古い言葉が消えていく
第15章 玖珠高原の四季 帆足孝治
かびん湯の由来
昭和三〇年代に廃線になってしまったが、豊後森から熊本県の肥後小国までの約三〇キロの区間を、宮之原(みやのはる)線というローカル線が走っていた。戦後、しばらくは森と宝泉寺の閧のみを運行していたため、地元では「宝泉寺線」と呼ばれていたが、小さなC11タンク機関車が、客車二両と貨車一両をつないで往復していた。宝泉寺駅には転車台(ターンテーブル)がなかったので、森駅を出る時は前向きに引っ張って行った機関車が、帰りは後ろ向きに戻ってくるのだった。
宝泉寺線は、豊後森駅を出ると次の恵良までは久大線と並んで走る。恵良駅を出ると右に離れて万年山(はねやま)の山裾に入って急坂を登って行くのだが、宝泉寺に着くすこし手前の左側川沿いに壁湯という温泉がある。
湧蓋山(わいたさん)と呼ばれる休火山から流れてくる清流の川辺にせり出した崖をくりぬいた温泉で、土地の人には昔から「かびん湯」と呼ばれ、農閑期の湯治場として親しまれていた。湯温はすこしぬる目だが、岩の隙間から透明な湯が豊富にあふれており、子供の頃、入り囗の道路に「休憩一円、一日二円」と白墨で書いた看板がおかれてあったのを覚えている。
最近この辺りまで観光化され、名湯を訪ねて都会の人たちがやってくるようになったので、それまで「かびん湯」と呼ばれていたこの辺鄙な岩風呂温泉もそんな名前では漢字で書きようもないからと、都会の人にも親しめるように「壁湯」として紹介されるようになった。年寄りたちが「かびん湯」と呼ぶのを聞いて育った私には、この「壁湯」という呼び名が気に入らない。たしかに崖をくりぬいた岩風呂は岩壁に囲まれているので「壁湯」でも意味は分かるが、私は、[壁湯]ではどうも元の「かびん湯」という言葉のもつ意味や雰囲気を伝えていないような気がして嫌だった。
「かびん湯」を無理に漢字にあてはめて「壁湯」と書くようになったのはそれほど新しいことではないが、私は子供なりに「かび」は絶対に「壁」とは違うと信じていた。そうは言うものの根拠もなかったので、自分で頑強に「あれは違う!」と否定していただけだったが、最近、偶然にある古い本を読んでいたら、昔は岩のことを「カビ」と発音していたことを知った。崖のような巨大な岩を「カビ」と呼んでいたというのである。「かびん湯」とは地元の訛りで、標準語風に正しく発音すれば「かびの湯」ということになるだろう。「岩の湯」で、これなら私も合点が行く。
大陸から漢字文化が入って来たのは随分あたらしいことなので、文化が古いこの地方では言葉はあっても、それにぴったり当てはまる文字がなかったということは十分考えられる。言葉の方がはるかに歴史は古いので、その言葉にぴったりの文字がなくても別に不思議はないのだが、言葉があって文字がないというのは何となく落ち着かない。かくて、無理やり文字で表したがゆえにもとの言葉の意味が正しく伝えにくくなったという例は、何もこの 「かびん湯」に限らずしばしば見聞きする。
最近でこそ、その地方地方の方言や風習は、懐かしい、保存すべきものとして見直されてきているが、すこし前までは地元の人達さえもが、折角むかしからの古い、いい言葉が伝わっているのに、それに対応する文字が見当たらないばっかりに、その意味を良く理解しないまま捨ててしまう例が多かった。だから、せっかく昔から言い伝えられてきた古い呼び名の「かびん湯」を、もとの意味とは全然違う「壁湯」としたのでは面白くもないし、奧ゆかしさもない。まるで無知を見せびらかせているようなものである。これでは余りにも味気ないし、情けない。
玖珠地方は九州でもわりあい標準語に近い言葉が使われており、並み外れた方言は少ない。しかも、この地の人さえ方言だと思っている言葉が実は古い標準語だったりして、どれが方言で、どれが古語なのか使かい分けるのは難しい。
例えば、この辺ではうちへ帰ることを「いぬる」という。「さっさと帰れ!」というのを「ぐるぐるいんでしまえ!」という。ひどい方言のように聞こえるが、実際は「いぬ」とか「いぬる」というのは「去ぬ、去ぬる」で、昔は標準語だった言葉である。
このように、この辺りで使われている言葉には古くからこの地方にあった言葉と、久留島一族が森藩に移封された時に彼らが持ち込んだ言葉とがあり、適当に混じり合って独特の方言が形成されているようだ。たとえば「~のそばに行く」というのを、「~のねけによる」という言い方をする。「ねけ」とか「ねき」とかいう言葉は、司馬遼太郎氏が[坂の上の雲]のなかでも、伊予言葉として紹介している。
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