る。
私と私に属するもの、それは散乱する吹き寄せや、ささやかな残骸、
雪白の泡糟(あわかす)と水泡(あぶく)、
(見よ、私の生気のない肩から、いまや噴き出す海底のぬるぬるの泥、
見よ、ぎらぎらと輝き転び出る七色の色彩)
藁の束、浜の砂、もろもろの破片、
たがいに否定しあう雑多な気分から、
嵐と、ながい静寂と、暗黒と、波のうねりから、此方へと浮び来たって、
思い佗び、思い耽り、一つの呼吸、一滴の潮垂れた涙、さては海水のひと掬いか、土のひと握り、
それはあたかも底知れぬ深みから沸騰し噴出する作用にも比ぶべきもの、
あたかも、あてもなく波に漂い、磯に打ち揚げられ、引き裂かれて、萎れた花の一、二輪にも比ぶべきもの、
また、私たちにとっては、すすり泣く「自然」の悲歌にも比ぶべきもの、
また、私たちが出て来た霹靂雲(はたたぐも)の轟きにも類(たぐ)うべきもの、
私たち、気まぐれなもの、どこからかは知らないが、ここへ連れて来られて、君の前に繰り展げられたのだ、
そこに歩き、また、坐っている読者よ、
君が誰であろうと、私たちもまた、君の足もとの漂着物のなかに身を置くものだ。